第8章 南海のほとりで(前編)
〜小さなプレゼント〜

 パン教室の日のこと。作業に追われて、三人が家の中を出たり入ったりする中、台所で一人になったアイリに
アトボンが話しかけてきた。
「アイリ。明日、朝10時ごろ、ウチに来てくれないか?」
「? ‥‥‥なにかあるの?」
回答をもらおうとする前に、誰か戸口に入ってくる気配がした―――――――アリエルだった。
「詳しくは明日話す」
なるほど。どうやらアリエルに内緒のことらしい。その場は何事もなかったのように振る舞い、翌朝、言われた時間に間に合うようにアイリとレモンは宿を出た。
 そして、宿を出て、西口へ向かうすぐのことだった。
 突如現れる、男たち‥‥‥‥‥行く手を阻まれた。
(な‥んだ‥‥‥こいつら‥‥‥)
みな黒いスーツとネクタイ、白シャツという出で立ちで、異様な雰囲気を漂わせている。前から三人‥‥‥‥後ろに二人。
(囲まれた‥‥)
しかし、一体何の目的で‥‥‥? ‥‥‥いや‥‥思い当たることがある。それは‥‥‥‥‥。
 レモンだった。
 レイモンドはブリッジヘッドの大富豪の令嬢である。どこかの悪い連中が、彼女が単身ブルンネンシュティグに来ていることを嗅ぎつけ、その身を確保―――――誘拐して身代金‥‥‥‥などとでも企てているのかもしれなかった。
 そこまで考えた。そしてアイリは、その身に元素を滾らせる。
 出会ってまだほんの1ヶ月ちょっとの日数しか経ってないとしても、レモンは今まで数々の冒険を共にしてきた「親友」だ。親友の身に危険を振りかけようとする奴等に、容赦なんてしない。最悪、人間相手に魔法を使わなくてはならない事態になったとしても、だ。
 だが。
「待って、アイリ―――――」
制止の声は意外な方から聞こえてきた。
「レモン‥ちゃん‥‥‥?」
気丈だった。レモンのたたずむ姿が。そして黒スーツの一人が話しかけてきた。「お嬢様‥‥」
「なるべく手荒な真似はしたくありません。‥‥‥‥‥お友達にも」
「ええ、わかってるわ」
黒スーツの男たちは、悪意のない敵意、とでもいうべきか、脅迫的な態度でありながら礼節を保っている。そう、「お嬢様」と言うからには、レモンの身内なのだ‥‥‥‥‥ブリッジヘッドの‥‥‥。
「御館様は、大変心配なされてます。大奥様も‥‥‥心を痛めて‥‥‥‥」
「わかってるって言ってるでしょ!」
初めて聞いた‥‥‥レモンちゃんの怒鳴った声‥‥‥‥‥。それで男は言葉を噤む。
 レモンはなるべく平静を保った声でアイリに告げる。
「心配しないでアイリ‥‥‥。事情、話したら‥‥‥すぐ戻るから‥‥‥‥‥」
5人の男に囲まれて、レモンは行ってしまった。一人残されたアイリは、その行く先がどうなるのか心配で、動揺を隠せない。しかし―――――。数歩すすんだところで、レモンは半身振り返り、笑顔を見せた。一瞬だったけど、それは友からの確かなメッセージ。「大丈夫だから」と、言わんばかりの笑顔。
 そうだ‥‥‥‥大丈夫だ。‥‥‥なんたって、レモンはこのあたしの相棒なんだからね!
 レモンがどこに連れられて何をされようとしてるのかは、分からない。しかし今はレモンちゃんを信じよう‥‥‥。連れ去られゆくレモンに背を向けて、アイリは一人、古都西口へと向かって歩き始めた。

 

 

 

