第7章 ちいさなパン職人たち

 ヴァリーは知り合ったばかりの仲間たちとパーティーを組んで、古都北にある「蟲の洞穴」に腕試しに行くらしい。ヴァリーと別れたアイリとレモンは小麦やイーストなど、アリエルのメモに従ってパン作りに必要な材料の買い出しに向かった。明日はいよいよアリエルにパンの作り方を習う日だ。
 翌朝早く。
「いらっしゃ‥‥‥‥って、なんですかその荷物!」
「へへへ‥‥」
アリエルを驚愕させたのは、二人が両手に抱えきれないくらいたくさんの材料を買ってきたからだ。レモンは例の「ブルジョワ買い」で、「何かに使うかも〜〜」って果物やらなんやらたくさん詰め込んだ。使わなかったらデザートにでも食べればいいという一応合理的な考えに基づいている。アイリは買い物の途中ですっかり散漫になってしまい、ビスケットやチョコレートなど、どうでもいいお菓子類を買い始めてしまった。支払いは全てレモンのカードで済ませる。
 呆れるアリエルに向かって、二人声をそろえて挨拶する。
「アリエル先生、よろしくお願いしまーす」 

 

 

 

 家の中では狭いし、アトボンの怪我に障るから、表のテーブルに大きな板を敷きそこで作業する。
「それじゃあ、まずは‥‥‥」

 

 @小麦粉(強力粉)‥‥‥200g
 Aイースト‥‥‥4g
 B(少し温めた)牛乳‥‥‥150g
 Cバター‥‥‥15g
 D砂糖‥‥‥20g
 E塩‥‥‥少々

 

「これをボールの中に入れてよく混ぜ合わせます」
(おおっ、なんか料理教室っぽい感じっっ!)
軽量カップ等で量って、アリエルに言われた通りの材料をボールに入れていく。三人一緒。そしてこねる。
「べちゃべちゃだな」「大丈夫。すぐまとまるから」「‥‥‥‥‥‥‥‥お、ホントだ」
 アリエルが台に打ち粉する。
「形ができてきたら台の上で、平たく円を描くようにこねて‥‥‥」
 こねるのは意外と重労働だ。生地をのばして、たたんで、またのばして‥‥‥。お嬢様育ちのレモンは少し手こずっている。
「こねるってけっこう大変なのね」
「そうよ。パン作るのはエネルギーいるんだから。‥‥‥じゃ次は」
 バンッッ!
いきなり。何を思ったのか、アリエルが生地を台に叩きつけた。
 バンッッ!
 バンッッ!
 バンッッ!
 すごい音。
「ちょっ、ちょっアリエル!」
 バンッ!
「な〜に?」
あまりの勢いに台が壊れるんじゃないかと思った。アリエルは涼しい顔して生地を打ち続けている。
「これもおいしいパンを作るコツなのよ〜」
「へ、へ〜〜」
にしてもすごい叩きつけ方。おとなしそうなアリエルがやるから、そのギャップに驚かされる。
「思いっっっきり、やるのがコツよ。‥‥レモンちゃん、それじゃ弱いわ」
遠慮がちに叩きつけててレモンは注意された。
「よ〜〜し」アイリは腕まくりしてやる。
 バン!
「あらアイリ、いいじゃない。その調子」
「へへっ」
こうゆう作業は好きだし得意。
 バン! バン! バン!
 でも調子に乗りすぎた。
 生地が指にからみついて、変なタイミングで離れてしまった。そのまま草むらにダイブする。
 ガサッ。
「ああああああ〜〜」
 アイリ、やり直し。
 アリエルとレモン‥‥‥‥‥失笑。
「いいわ。私ので続きやってね」
と言ってアリエルは後片付けする。心なし、叩きつける音が萎縮するアイリ。
 バン。バン。バン。

 

 

 

