第6章 冒険家に憧れて(後編)

  二人の冒険は順調だった。‥‥‥‥‥‥けど、何か忘れてる気がするんだよなあ〜。 
「ねえアイリ。やっぱさ、その木の棒ずっと使っていくの?」
「え? ‥‥うん。なんかもう馴染んちゃってさ〜〜」
ベーカリーショップ「PEATER PAN」でお気にのパンを頬張る二人は、すっかり店の常連だ。
「へ〜〜。でもさ、初めから刃のついたのにすれば、いちいち魔法使わなくてもいいのに」
 ‥‥‥‥‥‥。
「それだ!」
「?」
「その方がずっとラクじゃん! レモンちゃん、なんで教えてくれなかったの?」
(そんなことも気づかなかったのか〜〜〜)
 アイリったらすごいんだけど、ほんとおバカ。
「そういえば、ウチのメイドにも趣味で薙刀やってる人いるよ」
「メ・イ・ド?」
(こらこら)
どうやら「メイド」とゆう単語にもアイリの「蟲」が発動するらしい。
(親父キャラだわ)
「メイドっていっても、もう大分おばあちゃんよ」
「な〜〜んだ」
「でもすごいの! ね、聞いて。普通おっぱいって柔らかいでしょ?」
アイリがまた変な想像していそうだったが無視して続けた。
「その人ね、薙刀やってるせいで体中ムキムキになっててね、胸さわらせてもらったら‥‥‥‥カチンコチンなの!」
「ほえ〜〜〜」
「信じられる? 男の人みたいに、おっぱいかったいんだよ」
まあ、なんとも羨ましくない話である。
 ‥‥‥‥‥まてよ?
「‥‥‥‥てかさ、あたしも‥‥‥‥‥そうなっちゃうんじゃね? 槍、使ってたら‥‥」
たしかに最近、過酷な肉体労働ばかり。酷使しすぎて、二の腕がいつもパンパンになっている。このままいったら‥‥‥‥‥腹筋が割れて‥‥‥‥‥おっぱいカチカチになって‥‥‥‥‥‥‥全身ムキムキマッチョマンに?? ‥‥‥‥想像しただけでも恐ろしすぎる!!!
(ああ〜そうかな〜。あの人だけ特別なのかな〜。みんななるのかな〜)
「ちょっ、まずくね? コレ」
「そうかもねえ〜〜」
愉快そうな相づち。
「他人ごとかよ!」
「まあいいんじゃないの。可愛くなくなるけど、ちょっと変わった生き物になるだけだよ」
「全然だめじゃん!」
「でもアイリ強いし、かえってモテるかもよ? ‥‥‥‥女からは」
何気に、たくましいから実はすでに女子からの人気は高いアイリであった。
「イヤッ! 男子からモテたいの!」
アイリの顔が必死というか、半分泣きそうになってきてるので、面白いけど、からかうのも程々にしとこう。
「まあ、じゃあさ。女でも使えそうなエ・モ・ノ・探し、とでも行きますか!」

 

 

 中央広場の近くに、弓矢を中心に扱っている武器屋がある。
「これならアイリも大丈夫なんじゃない?」
確かに弓なら、どこかのメイドさんのような心配はなさそうだし、距離を取って戦えるから安全そうだ。でも、
「う〜〜〜ん」
弦を引いてビヨンビヨンしながら、アイリはどうもしっくりきてない様子である。
「なにがダメなの?」
と、言われても、アイリ自身にもわからない。展示されてる弓は安くて簡素なものから、立派なものは息を呑むほど値が張っている。
「30,000ゴールド‥‥‥」
とてもじゃないがこんな値段払えない。しかし、それすらも、何かアイリの心を射止めるものが欠けている気がする。
「あんまりいいのがなかったかな?」
店主のトンキンさんが話しかけてきた。
「そうだなあ。武器屋といっても品を流してるだけだからな〜。‥‥‥もし自分オリジナルの弓が欲しいなら、特別に作ってもらうってのはどうかな? その気があるならこいつを訪ねてみな」

 

 

 

『エイドゥルの弓』
 モンスターたちが凶悪化してきている昨今、身を守る防具の需要は年々高まってきている。防具屋のエイドゥルは強力な具足作りに余念がない。出来上がった鎧や兜を、実際にモンスターの武器を使って攻撃してみて、欠陥の調査をしたり材質の耐性を研究したり、品質の向上に励しんでいる。
「弓ならエルフの奴らがいいのを使っているな! 取ってきてくれれば、改造しておまいさん専用の弓を作ってやるよ。エルフの森は『木妖精の庭園』がここらじゃ一番近い」
 自分専用オリジナルの弓‥‥‥‥‥。なんという魅力的なフレーズではないか!
 二人はすぐさま木妖精の庭園に向かった。