 アリエルの家。予想通りアリエルは出かけてていなかった。
「この剣を、シュトラセラトのルイズまで届けてほしい」
「これは‥‥?」
その剣―――――ペルデーノンドは、大分昔にアトボンが知人から貰ったものだった。平和守護の誓約を受けた剣で、一度も血に塗られていない剣だという。言ってしまえばただの飾り用の剣である。このペルデーノンドを作った人の息子が、いま父の剣を必死に探しているというので、アトボンは返そうと思ったのだそうだ。ルイズというのはアトボンの昔の冒険仲間で、この話を手紙でアトボンに伝えた者。
「ルイズは商売っ気の強いヤツだから、どんな報酬をせびろうとしてるのか知らんがな。俺としてはこの剣がちゃんとした主人の元に返れば、それでいいと思ってるよ」
(ふーーん。お人好しね〜。せっかくだから報酬、ふんだくってやればいいのに。‥‥‥‥‥ってゆーか‥‥‥)
アトボンの人の良さにも物言いつけたいとこだが、聊か腑に落ちないことがある。それは、こんな用件ならば、わざわざアリエルのいない時を選んで頼む必要がなかった、というところだ。アイリがそれとなく促すと、アトボンはやや重そうに口を開いた。
「じ‥実はだな‥‥‥」
アトボンは重たげに口を開いた。
 自分がこんな体だからアリエルにたくさん世話になっているし、そのせいで人並みの幸せな生活を送らせてやることもできやしない。だから、自分の体を治すことは何よりも肝心なことなのだが、その前にアリエルに「プ、プレゼント」でも買ってやろうかと考えているのだと。丁度シュトラセラトにはセブローという、かつての冒険仲間で針仕事の得意な奴がいるから、彼に頼んでドレスでも作ってきてもらいたいのだと。
(なんとすばらしい親子愛‥‥‥)
アイリとしても胸を打たれて、これは快諾せねばならない依頼だった。
「さいっっこーにいいドレス、作ってもらってくるね!」
ドレス代35,000Gとシュトラセラトまでの往復分のテレポーターチケットを受け取った。さらにルイズが払うペルデーノンド運びの手数料も「俺にはいわれのないもの」だから、アイリが受け取ってくれればいいとのこと。心の上だけでなく、懐の上でも快諾したい依頼であった。
 ちなみにシュトラセラトには「ブルースビストロ」という有名な酒場があって、そこに行けばルイズは捉まるだろうと。セブローはあちこち動き回ってる可能性があるので、居場所はルイズに聞くのが一番手っ取り早いのだそうだ。

 

 

 街に戻る途中、小男ヘバに会った。
(こいつ‥‥‥‥いっっつも西口にいるな! ‥‥‥ストーカーか?)
 シュトラセラトにアリエルのドレスを買いに行くのだと伝えた。
「アリエルお嬢さんのドレス姿かぁー‥‥‥‥へへへ。でもきっと、何着ても綺麗なんだろーなー、へへへへ」
 ニヤけるな、と。

 

 

 街中では例の4人組とすれ違う。ポラック、クライス、エニ、クラカだ。
「おう、こないだの! ‥‥‥あん時はありがとな」
指輪の件のおかげで、ポラックの覚えがいい。
「へーそんなことあったんだー」「えらいじゃないアンタ!」
クラカとエニにも誉められた。
「ドレス? シュトラセラトまで行くのか!」
 うん。でも、アリエルにゃどんなドレスが似合うんかねー。
 4人に感想を聞いてみた。
「アリエルお嬢に似合うドレスかー。しっかしお嬢は何を着ても綺麗だぜ。まさにそれだな!」
「個人的な趣味だけど、鎧を着けたらよく似合うんじゃないかな」
「光沢のあるシルクとか、宝石鏤めたり、高級感のあるドレスがいいと思うわ。でもコルセットはダメ。すっごい窮屈なんだから」
「そうかなー? 私はコルセットいいと思うけど。やっぱりコルセットとレースが盛りだくさんのかわいいのが一番よ」
 ‥‥‥‥‥。
 アンタ、わかってないわねー。
 エニが着るんじゃないのよ。ちゃんとアリエルのセンスに合わせてあげないと‥‥‥。
 どうもクラカとエニ、素敵お姉さんコンビで若干意見が食い違ってるようだ。ところで約一名、アフォーなこと言ったヤツがいるが気にしない。