 こねたり叩きつけたりをくり返して、生地につやが出てくるまで。しばらくしたら丸めて形を整える。それから発酵。ボールに入れて蓋をする。
「これで1時間くらいはほったらかし」
「ええーっ! 暇じゃね?」
「アイリ、ちょっと休憩しようよ〜」
「‥‥まだナットクいかん!」
と言ってアイリは、再び材料を調合してもらって、またこね始めた。途中で失敗したから、一から自分の手で仕上げたいのだ。レモンはその間に眼鏡を取り出し、作り方をノートにメモっている。目が悪いわけではないのだが、勉強の時は眼鏡をかけると気分が出るので、今日は持ってきた。
「小麦200gとイースト4gと‥‥‥砂糖と塩は何g だっけ?」
「砂糖は10‥‥ちょっと多目で20gかなあ‥‥。お塩は少々よ」
「少々ってどれくらい?」
「う〜〜〜ん、小さじ一杯くらい‥‥? ちょっとでいいのよ」
料理なんてやったことないレモンは「少々」の勝手がわからなくて困ってる。ノートにまとめる以上、ちゃんと「何g」と記入したいのだ。
「じゃあイーストくらいでいいのね」
「そうね。調味料だから適当‥‥‥適量って言った方がいいかな。私なんか気分で毎回変わっちゃうけど‥‥。あ、でもイーストはダメよ、ちゃんとグラム量んなきゃ。イーストは数グラムで出来上がりが変わってきちゃうの。お塩は味がちょっと変わるくらいだけだけど」
その「適量」も「少々」もさじ加減がよくわからない。とにかく言われたまんまノートに書き写す。
「『少し温めた牛乳』って‥‥‥」
 と、一人で作業してるアイリも質問してきた。
「ねね! どれくらい混ぜたら『バンバン』していいの?」
「ええ〜〜〜っと」
さっきからアリエルは回答に窮している。料理は大抵、説明するのが難しい。慣れた者は感覚で済ませてしまうからだ。それを言葉に置き換えるとなると、適当な表現を探すのが大変なのだ。
「私は『耳たぶ』くらいのやわらかさって習ったかなあ‥‥‥」
(ア‥アリエルの! ‥‥‥‥‥「耳たぶ」‥‥‥‥)
レモンは大体アイリが何を考えてるが分かったが、ノートをまとめるのが忙しかったから無視した。
「て、てかレモンちゃん!! 何それっ!」
「え?」
どうにもアイリは、レモンが眼鏡をかけてるのが意外だったらしい。フレームの細い銀縁眼鏡をかける、いつもと雰囲気の違う美少女に、鼻息も荒く「蟲」が襲い掛かった。
「ちょっ、やだ、手‥きたな‥‥‥」
 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥アリエル、散々なパン教室。

 

 

 

 発酵している間は特にすることもないし、ちょっと休憩することにした。アリエルが紅茶を入れてくると、その間に二人は買ってきたチョコレートやビスケット、果物類を取り出してワイワイやっている。アトボンは寝ていると言うので、女三人だけのおやつ時間。
 会話の華が咲いたのはアイリとレモンの冒険の話だった。「こんなヤツがいたんだ」とか「あんなとこに行ってきた」とか、舌っ足らずなアイリはなんとかそのニュアンスを伝えようと一生懸命になって説明するが、所々レモンの合いの手を必要とする。それでもアリエルは楽しかった。話を聞いてるだけで、自分も一緒に冒険したような気分になったり、色んな世界に思いを馳せたりした。自分はいつも家で、同じような日々しか過ごせなかったから。

 

 

 

 60分の一次発酵を終えると、生地は大きくふくらんで2倍くらいの大きさになっていた。
「おおおおっっ! なにコレ?」
元のサイズを知ってるだけに、なんでこんなにふくらむのか原理が不思議。
 続いて「フィンガーテスト」。よくふくらんだ生地に指を突き立てる。指の跡がもどらなければ一次発酵完了、もどる場合は発酵不足。
「大丈夫みたい」「そうね!」
 それから「ガス抜き」。生地内にたまったガスを手のひらで押して全体に行きわたらせる。その感触が、またなんとも言えないほど小気味いい。
(きもちいーーー)
アイリはそれが気に入って、もう一回やりたくなったがもう膨らんだ生地はなかった。
(あとでもう一個つくろう‥‥‥)
それだけのために。
 ガス抜きが終わったら生地の分割。
「この大きさだと8分割くらいがいいわね」
スケッパーを使って生地を切り分ける。半分に、また半分に、半分に。その一つ一つを切断面を包み込むように優しく丸めて形を整える。それを固くしぼったフキンで包んでしばらく置く(ベンチタイム)。
「ええーっ! また待つの?」「今度のは15分くらいよ」
「‥‥ベンチタイム15分おく、と‥‥‥‥」レモンは忘れずにメモを取る。
 パンがベンチタイムを取っている間、娘三人またおやつタイムになる。

 

 

 

