第1章 古都ブルンネンシュティグ

 フランデル大陸極東部、中央に位置する都市ブルンネンシュティグ。300年もの歴史を持つ都で、かつてはブルンネンシュティグ王国、現在はゴドム共和国の首都である。
 古くは大陸東西貿易の東の終着点として栄えたこの地の、主要交易路上にできた小都市だった。東西に伸びるプラトン街道と南北を走るバヘル大河。陸路と水路の交わる地として交通の便に優れたことから発展し、極東部の主要都市となった。東西貿易自体は大陸中部の巨大国家の滅亡とともに廃れたが、その後も極東部政経の要地として変わらずこの地に君臨している。300年前の遷都の際に隣接する二つの交易都市が合併し現在の形となった。都市名に王国の名が与えられたのはその時で、王都ブルンネンシュティグは名実ともに極東の中心となる。王国時代は「王都」であったが、その後国体が改まるとともに「古都」と称されるようになる。そこには、政治形態がそれまでの君主制を廃したことや、王国時代の有力貴族が別の地に新国家を建設したことから、彼等による蔑称の意味合いが込められている。
 王制から共和制への移行には、契機となった歴史的事件がある。
 遷都以降ブルン王権は最盛期を見たが、やがて大貴族たちの台頭によって実質的な統治力を失っていった。そんな中、干ばつや長雨が各地で起こり、数年に渡って農作物の不作が続いた時期があった。穀物の不足によって物価は高騰、それに伴って地方反乱、暴動が相次いだ。国庫や大貴族の備蓄に比べれば小さな飢饉であったにも関わらず、この事態に王国全体が揺れていた。そして中央が、不満分子鎮圧のための派兵を決定したブルン暦4807年。軍隊が駆り出され手薄となった王都で、それは起こった。世に名高い「シュトラディバリ家の反乱」である。
 反乱の主導者は第二王家バヘルリ・フォン・シュトラディバリ。王政の腐敗を正そうと立ち上がったバヘルリの下、多くの貴族たちが追従した。武力の真空状態となった王都に反乱軍に敵し得る兵力などなく、殆ど一方的な破壊と殺戮が、歴史ある街並みを血と炎で赤く染めていった。この争乱で多くの王族や大貴族たちは殺され、残った者たちも近隣都市への亡命を余儀なくされた。栄耀栄華を誇ったブルン王宮は、過剰な破壊活動の果てに崩れた。改革の基づきとして、過去の悪しき習慣を象徴するものは、なるべく派手に壊すよう指示されたのであった。
 この事件をもってバヘルリの改革は成功を収めたかに見えた。しかし内実、反乱軍は王家や大貴族に対する不満という点おいてこそ理念を共通する集団であった。改革の思想において、バヘルリと、彼に付き従った貴族たちとの間には、根本的な懸隔があったのである。
 革命によって主権を治めたバヘルリは西方の地に新たな国家を築いた。王制の限界を見たバヘルリは文字通り新天地によって、新しい政治体制を模索し政道を正そうと試みたのである。しかしそれは、利権を貪ることに慣れ親しんだ貴族たちにとって歓迎すべからざることであった。彼らは現体制の継投を望んだ。革命によってせっかく目障りな大貴族を掃討できたのだから、空いた地位に自らが収まるのが妥当な算段であった。漸く巡ってきた好機である。白々しい理想の国家論より何より、それが現実だった。
 利権にしがみ付こうとする貴族たちの苛烈な要求が再反乱を生み、バヘルリは新国家から追放された。結局、腐敗した王政と力を持ちすぎた大貴族、これらを打倒するために行った彼の革命は、その権力者たちの顔を塗り替えるだけに留まるのだった。
 拠り所を失い、再び王都ブルンネンシュティグに戻るバヘルリ。そこで彼を待っていたのは――――未だ戦乱の傷跡癒えぬ街並みと、指導者を失って無法がのさばり途方に暮れる市民たちだった。人民にとっての理想の政治を追求した結果がこれである。なんと足元の疎かなことであろうか……。彼は償うような気持ちで街の再建に努めた。再興の歩みとともに人々もバヘルリを支持していくようになり、やがて彼の思想は認められていった。後に彼はこの地を基盤に独立し、かつて理想だった共和制国家を打ち立てた。それが現国家ゴドム共和国である。

 

 