 

 

 

 ブルンネンシュティグ南西部。聳え立つオベリスクを目指して進むと、華美な彫像が立ち並ぶ大通りの広場がある。公共の土地であり、有力貴族などが邸宅を構えられなかったので、100年前の戦火を逃れた地区である。西部街の喧騒から隔てられた閑静なこの一帯は、お年寄りたちの良き憩いの場となっている。
 その一角に石造りの円柱状の建物があって、ここだけやたらと人の出入りが多くて忙しない。さっきから出入りするのは、多くが冒険家や行商人たち。一様に押し黙って歩き、通り過ぎていく。建物の名は次元間移動管理事務局というが、誰もその名で呼ぶ者はいない。人々はただ、こう呼称する―――――――「テレポーター」。
 受付でアトボンから貰ったチケットを渡すと行き先を尋ねられた。「シュトラセラト」と答えると「6番です」と言われた。次の部屋に進むと、そこは円形の広間になっていて、壁には木扉がいくつか、等間隔に並んでいる。木扉は各々、番号の彫られたプレートが貼られていて、「6番」の扉を開くと、中は真っ暗だった。明かり一つない不確かな空間を、不安にかられながら進むと、割とすぐ―――――20歩と歩かないうちに別の小部屋に出た。小部屋を照らす魔源灯の明かりに安心するのも束の間、今来た道を振り返ると、不思議なことに、そこには壁しかなかった。他に何もない小部屋なので正面の木扉を開くと、またさっきと同じようなテレポーター広間がある―――――但しさっきの広間は円形なのに対し、現在の部屋は方形である。建物の外に出ると、そこはもう見慣れたブルンネンシュティグの街並みではなかった。木造作りの建物も石畳も古都とよく似ているが、ここは別の街。ブルンネンシュティグより遥か南方、港町シュトラセラトに、アイリは生まれて初めて降り立った。

 

 

 