 成形。
「今日はバターロールにしましょー」
生地一つ一つをしずく型にして、それをめん棒でのばし、細い二等辺三角形状にする。幅広の方から巻いて、巻き終わりが下にくるようにしてオーブンの天板に並べていく。生地が乾燥しないようにフキンをかぶせ、熱湯を入れたボールの上に天板を敷いて、二次発酵小一時間。
(ま、またかよ‥‥‥)
「はいはい、そんな顔しない。料理は根気よ」
 ヒマなんでやっぱりまた新しいのをこね出すアイリ。
 アリエルはアイリが後から作った生地を成型しつつ、「なんで熱湯のボールの上に置くの〜?」レモンの質問攻めに応じている。
「発酵に適した温度とかがあるの」
「へ〜」
「細かいことを言うと、パン作りってキリがないくらい数字が出てくるのよ」
「すうじ?」
「うん。私も全部しってるわけじゃないんだけど」
めん棒で生地をのばしながら話す。
「たとえば、発酵の時には温度が30℃で湿度が80℃くらいが一番生地がふくらむとか、だから夏と冬では材料も分量が変わったり発酵時間も変わってきたりとか、砂糖は小麦の何%くらいまでじゃないとダメとか、‥‥‥‥もうとにかく色々あるの」
「へ〜〜(こんなに覚えれるかな‥‥)」
「だからおいしいパン作るには、すっごいたくさんのコツがあって、それがきっと全部うまくいかないと本当においしいパンって出来ないのかもしれない‥‥」
「そうなんだぁ」
レモンの「『PEATER PAN』のようなパン作りの夢」はもろくも崩れそうだった。
「でもね、最初からそんな細かいことは、なしでいいと思うの」
「‥‥?」
「さっきも言ったけど、パンって材料とか時間とか、ほんのちょっとしたことで仕上がりが変わってくるのね」
「うん」
「だから思うようにいかなかったり、毎回同じように作れなかったりするけど」
「‥‥‥うん」
「それって『表情』だと思うのよ」
「?」
「私が作ったから、こうゆう風に仕上がった‥‥‥みたいな」
「‥‥‥‥」
「私が材料量って、こねて発酵して、‥‥私が焼いたから、このパンはこう仕上がったんだ、って思うの」
アリエルの生地を丸める作業は、さすがに手慣れている。
「職人さんが作ったおいしいパンは、勿論すごいけど。このパンだって私が作らなかったら世の中に存在しないパンだったんじゃない?」
生地のひとつを成型し終えたアリエルが、レモンの目を見て話す。
「だからね」
次の生地をのばしながら。
「私は世界でたった一つのパンを作っている、って思うのよ!」
言いながら半分、照れ笑い。その笑顔に少しつられそうになる。「それってすごいことじゃない?」
「だからレモンちゃんも、最初は気にせず作ってみて、コツとかおいしいパンとかは、慣れてきてから覚えればいいんじゃないかな?」
「そっかあ〜」
「そうよ」
無意識だったが、この時レモンはノートを閉じた。パンを作る‥‥‥‥‥それがどういうことなのか、少しわかってきた気がする。
「てか初めからおいしいパン作れたら、職人さんなんていらないじゃない!」
「それもそうだねぇ〜」
「そうよ」
二人して笑う。

 

 傍らで生地をこねながら、アイリは二人のむつかしい話を聞いている。
 内容はよくわからなかったが。まあ二人とも楽しそうだし、よかったよかった。
 それにしても‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥アリエルったらキレイだな。
 レモンちゃんもかあいいが、見た目だけじゃなく、料理つくったり親父さんの世話したり。
 ああゆう人を奥さんにした人は「シヤワセ」なんだろーな。
 ああ、あたしもがんばって料理くらい覚えなきゃ。
 そうして、いつかステキなカレシを‥‥‥‥‥。
 そう思った矢先。
 考え事のせいですっかり指先が散漫になって、台に叩きつけていた生地がまた草むらにふっ飛んでいった。
(ああああああああああ‥‥)

 

 

 

 焼成。その前に「ぬり玉」。溶き玉子を刷毛を使って生地の表面に薄く塗る。
「こうすると出来上がりがツヤツヤして、おいしそうに見えるのよ」
20分ほどオーブンにかけたら‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥出来上がり。
「うわぁーっ」
アイリとレモンがそろって歓声をあげる。焼き立てパンの芳ばしい香りが室内に立ち籠め、ちょっと焦げ目のついたつややかなバターロールたちが顔を出してきた。想像以上の出来上がり。しかもそれらが、自分たちの手で作ったパンなのである。
「おいしそ〜〜〜〜!」
一刻も早く食べたいものである。アイリもレモンも心ときめかせて、アリエルがサラダやジャム、チキンスープを手際よく食卓に並べるのに、手伝うのも忘れている。今日はアトボンの具合がやや思わしくないので、4 人は室内で食事を取ることになった。