 

 

 木妖精の庭園――――――古都西口をプラトン街道沿いに進んで、左手に旧レッドアイ研究所(通称「赤目」)を臨む地点、そこを右手に向かったところ、北方に広がるステップ地帯を指す。
 アイリの視力が遠くに佇む「亜人」を発見した。
 人間に比べて細身で背が高く、エルフは長い手足をしている。その端整さ、しなやかさは「萌え〜」どころではない。「芸術的」ですらあった。その美を体現せしむるは神話の世界の住人か、古代彫刻だけであろう。その手には確かに、弓が握られている。
 向こうもこちらに気づいたようだ。
(話したら分けて貰えるかな‥‥‥‥‥‥‥って、ちょっ!)
 いきなり、先制攻撃。
「ヒュン!」
 矢が耳先を掠めた。
(あ、あぶなっ!)
 心が凍る。
「ヒュン! ‥‥‥‥‥‥ヒュン!」
次々と矢を射掛けてくる。なんという好戦的種族!
(まじ死ぬっっっ!)
 交渉どころではない。
「レモンちゃん逃げて!」
本来ならレモンの雷魔法を当てにしたいとこだが、そんな元素あつめてる時間がない。あたしがなんとかしなくっちゃっ!
 距離も時間も、空けるのは危険だ!
 矢面のアイリは右手に木の棒を抱えて、右から回り込むようにエルフに向かっていく。反対側に、逃げるようにして左から回り込もうとする、レモンの姿が見えた。
(一発くらいは覚悟しなくちゃ‥‥)
矢撃を掻い潜って、無意識に左手で顔だけはガードしている。走りながら元素も溜める。
 距離が詰まる。
 至近距離。
 エルフは矢を番えて狙いを定めてる。
(こんの〜〜〜〜)
 咄嗟のサイドステップ! エルフの放った矢が、アイリの顔面のあった場所を通り抜ける。
「ばかちんがっ!」
「フガッ!」
 あわれ、芸術的な彫刻は、地面に崩れ落ちた。

 

 

「ハァ〜〜死ぬかと思った」
その言葉は半分シャレになってない。が、なんとかエルフの弓を手に入れることができた。
 森の妖精エルフは、人間に比べて自然との交流がより密接なだけに、その造詣も深いものがある。弓作りに適した材質や元素の恵みの豊かな、霊験灼たかな木材を目利きして、弓を作ることが出来る。
 目的のブツを入手して、早々に引き上げようとした。が―――――。
 ふと、遠くの草原から疾走してくるエルフの集団が見えた。気のせいでない限り、真っ直ぐこちらに向かってくるようだ。
「れ、レモンちゃん‥‥あれなんだろうね〜〜」
「さ、さあ‥‥‥なんだろうね〜〜」
 エルフたちは距離もお構い無しに矢を撃ち放ってくる。放たれた矢は二人の周りで「ヒュンヒュン」、地面や近くの木に「ストンストン」突き刺さる。
「ぎゃああああああああああああああああああああ」
全力で逃げた。
「ビュン! ‥‥‥ビュン! ビュン! ‥‥ビュン! ‥ビュン!」
 矢が雨のように降り注ぐ中、二人は走った。
「ア、アイリ! 待って‥‥」
「れもさん、なんでそんなカッコしてんの?」
レモンは腰周りからスカートが鐘形に膨らんだベルラインドレスをいつも着込んでいる。裾が地につかないように、スカートを持ち上げながら走っているのだが、どう考えてもかけっこに適してる格好とは思われない。
「おシャレだから‥‥」
「さよーなら」
アイリはびゅんと加速していく。
「ああ〜〜〜ん。待ってえ〜〜」
 依然としてエルフは射撃は止まらない。寧ろその数が増えているようだった。彼等が矢を放つと、弓の弦は楽しそうな音を立てて振動していた。
「ビュン! ビュン! ‥‥ビュビュン! ビュン!」
 エルフ―――――――「森の守護者」。その美しい容姿と豊かな自然を愛する心とは裏腹に、極めて厳しい戒律を重んじる種族である。彼等にとって戒律は、何よりも尊守されるべきものであって、それを犯すものは同族ですら厳しい処遇に遭わせられる‥‥‥‥‥と言うが、他種族なら尚更である。その戒律がどのようなものか全ては判明されていないが、少なくとも人間族はそれに抵触するようで、排他的な彼等はその作業を実に統一された思想のもと行う(要するにテリトリーに踏み込んだ人間に集団で襲いかかってくる)。特に嫌いなもの―――――――戒律を破る者・森を汚すもの全般・ドワーフ・人間。
「アイリ〜〜〜〜! 待ってええ〜〜〜〜」