 シュトラセラト。
 300年前までブルン王国の首都が置かれていた正式な上での「古都」であっても、その名称はブルンネンシュティグに奪われ、人々の中では衰退した都市のイメージしかない。そうなってしまったのは国家の政治情勢に原因がある。
 「シュトラディバリ家の反乱」後、貴族たちの再反乱に遭って新国家を追放されたバヘルリは、ブルンネンシュティグに戻り民主国家ゴドム共和国を興した。一方、バヘルリを追放した貴族たちは新たな王を立て、西方の都市ビガプールに従来の体制を継承したナクリエマ王国を建立。ここをもってフランデル大陸極東部は二分化され、港町シュトラセラトはナクリエマの属領となった。
 反乱貴族たちが力を占め、建国当初こそ政情不安の続いたナクリエマだったが、やがて強靭な王バルンロプト・カイザー・ストラウス(流血王)が即位すると利権を貪る貴族たちは粛清され、旧王国以来続いていた腐敗した門閥貴族体制は一掃された(バルンロプトの王政復古)。その後を継いだタートクラフト・カイザー・ストラウス王治世下では、国家のため人道のための政治が奨励され、貴族も国民も良政の下、進んで善行を行う気運が高められた。これが現ナクリエマ国王である。
 タートクラフト王政は、王に圧倒的な権限が寄せられているため、民主主義のようなまどろっこしい段取りを必要とせず、王の認可で次々と開明的な改革が行われた。例えば、このシュトラセラトでは、ブルンネンシュティグなどに比べ、付近に凶悪なモンスターが数多く生息していた。その被害統計を危惧した王の判断によって軍隊が駆り出され、徹底的なまでにモンスター討伐が行われたのである。それ以外にも、港の整備が必要とあらば、貴族たちから税の臨時徴収を行って組織的な補修工事に乗り出したり、タートクラフト王政は専制政権でありながら、その政策が人民にとって望ましい形で行われるという、いわば政治がもっとも理想的に機能している独裁国家なのである。
 ちなみに王の指示の下、手足となって活動するのは軍属である。ブルンネンシュティグの若者たちが多く冒険家に憧れるのと同様、ナクリエマではこの軍人が羨望の的となり、例年、士官アカデミーへの入学志望者が後を絶たないという現象が起こっている。
 人々がシュトラセラトに過疎都市のイメージを持つのは、ひとつにはナクリエマの隆盛がある。旧王国時代は中央集権体制を取って、ブルンネンシュティグと地方都市という位置づけの中、シュトラセラトは他の地方都市と同格であった。それが王国が分裂したため、都市機構はそれぞれの首都、ブルンネンシュティグとビガプールに二極化されていく傾向となったのである。先述の士官アカデミーにおいても、場所はビガプールに隣接した小都市ビッグアイにあるので、多くの若者たちがかの地を臨んで、シュトラセラトを去っていくこととなるのである。
 また今ひとつに、モンスター討伐などに見られる軍隊の活動が挙げられる。統率された軍隊によって制圧されたため、近隣の脅威は殆ど取り去られてしまった。そのためブルンネンシュティグに多く見られるような冒険家が、この街に仕事を求める機会は少なくなり、もしそのような機会があったとしても、この国では軍隊が速やかに派遣されてくるので、そういった民間への需要は余りないのである。自らの腕を恃んで生きようとするならば、ゴドムでは冒険家、ナクリエマでは軍人か傭兵部隊に活躍の機会が多く与えられており、結局は治安維持活動も民営と国営、それぞれの国体に基づくところに強きが置かれているのである。
 しかし実際に「過疎都市」であるかというと、様々な統計はそれを否定している。
 たとえば、人口・住宅戸数はブルン、ビガプールに次いで第3位で、これは次点を大きく引き離して極東部の三大都市である。
 また、貴族や高級僧侶など一般に上流階級と呼ばれる階級層が占める人口の割合も多く、上流階級人口は全都市中1位、割合は2位である(割合1位は東の宗教都市アウグスタ)。
 そうして年々総人口が減少しているかというと、そうでもない。厳密には減少はしているが、増加する年もあり、体感できるような案配ではない。
 ならばどうして「過疎」のイメージがつきまとうかと言うと。それはやはり人口の中身、若年人口の減少と老年人口の増加に起因している。

 

○フランデル大陸極東部、全8都市中(※農村は除く)

20歳未満の人口‥‥‥‥‥4位(割合8位)
50歳以上の人口‥‥‥‥‥1位(割合1位)

 