 

 

 

「いただきまーす」
一口食べてみて。
(あ‥‥)
 ‥‥‥‥‥‥‥‥少し固い。「PEATER PAN」みたいなふわっと感がなく、小麦がつまってる感じがした。
 二人の表情をアリエルが慮る。
「そりゃ最初からは‥‥‥‥ね」
見た目や香りから、期待していただけに、ちょっと‥‥‥。
「でもおいしいわよ」
アリエルはそう言ってくれたが。女として、心にふつふつと湧き上がってくる感情がある。
(もうちょっとちゃんとしたの作れないとダメなんじゃね‥‥‥?)
そんな心内反省を汲み取ることなく、アトボンの感想。
「フム‥‥‥。ちょっと固いな」
(くっっ‥‥‥)
「この野菜スープおいしぃねぇ〜」
レモンの言うとおり、たしかにスープはうまかった。鶏肉をベースに、玉ねぎ・にんじん・セロリなどの野菜がふんだんに盛り込まれ、パセリで彩られている。
「ああ、これはすっごい簡単なのよ。鶏肉と余った野菜入れて煮込むだけ」
(でもよく考えたられもさん‥‥‥‥‥‥‥金持ちの割には、何食っても「うまいうまい」言ってね‥‥‥‥? いや、そりゃ、アリエルの料理はうまいけどさ)
 そうこうしてる内に焼きあがった第二陣のバターロールをアリエルが運んできた。全部足して24個のバターロール。
「おい、こんなにたくさんのパン、誰が食うんだ?」
「お父さんでしょ」
 デザートにはレモンが買ってきた葡萄を摘んだ。いわく「こっちは別腹」とのこと。

 

 

 

 食事が終わった後、アイリとレモンは懇願した。
「えーっ、まだ作るの?」
「お願いアリエル!」
こね方とか発酵の具合とか。もっと細かい指摘をもらって、少しでもおいしいパンが作りたいのだ。二人のパン作りに対する気持ちは「一矢報いる」というのに近い。
「いいけど‥‥‥‥。でも、作ったパン、どうするの?」
「あ‥‥‥」
正直レモンはそこまで考えてなかった。確かにみんなもう、おなかいっぱいだ。そこで‥‥‥。
「いい案があるよ!」
そう言ってアイリはライトブラウンの瞳を輝かせた。
(ひそひそひそ‥‥‥)
「あら!」「おもしろそぉ〜〜」「でっしょ!」
三人、アイリの案にのることにした。

 

 

 

 パン教室、午後の部。ひたすら生地をこねるアイリ、レモン、アリエル。
「なんだ。またパン作ってるのか‥‥‥」
午後になって具合が良くなったのか、アトボンが表に出てきた。起き上がってきたのは、具合が良くなったからか、あんまり熱心にパン作りに興じている三人の娘に茶茶を入れるためだったかは、不明だ。
「お前らそんなにパン作ってどうするんだ?」
「ふっふっふ‥‥‥」
「?」
娘三人、笑い方が不敵である。
「いいからお父さんは部屋で休んでなさい」
アリエルに押し込まれてアトボンは「何だ?何だ?」家に戻されて、「バタン」戸口を閉められた。
「おとなしく寝て待っててね」
一人だけのけ者にされる、そんな目に遭いながら、父は密かに神様に感謝した。あんなに楽しそうな娘の姿は、久しく見たことがない。―――――――あんな風に笑わせてくる、そんな良い友達を使わせてくれたことに対して。

 

 

 