 

 

「ほ〜ら、できたぞ」
さすが言うだけのことはあって、エイドゥルはあっという間にアイリの弓を拵えた。弦を張り替えただけに見えたような気がしないでもないが、細かいことは気にしない。
「おおおおおおおおおお!」
アイリは感激しながら何度も弦を引っ張ってみたりした。
(これがあたし専用の弓か‥‥)
実際にはエルフの弓を素材にしただけの簡素なものなので、軽くて持ち運びし易い程度で、数万ゴールドするような高価な弓に性能は及ばない。しかし、アイリにとっては「自分専用」とか「オリジナル」とか「世界にたった一つ」とか、そうゆうフレーズにすっかり心を奪われているので、それ以外のことは割とどうでも良かった。
「ねね、見て。私専用の弓だって! すごいでしょ‥‥」
話しかけたがレモンはさっきからずっと不機嫌だ。しかめっ面で、特に意味もなくアイリの背中をパンチしたりしていた。アイリにはその理由がよく分からなかったが、
(ま、いっか!)
自分専用の武器が手に入って、大分ご機嫌だった。
(今回のはいい仕事だった!)
ちなみに、あんまり喜ぶからエイドゥルにも気に入られたようだ。
「また何かあったら言ってきな! お前さんなら特別割引だ」
(う〜〜〜)
レモンだけがふくれてた。
 報酬―――――0G 。アイリ専用強化弓―――――5,000G相当。生死を共にした仲間との友情―――――プライスレス。
(共にしてないでしょ! 一人で先に逃げたでしょっ)

 

 

 

 新しい武器を手に入れたからといって安心はできない。アイリは生まれて此の方、弓など使ったことがない。
 正確にいえば学校の授業で、習ったことはある。しかしあれは「弓道」だった。構えとか作法とか、心技体を鍛えることを目的としたもので、弓はその媒体に過ぎない。それに扱ったのも長弓という、体よりもずっと大きな弓で、実戦向けではなかった。アイリが会得したいのは「弓術」なのだ。より効率的に相手を倒すための術。
 おそらく弓道で習った正しい構えなど、実戦では何の役にも立たないだろう。それくらいバカなアイリにだってわかる(そもそも、その正しい構えとか決まりみたいなものが授業でも苦手だった。自由練習の時間になると誰よりもたくさん的を射ることはできたが‥‥‥。「アイリさん! ちゃんと構えをしっかりなさい!」「なんでよ〜。的に当たってるんだからいいじゃんか〜」)。
 実戦で必要なのは、多分「速さ」と「正確さ」、そのバランス。射撃がいくら正確でも遅ければ敵につけ込まれるし、連射が利いてもノーコンじゃ意味がない。「より速く」「より正確に」弓の精度を上げる必要がある。
 丁度その頃、レモンが新たな依頼を取ってきた。

 

 

 

『クレンドルの研究』
 街の南に流れるギルディル川の沼地洞窟には、空を飛ぶ海月が生息するという。クレンドルはその研究のため、わざわざブルンネンシュティグまでやってきた。しかし、道のりが険しく頓挫してしまったとのこと。クレンドルは、代わりに行って飛海月のサンプルを取ってきてくれる人を探している。
(フム‥‥‥。弓の慣らしには丁度いいかな‥‥‥)
「念のために木の棒も持っていったら〜?」
「いやいやレモンちゃん。もうアイリの武器はこの弓なのよ。決して一本槍ではないのだよ」
(誰がうまいこと言えと‥‥)
「とかいって〜〜。ムキムキマッチョの件、気にしてるだけだったりして〜」
(ギクっ!)