 ブルン暦4925年現在――――。街には木造建築の民家商家が所狭しと立ち並び、その間には敷き詰められた石畳が間断なく続いている。極東部各地から集まった行商人や冒険家たち、と彼らによって齎された様々な物資が街に溢れ、この街は一年中色鮮やかな顔を見せる。都市の縦横に走る整備された水路には、悠久の大河バヘルの恵みが満たされ、絶えることなく人々の生活を潤している。この豊かな河川と街並みを称えて、旅人たちからは「水の都」とも呼ばれている。300年の歴史を持つ由緒ある都ブルンネンシュティグは、かつての争乱も嘘であったかのように、活気に満ちている。
 この生き生きとした豊かな街並み、その根源にあるのは、人口の割合の圧倒的大多数を占める中流階級の人々である。他の大都市では貴族や高級僧侶などの上流階級が未だ強い権限を持ち、共和制国家のゴドムにおいても、結局はそういった階級制度に依存する傾向が見られなくもない。しかし先の事変の当事国でもあり、共和制誕生の地でもあるブルンネンシュティグにおいては、階級社会に対する市民たちの意識が高く、また多くの冒険家たちが集まるこの街には、様々なチャンスが転がっている。名立たる冒険家とともに旅へ出たり、彼等相手の商売によって財を築いたり。そういった機会に恵まれたこの街では人生における「成功」を、上流階級から与えてもらう必要が少なく、己の才覚に依って掴み取ることができる。そのためこの街の人々は階級社会に依存することなく、生活力に漲っているのである。
 そんな中流階級の市民の中でも、とりわけ都市西部、商業区の人々は気骨があってたくましい。この商業区は冒険家や行商人にとって、ブルンネンシュティグといえばこの地区を指すくらい、栄えた商業街である。そのためこの地の商人たちは種々雑多な人々を相手にすることになるのだが、彼らの多くは、義理人情には厚いが喧嘩っ早いところがあり、気に入らないことがあったら誰であろうとも威勢のいい啖呵を切って、明らかに身分の高い者が相手でも一向に怯むところがない。むしろ相手が貴族ともなるとかえってその怒気が高まったりもする。彼らのような中流階級の者たちのおかげで、この街の貴族たちは上流階級というほどの精神的優位性を持ち得ることはできないのである。商売においては更にしたたかで、貴族相手の商売で彼らは巧みに稼ぎを上げている。世故に疎く、金がある上に自尊心が強い貴族は、彼らにとってカモ以外の何者でもないのである。
 ブルンネンシュティグの民は「ブルーナー(ブルネーゼ)」と言われ、100年前までは上流貴族など、王都に邸宅を構えることのできたセレブリティたちを表した。現在この呼称は、商売人根性たくましい中流階級の人々を指し示している。ここには当然、揶揄の意味合いが強い。
 そんなブルーナー同士の商売となると、貴族相手とは打って変わってシビアなものとなる。各地からさまざまな品物が集まるこの街では、人々の目も肥えてしまっている。彼らの満足のいく品を、満足する価格で提供しなければならない。品が悪ければ売れず、高くても売れず、油断すれば安く買い叩かれてしまう。商業における、この街のハードルの高さは他都市の比でない。チャンスは誰にでも与えられているが、それゆえ競争は厳しく、掴むのは難しい。それが自由経済都市ブルンネンシュティグである。
 そういった意味では冒険家たちもあなどれない存在である。交易都市ブルンネンシュティグでは、よく路上に品物を広げて商売する冒険家たちの姿を見かけることができる。古都名物の一つ「露店商」である。そこには彼等が命懸けの冒険で手に入れてきた品物が並び、それらは当然、一般の流通ルートでは手に入らない。時には秘宝級の品物が扱われることもあり、「個人オークション」が開催されたりもする。ベテラン冒険家やコレクターのような大物顧客の中には、一般商品には関心を示さず、露店情報しかチェックしない者もいるので、店を構える商人たちにとっては脅威である。もっとも冒険家たちの中には目利きのできない者もいるので、露店には使い道のないような粗悪品や価格がデタラメな品物が並んでいることもしばしばある。しかし、そんな数多くのガラクタの山の中から思わぬ掘り出し物が見つかったりするので、それこそが露店巡りの醍醐味と言えよう。足繁く露店に通って具に情報を収集し、その転売商法のみによって生計を立てている者もいるくらいである。
 このような商人などの中流階級中心に、彼らと貴族たち冒険家たちとの日々の営みが、古都ブルンネンシュティグの活力の分子である。かつて旧王制下では貴族でないものは人として扱われず、平民たちは労働力としての存在意義しか与えられなかった。それが共和制の下で自由競争が奨励され、人々は意欲的に労働の汗を流すこととなったのである。現在も国家の首都でありながら「古都」と、新国家の貴族たちに蔑まれたこの名称も、今では住人たちの誇りとともに、古き良き街として人々に親しまれるようになったのである。

 

 

 この日も忙しない朝の喧騒を終えて街が落ち着きを取り戻した頃、西部商業区の店々もぽつぽつ開き出して、古都ブルンネンシュティグのにぎやかな一日が始まろうとしていた。中央広場の噴水は、暖かな春の陽射しを浴びて輝き、その周りを放し飼いにされたハトたちが幾羽もそぞろ歩きしている。春の匂いを充満させた風が穏やかに吹き、街中を朗らかな色彩に染め上げていく。噴水の縁には、散歩を終えた老夫婦が腰掛け一息ついている。その前をかん高い笑い声をあげながら、5、6人の子供たちが駆けていく。少年たちとすれ違った貴婦人は後ろを振り返り、あたかも庶民の子供を見下すかのような如何わしそうな目線を投げかける。その仕草が高慢ちきでいかにも貴族らしい。もっともそんな貴族の鼻持ちならない態度も、この街の住人は歯牙にもかけないが。広場の端には噴水を囲むようにベンチが並び、そこには黒スーツに山高帽の男が、今日のニュースに目を通しながらパイプの煙草を燻らせている。他にも、学生と思しき若い恋人たちが仲睦まじ気にじゃれ合ったり、午前の配達を終えた郵便屋が帰社時間を弄んだりしている。その中に――――――ベンチの上に仰向けになって寝そべっている一人の少女がいる。少女は、耳が隠れるくらいの長さのくせっ気のあるブロンドの髪をして、白地で襟の下に銀の猛禽の刺繍のあるカウボーイシャツを羽織り、下は黒味がかったジーンズとダークブラウンのシティブーツ、砂色のボクサーバッグを枕に、横になっている。少女というより少年に近い出で立ちである。名前はアイリといった。彼女は今朝方父親と口論になった挙句、今しがた家を飛び出してきたばかりの、家出少女である。

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