「ねえ」
アリエルが二人に呼びかける。
「ん?」
「せっかくだから色々作ってみない?」
アリエルの目が活き活きとした光を放っている。アイリは初めて会った時は、アリエルの瞳は切れ長かと思ったが、笑うときや驚いたりするときは、大きく見開かれてまんまるの瞳を覗かせている。その表情の変貌っぷりが猫の眼のように多彩な表情を見せた。アイリより少し深いブラウンの瞳。
「いろいろ?」
「うん」
アイリたちが買ってきた買い物袋をガサゴソと。中身を取り出す。
「あんぱん、ジャムぱん、チーズロール、ソーセージロール、チョココルネ‥‥‥これだけあったら色々作れるわよ! ウチにあるジャガイモ使ってベイクドポテトとか!」
「おおっ!」
ベイクドポテトは「PEATER PAN」でもアイリのお気に入りのラインナップのひとつ。少し固めのパン生地の中にまるごと一個のジャガイモを包んで一緒に焼き上げたもの。乾いたパンとポテトの塩っ気が絶妙な味わいと、食べごたえをかもし出している。
 ジャガイモとは稀有な食材だ、とアイリはしみじみ思う。焼いても炒めても揚げてもふかしても、どう調理してもそこそこおいしいし、値段もお手頃。一般庶民の心強い味方だ、と勝手に一般庶民を代表して思い込んでいる。そして、そんな中でも垂涎の一品「ベイクドポテト」が、今まさに自身の手で再現されようとしているとは‥‥‥‥‥。
「固めの生地? バタールか何かかな‥‥‥。今日は普通のパン生地だから、出来上がりはちょっと違うかもね」
夢はいきなり打ち砕かれた。
「まあ今日はそんな細かいことは気にしないの! 色々おためしでやってみて、失敗したら、そこから学習しましょ〜」
まあアイリも初めからそんなこだわりを持ってパン作りに臨んでいたわけではないが、そんな風に微笑みながら言われると「まいっか〜」という気持ちになってくる。そもそもアリエルの様子がとっても楽しそうで、つられそうになる。
「私もやったことないの挑戦してみるけど、失敗したらゴメンね!」
「失敗したらどうすんの?」「お父さん行き!」三人はくすくす笑った。

 

 

 

 失敗は恐れずに、三人は思い思いのパンを作った。基本は生地の中に具材を挿むだけだが、「出来上がりはどうなるんだろ〜」「お店のパンみたいにできるかなあ〜」などと期待も一緒にふくらませながら作り続けた。アリエルの提案で揚げパン仕立てのも作った。オーブンだけでは一回で焼き上がる数に限りがあり、その間ヒマになってしまうことからの気転だった。
 またアリエルの話だと、パンの生地とちょっと混ぜる材料を変えるだけで、ドーナツやピッツァも作れるらしい。今度はそうゆうのも作ってみようと。三人でアイデアを出し合って色んなパンを作るのは、楽しかった。
 溢れかえるキッチンの活気に傍らで、
(そんなにたくさん‥‥‥‥‥どうするのか‥‥‥‥‥‥‥‥‥)
アトボン一人だけ不安だった。

 

 

 

 作る数に比例して、失敗作もできてしまった、勿論。
 最初の失敗はレモン。発酵でいくら待っても生地は一向に膨らむ気配がない。「何がいけないんだろ〜??」
 色々調べてみた結果、実は、砂糖と塩の量を入れ間違えるという、典型的な料理できないっ子的ミスを犯していたことが判明した。
「あっはっはー」アイリ、アリエルに笑われる。
「だって〜〜〜いつの間にか、砂糖と塩の容器が逆になってるんだもん」
確かに朝から調味料のビンは、砂糖が左で塩が右に置かれていた。それがいつの間にか塩が左で砂糖が右になっていた。おそらく「誰か」がビンを置き違えたにちがいなかった。
「砂糖と塩なんて全然違うんだから、見てわかるでしょ」
料理できるっ子アリエルのつっこみが手厳しい。
「あっはっはー。れもさんドジだなあー」
とゆうアイリには、ビンを置き違えたのが「誰か」などというのは微塵も念頭にない。

 

 

 

 続いてアイリ。ただしこれは発覚しなかったプチ失敗。
 アリエルの提案で「変わった形のパンを作ろー」とゆうことになって、動物をかたどったパンを作ることになった。装飾にドレンチェリーやレーズンを添えると、一気に本格的っぽくなった感じがする。レモンはウサギやらイヌやらを上手に焼いて、アリエルに誉められたりしていた。
 アイリは「ネコ」が好きなので(自身もネコのように、勝手気ままな性格をしているせいか)、それを作ってみたところ、ちょっと目のところの生地がふくらみ過ぎてギョロっとした感じになってしまった。でもアリエルには「あら〜〜上手に焼けたじゃない」誉められた。
「えっ! そ、そうかな?」
自分的には失敗かと思ったが、料理上手なアリエルから誉められると、ちょっとうれしい。
「うん。よくできてるじゃない、『クマ』さん」
(‥‥え?)
「ね〜〜レモンちゃん。アイリのパン見てみて」
「あ〜〜〜かわいいのできたじゃん。『クマ』さんね!」
(‥‥‥‥‥ちょ‥‥おまいら‥‥‥)
アイリを無視して二人は、パンの出来にキャッキャッ言っている。が、当人としては誉められれば誉められるほど、なんとも言えない気持ちになってくるものである。しかもレモンに関しては「アイリのことだから、細長いパン作って焼いて『はい、ヘビパン出来上がり〜』とかやってるかと思った!」などと勝手なことを言ってるのが聞こえてくる。
(ま、まあ‥‥‥‥ネコもクマも、割りと近い方よね? ‥‥‥‥ってか、レモンはあとでシメる)
「アイリは手先器用っぽいから、パン作りの才能、あるかもね!」
「は‥はは‥‥‥ははははは‥‥‥」