 

 

 ギルディル川沼地洞窟。古都南口を出てナス橋(バヘル河に架かる橋)を渡った西方にある。
 沼地洞窟地下1階。
 道のりこそ険しかったが、多少冒険慣れした者ならばさほど苦にならない。ごつごつする岩肌、鍾乳洞の露骨な窟内には、探索するほどでもなく至る所に飛海月はいた。
「う、浮いてる〜〜〜〜!」
どのような魔法か原理か分からないが、飛海月は確かに空中を漂っていた。
「さあ〜〜〜〜アイリ! 行ってみようか」
(れもさん‥‥‥‥なんでそんなん乗り気なん‥‥?)
 アイリの弓の鍛錬が始まった。

 

 

 ‥‥‥‥。

 ‥‥‥‥‥‥‥。

 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥。

(当たらねええええええええええええええ)

 

「ふわああ〜〜〜あ」
レモンは手頃な岩に腰を下ろしてあくびしている。退屈そうな態度が露骨だ。
「まぁ〜〜だぁああ〜〜〜?」
などとは別に言っていないが、そう催促する心の声が聞こえてくる。
(ぶええええええええ)
 時々当たってはいるのである。もう何匹(クラゲの正確な単位は「桶・樽」)か倒したし、サンプルも手には入れてある。
 しかし。
 アイリには得心がないのである。当たっているのは偶々に過ぎない。「ここだ!」と思ったところに飛ばなければ、意味がない。これでは弓使いとは言えないだろう。これからの先行き、不安が拭えない。
(今一度、集中し直してみるか‥‥‥‥‥)
アイリは呼吸を整えた。
 気持ちを落ち着かせ、おまじない程度に元素を込めて、矢をつがえる。ゆっくりと引き絞り、正十字‥‥‥‥そうだ「正十字」だ‥‥! 頭のてっぺんから足までの軸と、弓を持つ左手と弦を引く右手、これが綺麗な十字になるのが正しいフォームだとか言ってた!
 何度か試してみて、自分にとって一番自然な正十字の型を見つける。肩や腕に無駄な力を入れないように7、8部くらいの力で弦を引き‥‥‥‥‥そういえば、どのくらいまで引けばいいのだろう。弓道の授業で使ったのは長弓だった。弦を力いっぱいに引くと顔の向こう側まで届いた。それに比べこの弓は丈が短い。あれと同じくらいまで引こうとすると抵抗が大き過ぎる。そもそもそこまで引けるようには出来ていないのか? とりあえず、初めのうちは顔にかかるくらいまででやってみて、慣らしながら、一番程よい型や力加減‥‥‥そういったものを見つけてみよう。
(なんか‥‥‥‥いい感じになってきたんじゃないの!)

 

 呼吸が止まる。

 行ける気がする‥‥‥!

 集中しろ‥‥‥‥。

 ‥‥‥‥‥。

 行け!

 ヒュン! 

 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥。

 外れました。

 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥。

 飛海月は変わらず中空を漂っている。 

 

 

 

「ふわぁぁあああ〜〜〜あ」
レモンがでっかくあくびした。
(こ、このペチャパイ娘‥‥‥)
イラッとした。その時。
 べちゃ。
 顔に何かかかる。
(なにこれ〜〜〜)
べとべとする。気持ち悪い。
 見るとアイリに好き勝手に標的にされていた飛海月が怒って、攻撃をしかけてきていた。近づいて、空から粘液か何かを吐き出している。
(きちゃな〜〜〜〜〜い)
「あははははは! アイリなにそれ〜〜〜」
(くっっ‥‥)
 人が一生懸命やってるのにこんな目に遭って、見てるだけのレモンにばかにされて、クラゲの分際でおちょくるようにフワフワしやがって‥‥‥‥。
 遂にアイリはぷっつんして、
「こんちくしょおおお〜〜!!」
弓の柄で殴った!
 会心の一撃。
 報酬4,000G。

 

 

 

