プロローグ

 三界とは天上界・地上界・地下界のことである。
 この世の六大元素を司る神獣と、その護衛を務める守護天使が居住する法と秩序の世界「天上界」、人間を中心に脆弱で短命な個の力によって繁栄を寄与してきた中間世界「地上界」、暴力や奸智による混沌が支配する悪魔の世界「地下界」――――。
 かつて往来が可能だった三界は、それぞれ異なった主義の下にさまざまな争いや統治を産み、互いに消耗していった。その不毛を危惧した支配者たちは協定を結び、それぞれの領域に結界を張って、互いの世界を隔離し合った。後に「三界条約」、またの名を「結界条約」と呼ばれるこの協定によって、永きに渡った「元始戦争」は終結した。
 しかしそれによって各界の交流が完全に閉ざされたわけではなかった。結界はもともと強大な力の所有者の往来を妨げるためにつくられたもので、そこにおいては確かに不備のないものであった。だが結界には厚薄もあれば綻びるものである。大きな綻びこそ監視者たちによって速やかに補完されるが、小さな綻びは見落とされることもある。その間隙を縫って侵入するもの、彷徨い入ってしまうものがいるのである。
 また隔離を望まない世界もあった。中間世界「地上界」がそれである。地上界の生物は個々の力が弱く、彼等にとって別世界の住人の存在は脅威であった。そもそも結界の隙間から現れる下級悪魔や堕天使たちはそれを承知でやってくるのである。特に悪魔たちにおいては悪事を組織的に行いにくるきらいがあり、時として結界自体を攻略して、より巨大な通行路を築こうという試みも見られた。それらの対応を直接行うよりは、別世界の有力者に庇護を求めるのが容易だったのである。
 そしてその庇護を天上界に求めたのは極めて自然な流れであった。欲望のままに弱者を支配する地下界の住人が、地上界に進出したがるのは至極当然であり、地上界からして見ればその取締りを地下界に依頼することは出来ない、より大きな力を持った悪魔を地上界に介入させてしまうことになるからである。一方、秩序や調和を重んじる天上界ならば、節度ある行動を取ってもらえるとの期待もできるのであった。天上界にとっても、弱者救済や堕天使の粛清などは大義名分の立つところであり、天界の尊厳を示すこととなる。また地上界への往来規制が緩和されれば、凶悪な悪魔たちの動向を探ること、地下界との対立に地上界と共闘が組み易くなること、且つ、それらに関して自分たちの領土を荒らすことなく、行えるのである。
 かくて協定は結ばれつつも、擬似戦線は想定され、天上・地上界と地下界の「二界対一界」の構図が出来上がった。そのような緊張を内包しつつも、世界は表向きの泰平を謳歌していった。

 

 

 悪魔たちは面白くなかった。かつて和平という名のもとに結ばれた協定はいつの間にか反故にされ、地下界だけ、不利な状況に追いやられているのである。なんとかしてあの小憎らしい天使や地上の下等生物どもに一泡ふかせてやりたいものである。しかし、それが出来るのは悪魔たちの中でもかなり下級の者たちに限られ、しかも、その出来損ない者どもは、よりによって、わざわざ地上に出向いておきながら天使や人間どもに刈り取られてしまっているのである。悪魔たちはみな憤怒の念に駆られ、唸った。
 そんな悪魔たちに一筋の光明が現れた。悪魔の中でもより特殊な魔力を持った種族が、ある秘術を編み出したのである。その種族の者たちは一様に、長いローブを全身包み隠すように纏い、人間の老人のように大きく曲がった腰をして、身の丈の割りには長い上半身から長い腕を伸ばし、木杖で支えていた。
 それは一つの次元と別の次元を結ぶ空間魔法だった。この魔法によって二つの空間を直結する「門」を生成すると、そこを通じていとも簡単に、下級兵士たちを地上に送りつけることができたのである。
 悪魔たちは歓喜し、床や壁を乱暴に叩いたり、異世界の美食を思い出してだらしなく涎を垂れ流す者までいた。
 "しかしこの術も現時点では問題がある" 彼の一族の者は語った。
 現段階で繋ぎ得る「門」の規模では力の大きな者は移送できず、せいぜい下級兵士クラスの移送にとどまること。「門」の精製には従来の魔法体系と異なる魔力が必要なため、安定した魔力を供給することが難しく、移送の際の安全面が保障し難いこと。移送先によっては結界や元素バランス、地形・気候など様々な自然条件の影響を受けるらしく、連結し易い場所とそうでない場所が存在すること。そして施術者の絶対数がまだまだ少なすぎることである。
 それでも上級悪魔たちはこの術を奨励し、引き続きこの術法の研究を進め、一刻も早く巨大な門を精製できるよう支持した。上級悪魔たちは盟約を結び、以降、この一族に危害を加えることがないようそれぞれの部下たちを取り締まった。秘密裏に次元魔法の実験を続ける彼等は「ゲートキーパー」と名付けられた。

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