 

 

 

 大小さまざまな失敗はあったが、この日最も大きな失敗をしたのはアリエルだった。アリエルは層の薄いクロワッサン作りに挑戦して、見事に失敗、真っ黒こげになった。
(‥‥‥やっぱり、あんまり層を増やし過ぎると生地が薄くなって、焦げやすいわ‥‥‥‥‥デニッシュ系は砂糖も多く使うし‥‥‥‥‥かといって焼成時間を短くすると、中が生焼けに‥‥‥‥‥‥‥ぶつぶつぶつ)
と、なにやら一人でつぶやいていたが、内容が高度過ぎてアイリとレモンにはさっぱり‥‥‥。
「それじゃあお父さん、お願いします」
「なんと!」
娘にガンにさせられるかと思った!
「あっはっはー」
などと声を上げて笑い、親子のやり取りにすっかり気を取られているアイリだが、この時の揚げパン(ソーセージロール)担当だった。そうこうしている間に刻一刻とパンは黒味を増していくのだが‥‥‥‥‥‥‥全く気づかない。結局、アトボン行きとなる。アイリ、この日のおもだった失敗全てに絡むとゆう奮闘ぶり。

 

 

 

 で、作ったパンをどうしたのかというと。
「焼き立てパン、いかがっすかあーー」
売ってみた。古都西口で。勿論アイリの案。ブルネーゼらしき、逞しき商売根性である。
 しかし自分たちの作ったパンが売れる、人に買ってもらえる、というのは言い表し難い想いがあった。もし「おいしかったー」などと感想がもらえたら、何にも勝る感動であろう。不慣れなところはあったとしても、まぎれなく自分自身の精魂こめて作った「作品」なのだから。だから、実は一番乗り気だったのはアリエルだった。料理なんて今まで父のために、さも当たり前のように作り続けてきたが、誰かに誉められたり評価されたりすることなんてなかったのだ。
「おひとついかがですかー」
バスケット片手に。掛け声にも、誇らしさのような感情が入り混じる。
「焼き立てパンですよー」
レモンもそれなりに楽しんでやっている。アリエルもレモンも、普段掛け声のような声量を発することなどあまりないから、こうやって大声をあげて叫ぶのは新鮮だ。胸がすっとするような清々しさがある。
「ヘイらっしゃあーーい!! パンだよ! 安いよ?」
肩掛け背負って威勢のいい掛け声を張り上げる、そんな新鮮さとは無縁な、地のアイリ。
 大体一個20Gくらいで売る。普通、古都のパン屋なら30〜50Gくらいだから少し安めの設定。儲けるのがメインじゃないから、それでいい。そうでもしなきゃ売れそうにないパンもある。
 ちょうど昼下がりのおやつの時間ごろ。古都西口には近くで畑仕事に精を出す農家たちや、今日の旅を終えて帰る冒険家、これから夜を跨いで遠出する冒険家たちが往来している。
 娘三人だけの小さなパン屋のお店が開かれると、お祭り好きのブルンネンシュティグの民たちは「何事か」とその賑やかさに釣られてと覗きに来てしまう習性がある。「なんだなんだ?」
「へー珍しいな! 二つもらおうか」
「まいどー! 40Gです」
意外と売れる。価格が普通のパン屋より安いのと、あと一応アリエルといい、レモンといい、アイリといい、ブルンネンシュティグを代表するクラスの美女(役一名は口を閉じている、という条件付きだが)である。やさぐれた冒険家がほんの少しの癒しを彼女たちに求めて買いにきたり、ちょっと話しかけるきっかけづくりに様子を伺いにくる者がいたりする。
 そのせいでトラブルに見舞われたりもした。
「20G? 随分安いじゃないか」「当たりとハズレがあるからね!」
などとアイリが機転の利いた回答でやりとりしている傍らで、
「お嬢ちゃんどこに住んでるの?」
「今度オレらと呑みにいこーよー?」
冒険家二人に迫られ、裁き切れずに困っているアリエルの姿が見えた。誘い方も若干、粘着質だ。
(ムムッ、アリエルのピンチ!)
荷を降ろして助けに行こうと、思った瞬間。アリエルの前に颯爽と現れる小男がいた。
「すいませーーーんこれいくらですか!」
―――――――ヘバだった。
「あ‥‥どれも20Gです‥‥‥」
「じゃあコレとコレとコレとコレ、ください!!」
ヘバはたくさんのパンを抱えて‥‥‥何を思ったのか、その冒険家たちの前でムシャムシャ食い始めた。
「あーーおいしーなああーーー!」
食べながら小男ヘバは冒険家たちをニラみつける。その気迫に押され――――――たわけじゃなく、ただなんとなく気味悪がって「おい、行こーぜ」冒険家たちは行ってしまった。
 一部始終を見ていたアイリは、正直ちょっと、ヘバを見直してしまった。手段はともかく、一応ヘバはアリエルの危機にかけつけ、男たちに向かっていったのだ。それも自分よりも背の高い(大抵の成人男性はヘバより背が高い)武装した冒険家相手に。まあ彼らとしても、明らかに自分より下回るヘバに対して、弱い者いじめは性に合わなかっただけなのかもしれないが。
「ありがとうヘバ。助けてくれて」
アリエルにお礼を言われると、ヘバは顔をオクトパスのように真っ赤にさせて、逃げるように走って行ってしまった。
(うししっ、だらしねーのー)
「お嬢ちゃん、この『クマ』さんパンくれるかいー?」
(なに?!)