 お年寄りの街なのである。人口がさほど減少していかないのも、若者が出て行く替わりに高齢者がこの街にやってくるからである。そのためこの街では、ブルンネンシュティグやビガプールに見られるような、年齢や階級、出身などの違う種種雑多な人々の入り混じった騒々しさとは無縁で、蕭々たる街並みはひっそりと落ち着いていて、味わいのある顔色を見せている。
 そのような街の風景を織り成す人々の、人格に地域性があるとするならば、それを端的に表しているのがこの街の貴族の歴史である。ブルンネンシュティグにしろビガプールにしろ、大都市の貴族たちは血と謀略とは無縁ではいられなかった。利権への欲求が強すぎたためである。しかしシュトラセラトの貴族たちは、そういった欲に固執することなく、むしろ好んで善行を行ってきた。例えば街の港整備のために行われた特別課税の際、彼等は非常に協力的であり、市民たちに率先して重税を納めたという。このようなシュトラセラト貴族たちの性質は、現国王の政治傾向と合致するものであるし、また元来からそのような善良さを持ち合わせているからこそ、前国王の粛清の対象ともならずに済んだのであろう。そうしてシュトラセラトの貴族たちは政治的な脅威とはほとんど関係なく、平和な暮らしを送ることができたのである。もっとも、その平和のおかげで、街は若者たちの流出を招き「過疎都市」などと呼ばれてしまうに至ったわけだが。
 しかし、そんな若者にとって望ましくない街でも、人生の壮年期を過ぎた者にとっては、それなりに魅力のある街である。その魅力を集約して表せば「保養地」という言葉になる。
 街全体の雰囲気もさることながら、シュトラセラトには、主に街の西部海岸に広がる別荘群に見られる、都市開発の一環として着手された「リゾート計画」がある。極東部は主に内陸であるため、海に面した都市は少ない。そこで、この地を「海岸沿いの風光明媚な地」という謳い文句によって祭り上げ、資産家たちを誘致して街おこしするのがこの計画の趣旨である。その宣伝活動が実を結び、一部貴族たちの間では、この地に別宅を構えることが一種のステータスとなっている。
 余談ではあるが「保養地」という宣伝文句ではどうしても年寄り臭いイメージが強く、街の「過疎化」を払拭することはできないと考えられた。そのため「リゾート」という言葉を使うのが、近年のシュトラセラト広告業界ではトレンドである。
 また、リゾート計画の話を持ち出すならば、その計画より大分昔に先立って建てられた、高級ホテル「オクトパス」の存在を語り忘れてはならない。かつて王城の置かれた街東部、港を臨むだだっ広い庭園の広がる地にある、その名の通り海洋性軟体動物を模した独特なデザインを施された高層ビルディングである。
 ホテルは八方位に建てられた、軟体動物の足を思わせるロッジングタワーと、その中央、頭部胴部によく似せたセントラルタワーから成る。八つのロッジングタワーはそれぞれにエントランスを構え、八方向各棟のどこからでも出入りできるという利便性を持つ。これは風水で言う八卦方位を意図する建築であるらしい。セントラルタワーは1Fの受付から、各階、大浴場やトレーニングルーム、図書館など共用のレジャー施設が用意されている。特に最上階スカイラウンジは、シュトラセラトの街並みや南に広がる海「ジェノス海」を一望できる空中レストランとなっていて、その景観は一流シェフによる高級料理と共に宿泊客から楽しまれている。また、ホテルとしての機能もさることながら、その外観―――――海洋性軟体動物を模した前衛的なデザインは、一部の芸術家たち(アヴァンギャルド派)から高い支持を得ている。
 高級ホテル「オクトパス」はその巨大さ、デザイン、サービス力。あらゆる面でシュトラセラトのシンボル足り得た。そのようなホテルがあること自体が、シュトラセラトの「観光都市」としての位置を高め、後に打ち出される「リゾート計画」の先駆けとなったのである。
 また「オクトパス」のスカイラウンジ等、街の各店で楽しめる、魚や貝などの「海の幸」も港街シュトラセラトの大きな魅力のひとつである。今や「テレポーター」のおかげで、あらゆる地にあらゆる物資が流通する時代となった。海産物も勿論「テレポーター」によって極東部各地に運ばれていく。しかし、鮮度が命とされる海産物は、その最も良質な状態を堪能できるのは、やはり地元を措いて勝るものはない。また水揚げされた海産物の素材の上質なものは、殆どがシュトラセラトで捌かれるか、もしくは漁師の食卓に並べられてしまうので、結局、他都市に流通するのは地元の「余りもの」なのである。より良質な「海の幸」を味わいたいならば「現地」に来るしかなく、しかも、そこでは当然のことながら「テレポーター」関税分、値段も安いのである。
 シュトラセラトには、そんな海の幸を扱う料理屋が街のいたるところにある。中でも「極東部一」と言われる、魚料理で有名な酒場が街の中央にある。

 

 

 