『噂の確認』
 ブルンネンシュティグ東側の堀を担うバヘル河を渡って、少し北に行ったところに枯れ井戸がある。最近そこにモンスターが集まって群落が形成されてきているらしい。巷では、そのモンスターたちがブルンネンシュティグを襲撃しようとしている、という噂が流れている。某国会議員の秘書クレイムさんは、念のため調査を行って枯れ井戸の実態を明らかにすべきだと考えている。
「さあ〜〜〜今日の腕試しは、枯っれ井っ戸だよ〜〜〜〜!」
(だからなんでれもさん、そんなハイテンションなの‥‥‥‥)
 枯れ井戸の中は、水路や広場などが広がっていて、思っていたよりもずっと広かった。そこに生息するのは鷲戦士と呼ばれる二足歩行する鷲の悪魔や、グレートフォレストにいたような蜘蛛の怪物。
 さすがにあれから、宿で素引きの練習をしたり、藁の束を借りてきて軽く射ってみたり、学校の授業で最初に習ったことを思い出しながら自主練したから、アイリの構えもそこそこサマになってきていた。
 しかし今のところは、まだまだミスが多い。
 相変わらず退屈そうに佇んで、特に何か言うわけでもなく様子を見ているだけの沈黙のレモン。その態度から無言のプレッシャーを感じている。
「さっさとやれよぉ〜〜〜〜、またはずしたのかよぉ〜〜〜〜〜」
いやらしい笑みを浮かべる姿が見える。
(このデビルレモンめ!)
以上、全てアイリの勝手な脳内解釈。
 ところで、そういえば「胸当て」を買うの忘れてた。アイリはカウボーイシャツやデニムジャケットをよく着ていたが(というよりそれしか家から持ってこなかったが)、時々矢を射る時、放した弦が胸に当たってしまうことがあった。授業でも「だから女は胸当てが必要なんだ」と教わった記憶がある。頭の悪いアイリでもそうゆうフレーズのあるところは記憶がいい。あたしの豊満なバストが腫れてこれ以上大きくなったら大変だ!
(ま、だれかさんなら必要ないかもだけどね! ‥‥ププッ)
そう言ってレモンを見やる。
 アイリ、ささやかな抵抗。その悪意にレモン、全く気づかない。

 

 実はレモンは多少心配していた。
 それは自分の軽はずみな一言で、アイリのスタイルを変えさせてしまったことに対してだった。
 アイリにとって、あの魔法と木の棒の組み合わせは、絶妙だと思った。
 切ったり、突いたり、払ったり‥‥‥‥。女の子で、あれだけ巧みに槍を扱える運動神経の持ち主なんかいないだろうし、あの速い魔法は、見事その運動神経と連動していた。
 魔法も槍も、自分の体の一部のように使いこなしていた(当然レモンは、アイリが学校の清掃用具でチャンバラごっこばっかりやっていたことなど知らない)。
 それに比べたら、弓は明らかにアイリの体に馴染んでない。
(やっぱり、あのムキムキマッチョの話は適当に誤魔化して、元の木の棒に戻ってもらおうか‥‥‥?)
などと心配していたのである。
 しかし今日の様子を見る限り、それは杞憂だった。
 運動神経がいいから体の学習能力が高いのか(頭の方の学習能力は知らないが)、アイリはこないだよりもずっと弓矢に慣れてきているようだった。当たる当たらないより以前に、弓矢を構える姿が不思議と似合っているような気がする。勿論木の棒ほどまではいってないが、その内きっと、アイリなら弓矢も自分の体の一部のように使いこなしてしまうに違いない。‥‥‥‥‥ついでに枯れ井戸の調査も、モンスターの数もそれほどではないし、手強い種もいない。放っておいても特に問題なさそうだった。古都襲撃なんて単なる噂に過ぎないだろう。
 アイリ、弓の扱いに慣れてくる。
 ついでに報酬2,000G。

 

 

 

 再び「PEATER PAN」―――――。
 ワンパターン過ぎないかとも思うが、レモンが「ここがいい」と言うからいつもここになる。
 今日のメニューは、レモンがクルミパンとりんごチーズタルトとサンドイッチボックス(タマゴやポテトサラダ、トマト&チーズなどが入っている)にミルヒカフェ。当然一人で食べ切れない。アイリは、いつものベイクドポテトと散々迷った挙句にチョリソーロール、ドリンクはサービスのコーヒーで済ます。いっくら注意しても、レモンは食べ切れない程たくさんの品を並べてその中から選んで食べるという「ブルジョワ食い(命名、アイリ)」のクセが直らないので、残りを結局アイリが手伝うこととなる。しかしアイリとしては食費を浮かすこととなるのでプチラッキーとも思ってる。それでも食べきれないのはバッグに詰めておやつ用にする。半日駆けずり回って、疲れて小腹が空いた時に食べる「PEATER PAN」のおいしさもまた、一入である。とにかく、どれを頼んでもおいしいから、ワンパターンであっても後悔することはない。
 食べながら特に他愛のない話をする。
「アイリは料理とか、できるの?」
「え? ‥‥ダメダメ、全然からきし」
学校の授業で調理実習というものがある。アイリはそこで伝説的な「偉業」を成し遂げたことがあり、それ以来、実習の時間になるとみんなが積極的に手伝ってくれるので、自ら手を下さなくても自動で料理ができる仕様となっている。
「そっかぁ〜〜〜〜」
「? ‥‥どうしたの?」
「いやね、こんなふうにおいしいパン、自分で作れたらいいなって思ったの」
「へ〜〜〜」
レモンちゃんなら、お金を出せばいくらでもおいしいもの食べれるだろうし、きっと家なんかじゃ、毎日プロのシェフなんかが作った豪勢な食事なんだろうな。でもそれとこれとは違うかな? 「自分で作れる」ってとこに意味があるのか‥‥‥。確かに「料理が得意」なんて堂々と名乗れたら、それは女の子としては立派なステータスだ。
「!」
ひらめいた。
「じゃあさ、今度教えてもらいに行かない?」
「どこに?」
「私の友達にね‥‥‥‥‥」
アリエルのことを話した。前においしいアップルパイをご馳走になったことがある。今度二人で、アリエルにおいしいパンの作り方を習いに行こうって決めた。ただ、この時点でアリエルの承諾はないのだが。