 

 

 

 そんなこんなで、三人のパンはよく売れてった。
 アイリは思う。なんといっても「売り子がいい」からだ。ストロベリーブロンドの髪にエメラルドグリーンの瞳のレモンは、この世の女の子の中でもずば抜けて可愛いらしい容姿の持ち主だし、長く綺麗なスラっとした黒髪のアリエルは、笑顔も話し方も奥床しくて、不思議と人を安心させるような魅力に溢れている。
 丁度レモンは自分についた5、6人くらいの客に応対している。彼女はその美貌を活かして、至る所で小ハーレムを作る才能があるようだ。
「ね〜コレいくら?」
「う〜ん。70Gなんだけど、特別に60Gに負けてあげる!」
(おいおい‥‥‥なんだその値段わ‥‥‥‥‥‥)
商才もあるらしい。
「すいませ〜〜ん。アリエルさんですよね〜」
「ええ、そうですけど」
今度はアリエルに三人組の男が話しかけてきた。
「ミス・コン、見てましたよ〜」
「俺らみんな貴方に投票したんですよ〜〜」
「あら! ありがとうございます」
どうもコンテストでアリエルのファンになった人たちらしい。ここの噂を聞きつけてやってきたのだろうか。アリエルは同性から見ても、とても感じのいい人なのだ。そんなアリエルが他の人にも好かれるのは、なんだか嬉しいような誇らしいような、不思議な気持ちになれるのだ。
(‥‥‥てかっっ!)
レモンとアリエルはそれぞれ複数のお客さん相手に楽しそうに談笑している‥‥‥。なのにそこであたしだけ誰もお客がいないんじゃ! なんかあたし一人ダメな子みたいじゃんかっっっ!
 などと勝手にアイリが自意識過剰な心配をしていたところ、
「すいません、一個くださいな」
にこやかな笑顔の剣士が声をかけてきた。
(おお〜〜〜!)
とりあえず自分に客がついて安心するアイリ。
「こんなとこでパン屋なんて、珍しいね」
 屈託のない笑顔を浮かべるその剣士は、よく見れば顔もまあまあ美形な方だ。しかし不思議なことに、アイリの「蟲」は騒がなかった。それはその剣士の持ち合わせる雰囲気のせいだったのだろうか。剣士は気さくで馴染みやすく、まさしく好青年といった様子で、相手にある種の居心地の良さを感じさせてくれる温和さがあった。その魅力は、アイリにとって「異性」としてよりも「友人」という位置においてこそ、発揮される類のものだったのかもしれない。あるいは、ちょっと会っただけなのに、もう随分昔からの親友のような気さえしてくるのだった。
「うん。でも今日だけなんだー」
「そっかー」
などと言葉を重ねていると、
「おい金!! なにやってンだ! さっさとしろっ!」 
遠くから乱暴な言葉が投げつけられた。見ると、これからプラトン街道を西へ向かおうとする冒険家のグループがいて、その中の長槍を持った大男が叫んでいた。―――――単純に「大男」と思ったが、かなりのデカさだ。2mほどありそうなその身丈は、他の者よりも頭二つ分くらいデカく、もはや人間族の範疇を越えて巨人族に近かった。ストレートの金髪を肩まで垂らし、凛々しい眉毛をいからせている。右手にこれまた長く重そうな十文字槍、紫色の独特な全身鎧に身を包んでいる。がっちりとした下顎骨といい、そこから発せられる声の太さといい、その身に漂う重量感は圧力的ですらあった。
「おう分かったー! 今いくー!」
まったくうっせーよなー、などとグチりつつ、剣士は罪のない笑顔を浮かべている。
 結局、剣士はパンを二つ買っていった。去り際、こう呟く。
「あいつな、あんなナリしてるけどな‥‥」
「?」
「あいつの名前、ムー・ムーってんだぜ。‥‥‥可笑しな名前だろ」
「‥‥‥‥‥ぷっ‥‥あははっ」
少し考えてから、吹き出し、アイリは普通の女の子のように笑った。
(あんなごっついのにねえ‥‥‥でもちょっとかわいいかも!)
「おい! 早くしろっ!!」
「はいはい。いま行きますよ、っと」
爽やかに手を振りながら、剣士は行ってしまった。この剣士、名前は坂本金太郎といった。この時は名乗らずに行ってしまったから、アイリがその名を知るのはもう少し後のことである。彼らもまた赤き宿命の糸に手繰り寄せられて、数奇な運命を辿ることになる者の一人なのだが‥‥‥‥‥‥‥‥‥それはまた少し後の話。