 「ブルースビストロ」。
 店頭には白鯨の描かれた「シルバーホエール」という看板が掲げられている。それがこの店の、現在の名である。その昔、港に巨大な白い鯨が揚がったことがあった。その鯨は腕のいい調理師に捌かれ、何日も何日も街の人に配られたという。街は連日、ちいさなお祭り騒ぎ。人々は海の神の恵みに感謝したという。その時、鯨を調理したのがこのお店。その料理の味が驚くほど素晴らしかったので、人々の噂に上って、以来、こちらの名を名乗るようになったのである。しかし、出版社などの取材を受けた時点、店名は「ブルースビストロ」だったので、新聞・雑誌などでその名が紹介されてしまい、「シルバーホエール」という名前は他都市には定着していない。極東部的に通りが良いのは「ブルースビストロ」なのである。
 店内には10脚程の客席用の円卓が並んでいる。奥の方には扇型のカウンターがあり、その脇のボトル棚が色とりどり、上品な色彩を反射させている。中央にステージがあり、夜にはお抱えの歌姫がきて美声で賑わせてくれるが、今はただ虚ろな空間である。12時を回ると一気に立て込んであっという間に行列が出来てしまう程、ランチサービスも人気の高い店だが、今はお昼前なので、店内にはまだ余裕が見られる。それでも混雑時を避けてきた客で、席の4〜5割が埋められているという状況である。夜に比べて、純粋に料理を楽しみにきている客が多い。

 

 