 

 

 

「けど良かったねー」
「うん?」
「いやさ、アイリの弓もそこそこサマになってきたなーって思って」
「ああ、‥‥そうかな?」
「うん。槍の方が性にあってそうと思ったけど」
「いやいやいや!」
アイリのトーンがいきなり上がる。
「ありえないっしょっ!」
やっぱり「例の件」を恐れているらしい。そこで女の子ぶる。
「アイリはかあいく生きたいの」
「はーーーん」
生返事。
 そこまで言うからには、好きな殿方のタイプなぞ聞いてみる。
「えぇぇえ〜〜!」
イヤがる割に、アイリはこの手の話題にはノリノリである。
「うんとね〜〜〜〜」
‥‥‥‥まとめると、背が高くスラッとしていて、頭が良くて運動神経も良くて、話がおもしろくて、アイリとフィーリングが合って、清潔感があって、うう〜〜んと、ああ、指とかキレイでね、あと断然お金持ちがいい!
(はいはい、っと)
「で、レモンちゃんは?」
「え? わたし?」
切り返されると思ってなかったから、答えを用意してなかった。
「ううぅ〜〜ん、そうだな〜〜〜」
‥‥‥‥まとめると、大体アイリの条件と同じでいいんだが、お金持ちでなくてもいいらしい、お金は持っているから。
(まったくやれやれだぜ)

 

 

 

「ああああああああああ!」
 食べ終わって一息ついていたところ、アイリがいきなり大声を上げた。きょとんとするレモン。
「どぉしたの?」
アイリの返事に少し、溜めがある。
「あたしね‥‥‥‥」
「うん‥‥‥」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ガッコ行くの忘れてた」
 ‥‥‥‥。
「えええええええええっーーー!」
 学校の春休みは、とっくに終わっていた。本来ならばアイリも普通に通学していなければならない時期だった。
 二人でいろいろ冒険家ごっこみたいなことをしてきて、毎日が楽しくて、時間が経つのを忘れてた‥‥‥‥。しかも「ごっこ」とはいえ、それなりにやってきたせいで、一端の冒険家気取りだった。
 だがアイリは学生なのだ。春休みの間は、何をやっても比較的自由は許容されている(気がする)が、学校をさぼってまでこんなことしていいのかというと、多少の罪悪感がある。下手をすれば‥‥‥‥‥‥‥親父に殺されるかも!
「ど‥‥するの? アイリ‥‥‥」
アイリは考えている。ちなみにレモンも学生(学年はアイリより一つ下)だが、家庭教師などから教育のカリキュラムをこなせば、平時は通学しなくてもいいことになっている。
「ま、いっか」
「へ?」
「‥‥なんとかなるっしょ!」
「だ、大丈夫‥‥かな‥‥‥」
こうなったら本気で冒険家になる! ‥‥‥‥‥‥しかないかも。
(ま‥‥万が一怒られそうになったら「冒険家になるために修行してました!」って言おう。これで言い逃れよう‥‥‥‥‥これで‥‥‥‥‥‥‥言い逃れられるかな??)
毎日顔を合わせているので、レモンはアイリが何かよからぬことを考えてる時の表情がわかってきた。今がまさにそんな顔である。
(ほ、本当に大丈夫かな‥‥‥?)