 

 

 

 パンはもう随分と売れた。客足も途絶えて、古都西口に人気もなくなった頃。アリエルがこっそりレモンに話しかけた。
「ねえ、アイリったら本当におもしろいコね! いっつもあんななの?」
どうもアリエルは大分アイリが気に入ってしまったらしい。
 しかし、それは危険なことなのだ。自分なんかがそうだけど、おばかなアイリのペース―――――――わがままで、思いつきで、無計画な気分屋で。そんなんに合わせてたら、穏やかな毎日がしっちゃかめっちゃかになってしまう。
「そんなんじゃないよ〜。いっつもメンドーごとばっか起こすし〜〜。大変よ〜〜〜」
「そうなんだ‥‥‥」
「まぁ〜たしかに、一緒にいてて‥‥飽きないけど」
「だよね〜」
見るとアイリはまだ「焼き立てパンいかがっすか〜〜〜」などと威勢よく叫んでいるが、見渡す限り辺りにはもう誰もいない。
 なんとなくレモンはイラッときて、げん骨でアイリの頭をぶった。
 ゴチンっっ!
「よく見てアイリ! ここらにゃーもう、誰もいないでしょっ!」
レモンに叩かれる‥‥‥‥その肉体的、精神的ショックからアイリの瞳に泪がにじんできた。
「れ‥れもさんが‥‥‥‥‥‥‥‥‥ぶったあ〜〜〜〜」
後頭部押さえて、半泣き。
 レモンはあせって「なによ?」強気な態度に出たが、内心ちょっとやり過ぎたかと思っている。けれど今更引き下がれないような気もしてる。
「うわ〜〜んアリエル、ばかれもんがぶった〜〜〜〜」
「お〜〜よしよし、いいコだね〜」
「ちょっ、私、悪者みたいじゃない! ‥‥‥‥‥‥‥てか今バカって言った?!」
あせって声を張り上げたレモンに、半泣きだったアイリが表情をコロッと変えて、悪戯っ子のような目で見やる。そして笑った。アイリのそれが演技だったとわかると、無駄な心の葛藤を迫られたレモンは、その分若干本気で怒り出した。
「あ〜〜い〜〜〜りぃぃぃいいいいい」
アイリが逃げたから、レモンは追いかけた。二人の追いかけっこ、一生懸命つかまえようとしてるけど、足はアイリのが速いに決まっている。それにどう考えても、レモンのあのベルラインドレスがかけっこに適しているとは思われない。肩掛けを背負ったままアイリは悠然と逃げ続けた。
「待ちなさ〜〜〜〜い!」
 アリエルはおなかを抱えて笑った。彼女たちのせいで今日一日たくさん笑ったから、腹筋が筋肉痛になるかと思った!こんな日が今日も、明日も、あさっても。これから毎日ず〜っと続けばいいな〜と思った。
「あっはっはーーばかれもん♪」
「きぃぃぃいいいいいっ!」

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