「ルイズとゆー人を探しているんですが‥‥‥」
見知らぬ街、見知らぬ酒場。そんな所に来てカウンター越しにマスターに、探し人なんかを尋ねた日には。さも各地を旅して回ってる冒険家っぽくなった気がして‥‥‥‥‥そんな自分に、ちょっぴり酔った。
 マスターが顎で示した先を振り向くと、4人掛けの円卓にひとりで座ってる男がいた。アトボンの知り合いというせいか、厳つい体格はどことなく似通ったところがあるように感じられる。アイリは初見だというのに物怖じもせず、その対面に座った。
「ルイズさんですか」
「何だお前?」
「アトボンさんに頼まれて剣を持ってきました」
ルイズは怪訝そうに、この珍妙な来訪者を観察していたが、どう考えても見た目がただの少女だし、用件がわかると合点がいって、警戒を解いた。
「おお! そうか。遠いところ、よくやって来たな」
まあ「遠い」と言っても、一瞬で飛んできたわけだが。
「ご苦労さん。とりあえず一杯やりなさい」
 あら! いただきます。
 ‥‥‥ん?
 ぴりりとした違和感が舌先に走る。
「って! ちょっ、これ、お酒じゃないですか!」
「あ? ただのアペリティフじゃないか」
いいだろ別に、などと呟いているがアイリは一応未成年。法律的に飲酒は認められない。ちなみにアペリティフ(=食前酒)は食事前に胃を活性化し食欲増進を促すためのもので、やや強めの酒を、食事の邪魔にならない程度、少量摂取するのが普通である。オールド・ファッションド・グラスにどぼどぼと注ぎ込むような量のジンロックを楽しむものでは決してない。
 匂いからして薬みたいで嫌だったが、なんとなくノリで呑んでみた。
「アトボンの様子はどうなんだ?」
(ま、不味っ‥‥‥‥)
結局残す。
「あいつがあんな具合だから、一度見舞いがてら、ブルンネンシュティグまで行かにゃーならんと思ってたんだ。くそ高いテレポーター代、払ってなあ」
 そう言えばチケット貰って来たから、アイリはテレポーター代が幾らか知らない。‥‥‥まあ帰り分もあるから、知らなくても別にいいかな。
「そうこうしているうちに、お前がやってきたってわけだ。‥‥‥で、例のブツは?」
例のブツ! ときたか。‥‥‥‥‥なにやらあたし、すっごい取引してる人っぽく見えなくない?
 アイリはまだ食事の運ばれてないテーブルに「ゴトリ‥‥」ペルデーノンドを置いた。
「懐かしいな‥‥‥」
ペルデーノンド―――――――このお飾りの剣を目の当たりにして、ルイズは少し眼を細めた。あの頃のままの剣‥‥‥‥‥。十数年もの時が経って、その間、自分たちはこんなにも変わったが‥‥‥‥‥‥‥この剣は変わらずあの頃のままだ‥‥‥‥‥‥。
「その剣に何か、由来でもあるんですか?」
口直しに水を飲みながら、ルイズの心理の些細な変化を看て取ったのか、そうでないのか。天然のアイリは素朴な疑問を投げかけた。
「まあ‥‥な。‥‥‥‥だが話せば大分長くなる。俺はこの剣をなるべく早く、持ち主に返してやりたいんだ。剣のことはアトボンにでも聞いてくれ」
 そうか。そうゆうことなら無理に聞き出そうとは思わない。或いは、聞いても理解できないことなのかもしれない。それは別に、アイリがばかだから、という意味じゃなくて。
「ほら、これは運賃だ」
ルイズから15,000G受け取った。おおーすげええ、と内心思ったが表には出さなかった。この程度当然、と涼しい顔をしなけばならなかった。今は、各地を旅して回っちゃったり、やばいブツの取引しちゃったりする「凄腕の冒険家」モードだからだ。
 丁度料理が運ばれてきて場の雰囲気は、これでお開き、という空気が流れた。だがアイリの用件はまだ終わってない。
「あのー」
「ん? まだ何かあるのか?」
極東部一の味に、ルイズは早くありつきたい。
 アトボンの頼みごとは二つ。一つは今片付いた。もう一つは、我らが麗しのアリエル嬢に捧げる、プレゼントのドレス作りだ。
「セブローさんって、どこにいるか、知ってますか?」
 アイリは事情を説明した。
「なるほど。たしかにセブローならうってつけだな。しかし‥‥‥」
 しかし?
「奴は今、衣裳材料を探しに西リットリン半島まで行っている」
 どこ?
 補足だが、アイリの地理の成績は「致命的」だった。
 シュトラセラトの街の西に、フォーリンロードという、緩やかに北上しつつ西へと伸びる道がある。それをひたすら道形に進んだところにリットリン半島はある。フォーリンロードはそのままナクリエマの首都ビガプールまで続いているが、西リットリン半島は丁度両都市の中間にある。陸の孤島とも言える地であり、普通この地に向かうならば何らかの移動手段を用いる必要がある。
(そうか‥‥‥‥そんなに遠いのか‥‥‥)
「そういえば、セブローに『魔法のカーペット』貸したんだっけ」
 魔法の‥‥カー‥ペット???
「空飛ぶ絨毯みたいなもんだよ」
 ふーん。
「奴に会ったら、借りるといい。俺がいいって言ってたってな」
 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥。
(ひょっとして‥‥‥‥‥‥‥これ、ちょ〜〜貴重体験じゃね?)
 空飛ぶ絨毯に乗って旅をする‥‥‥‥‥なんだか、本当にすごい冒険家になってしまったようだ。
「ありがとうルイズさん!」
「おう! セブローによろしく言っといてくれ」
アイリが去って、漸くルイズもブルースビストロのランチを堪能できるのであった。
 今日のメニューは、エビとホタテとイカをニンニクとオリーブで炒めてパセリ・赤唐辛子で色付けした「海鮮パスタ」、アサリと野菜・キノコをブイヨンベースで煮込んで白ワインとミルクで味付けした「シーフードクリームスープ」、三色パプリカの彩りも鮮やかな「シーザーサラダ」はホワイトドレッシングの酸味に食欲をそそられる。他に「真鯛のカルパッチョ」「茶碗蒸し」。あと、今日は臨時収入の当てが出来たから「ベーコンオイスターのレモン風」なんてのも頼んでみた。
「んまい!」
毎度のことながら、この味に感動して舌鼓を打つ。これで 670Gとは破格の値段じゃなかろうか‥‥‥。
(‥‥‥‥あれ? で結局、リットリンまではどうやって行くつもりだ?)
ふと先刻の少女のことを思い出す。よく考えたら、カーペットはセブローが持ってるのだから、セブローに会った後はいいとして、でもどうやってセブローに会いにいくのだろう。
(‥‥‥‥‥‥まあ、よっぽどのばかじゃない限り、宿屋で馬を借りるなりなんなり、するだろう。まさか歩いていく‥‥‥なんてわけあるまい!)
そんなことより何より、今は目の前の料理を楽しむことが大事だった。