 

 

 

『密教』
 古都東口から伸びるプラトン街道(東プラトン街道)を進むと一軒の廃家がある。別件でそこを通りかかると、廃家の前に佇む一人の婦人を見つけた。(こんなとこで何してんのかな?)
「お嬢さんたち、何か良いことありました? とっても幸せそうに見えますねえ」
(そうかしら?)
「でも、悪い運勢が更なる福を阻んでますね」
(そおなの?!)
「もしお時間ありましたら、私に『御祓い』させていただけませんか?」
(レモさん、やってもらおうか‥‥‥‥?)
小娘二人、世故には疎い。二人は婦人に言われるがままにした。
「お嬢さん、本当に良い選択をなさいましたよ。悪い運勢は私どもが『御祓い』して差し上げますからね。私どもだけを信じてください。まずは、うちの『信徒』になったことをお祝い申し上げます」
(し、信徒??????)
「私の呼びかけに『信徒殿』が共鳴して、こちらまでいらっしゃったのです。つまりは『信徒殿』と私が出会ったということだけでも、ごく普通ではない『縁』の深さがあるのですよ。重要なことは『信徒殿』も私のように、その『御方』の幼い『小牛』ということです」
(アイリ〜〜なんか怖いよ〜〜〜)
「その『御方』の加護を受ければ、信徒殿を苦しめる暗い運勢も軽くなり、離れるのです。それでは、儀式を始めたいと思います。ホッホッホ‥‥‥」
 抗う術もなく、為すがままにされる二人。 

 

 

 ‥‥‥‥‥手始めに「ソードスパイダーの刃」で傷をつくり、汚れた血を抜き出します‥‥‥‥‥

 ‥‥‥‥‥次に「スコーピオンの毒袋」を煮込んだスープで口直しをして‥‥‥‥‥

 ‥‥‥‥‥細かく砕いた「スッポンの歯」を先ほどの傷に塗って、抜き出した暗い運勢が再び入ってくることができないように‥‥‥‥‥

 ‥‥‥‥‥最後に「新米鷲戦士のくちばし」を口に覆って、その場所で一回り回れば‥‥‥‥‥ 

 

 

「ハイ!儀式は完了です」

 



 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥。

 ‥‥‥‥‥‥‥‥。

 ‥‥‥‥‥。

 まるで心が犯されたような気分だ。
(ん? ‥‥‥最後の‥‥‥‥‥‥意味あったか‥‥‥?)
「お疲れ様でした。信徒殿を蝕んでいた暗い運勢が浄化されました。これで信徒殿を苦しめるような呪いや病気などは、その力を発揮することはできません。もちろん、弱い呪いや病気に限られますが」
怪しげな儀式とは裏腹に、中身は意味のあるものだった。体内に毒などに対する抵抗がつけられた、らしい‥‥‥ちょっとだけだけど。
 報酬‥‥‥‥‥暗い運勢の浄化、‥‥‥‥‥呪いや病気への抵抗力、‥‥‥‥‥‥‥‥怪しげな宗教への入団‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥。
「近いうちに、その『御方』がいらっしゃるはずです。その日が来るまで、信徒殿もご準備を‥‥‥‥‥‥‥‥ホ〜〜ホッホッホッホッ‥‥‥‥‥」

 

 

 

『バインダーの怨恨』
 人は死によって安息を得るというが、まれに九天を彷徨う者もいる。その一人が、街の西にある地下墓地に彷徨う骸骨「バインダー」である。
 生きている時はかなり名の知れた大金持ちだったそうだが、それだけ恨みを買うようなこともためらい無くやってきた。
 だからなのかも知れないが、彼の死後、誰かが怨恨に満ちた呪いを遺体に懸けたのだ。
 安らかな眠りを失った彼の屍は、化け物となって、今も地下墓地を徘徊している‥‥‥‥。

 

 フローテックは語った。
「生きている間に彼がやったことを考えれば当然の責め苦だが、このまま化け物にしておくのは余りにも忍びない。‥‥‥だから彼に安息を与えてくれないだろうか? もしやり遂げてくれたならば、それに見合うだけの報酬を払おう」
(ええ? また墓地なの〜? しかも「地下墓地」って! 墓地ん中に入んなきゃなんないじゃん!)
「呪いのせいでバインダーは、普通の骸骨よりもずっと手強い化け物になってしまった。危険も多いから、冒険家だからといって誰にでもお願いできることではないんだよ。‥‥‥‥お嬢さん方は中々の元素使いと見受けられる! その若さで大したもんだよ。お嬢さん方ならきっとバインダーに安息を齎してくれるだろう。どうか引き受けてはくれまいか」
「イヤよ。だってお化け怖いんだもん」
 ‥‥‥‥‥。
「えっ?」
「『えっ?』じゃないの。アイリはお化け、キライなの」
「し‥‥しかし、誰にでもお願いできることじゃないんじゃが‥‥‥‥優れた元素使いでないと‥‥‥」
「そんなこと言っても、怖いもんは怖いの!」
(アイリ‥‥‥別にキレなくても‥‥‥‥)
「‥‥じ、実を言うと、私は、彼の孫なんだ。バインダーは何度も再生するから、その度に安息を与えてやらないといけなくて。親父からの言い付けでずっとそうしていたんだが、私も年のせいでガタがくるようになったので、こうして誰かに頼むしか‥‥」
「悪いけど、他当たってくれる!」
「えっ!」
「いこっ、レモンちゃん」
アイリはすたこら行ってしまった。
「う、うん(いいのかな〜)」
「ま、待ってくれ!」
レモンは申し訳なさそうに頭を下げつつ、小走りでアイリに後について行った。
(ああああーーーっ!)
「‥‥経験値! 経験値たくさん入るからーーーっ!」
 依頼、スルー。