 

 

(あたし、ばかかも‥‥‥‥)
街道を歩きながら、そう思った。
 西リットリン半島までの道のりは‥‥‥‥‥‥‥‥‥遠そうだった。さっきの話を聞いたばかりなのに、忘れてた。魔法のカーペットに乗れることで頭がいっぱいだった。
 シュトラセラト西部地域は広大な平原となっていて、その間を突き抜けるフォーリンロードは、北西の地平線に向かって果てしなく続いている。後ろを振り返れば、シュトラセラトもいまや遙か後方に小さくなってしまい、進むも戻るも絶望的なところまで来てしまった。
(やべえええよ‥‥‥‥‥あたし、やべええええよ‥‥‥‥)
 厳密には、いますぐにでも引き返したほうが安全で確実だったかもしれない。しかし、間違いとはいえ「せっかくここまで来たのに」という、苦労が無駄になってしまうようなもったいなさ感があって、それが判断を鈍らせる。そんなこんなを考えながら、体は一応前に進み続けてしまうから「戻るんだったら、さっきそう考えた時に引き返せば良かった」と、更にもったいなさ感が強まり、結局引くに引けなくなってしまってきている。
 南の空の太陽は、高く昇って広大な平原を照らしていたが、もう正午を回って大分経つので、やや西に傾き、これから徐々に沈みつついく気配を見せている。その傾向に危うさをぼんやり感じながら、アイリは遙かなる道を往く。
 フォーリンロードの南側には砂浜が広がり、そこに点在する別荘群の、そのまた遙か向こう側に海が見えた。
 アイリは海を見るのが初めてだった。本来ならばあっちまで走って行って「蟲」の赴くままに、砂浜の上を歩いたり、綺麗な貝殻を見つけて記念に持って返ったり友達に自慢したり、波打ち際をステキ彼氏と追いかけっこしたりするような妄想に駆られてみたり、渚のはいから人魚ぶりたいところだったが、どうにもそんな無駄なことをしているエネルギーも時間も、圧倒的になさそうだった。
(そういえばれもさんって‥‥‥‥‥ブリッジヘッドの出身って、言ってったっけなあ‥‥‥)
 アイリは海は初めてだったが、れもさんは子供の頃から、海で遊んだりしてるのだろうか。
 宝石を散りばめたようにキラキラ輝く白い砂浜、透き通るエメラルドの海。ビーチパラソルの陰、ビーチチェアーに寝そべって。おしゃれサングラスにトロピカルジュース。金で囲った大勢のグッドルッキングガイを並べて、そんなんにオイル塗ってもらったりフットマッサージでもしてもらったりなんなり、色々しているのだろうか。
(気にいらねえええええええ!)
 疲労と日差しの強さで、アイリの思考は若干おかしくなりつつあった。

 

 その時である。
「ぎゅるるるるるるるるるる〜」
 空腹だった。
 食事の用意もなかった。さっきまで極東部一の魚料理屋にいたのに。
(はらへった〜〜〜)
 馬もなければ、食料もなく、寝所の用意もなしに、果てしない冒険の道をゆく。あるいはこんな彼女こそ、まことに「凄腕の冒険家」といえるのかもしれなかった、悪い意味で。
(あああああああああ‥‥‥)
 この日ばかりはさすがのアイリも、自分の頭の悪さ加減に、軽く死にたくなった。

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