 

 

 

『プレシャンとチンピラ』
 300年の歴史を持つ都市ブルンネンシュティグは、元々は隣接する二つの街だった。プラトン街道を交易路とする東西貿易商人たちの西部街、バヘル河流域を牛耳る水賊たちの東部街。街としての機能はともかく、元締めの異なる二つの街は互いに独立し合って相容れることがなかった。やがて河川法の制定によってバヘル河が国の管理下に置かれると、水賊は取り締まられ、東部街は力を失っていった。依然として形式的に二つの街は存在し続けたが、王国が首都をこの地に移した時に二つの街は統合され、王都ブルンネンシュティグが誕生した。その際の王国の都市計画によって、防衛上などの観点から王都の四方を水堀で囲むことが定められ、その堀の外側の居住者などは内側に集約されることとなった。主に旧東部街のバヘル河以東の民家や施設が、ゆるやかに転居するよう促されたのである。移転は大分昔に完了しているので、現在ブルンネンシュティグの東の堀を担うバヘル河以東に民家はない。先にアイリたちが訪れた「枯れ井戸」や「廃家」はその名残である。「木工所」―――――――バヘル河沿いにあるこの工場は、主だった施設の中で唯一、現在もバヘル河以東に残る建物である。

 

 

 木工所の社長バルドゥルは悩んでいた。納品の締め切りが迫ってきてるのに規定数の木材が届かず、製材できないのだ。
「きっと木こりたちがサボってやがるんだ!」
 謝礼ははずむから、こっそり木こりたちの様子を探ってきてほしいと言う。

 

 

 木工所からバヘル河を遡ったところにある伐採場「丸太いかだ丘」のふもとに、木こりたちはいた。お昼でもおやつの時間でもないこんな昼下がり、木こりたちが集まってただ駄弁っているなら問題だ。しかしどうにも、サボっているというよりは手持ち無沙汰な様子である。
 木こりたちの親方らしき男、チェインシャ。
「あいつら泥棒と同じじゃん。あいつらが来てから皆仕事できないし、全部アイツのせいじゃん!」
大分頭にきているようでまともに話すらできない。
 とりあえず落ち着いてもらって、冷静に話を聞くと、どこからかやってきたならず者の一味が暴れていて、碌に仕事をさせてもらえないらしい。それどころか彼らが伐採した木材を奪っていってしまうので、木を切っても給料も貰えず、みんな途方に暮れて、やることもないから酒ばかり呷っているとのことだった。
 これは由々しきこと。
 「アイツ」とは?
「だから、プレシャンって奴じゃん!」

 

 

 プレシャンは、丸太いかだ丘を越えて東にある「丸太荷積み場」をアジトとしているらしい。
 アイリたちが丸太荷積み場にいくと、揺り椅子に揺られながらこちら側に背を向け、のんびりと読書をしている男がいた。
 ――――プレシャンさんですか。
 友好的な問いではない。確認である。
 男は振り向きもせず、揺り椅子を止め、「ポスン」本を閉じた。
 それからマシラのような身のこなしで振り向いた時にはすでに、片手に弓を携え、臨戦態勢に入っていた。
「そうだと言ったら?」
威嚇めいた語気。相手が少女二人であったと知って気を緩めることなく、いつでも射掛けられるよう警戒している様子は、中々の手練のように思える。
 しかし、すでにアイリの瞳は山吹色に燃えていたし、レモンの身の回りには蒼白い元素が放電していた。

 

「すいませんでしたっ! 許してくださいっっ」
「初めから、大人しくしときゃあいンだよー」
顔面を満遍なく痛々しく腫らして謝るプレシャン。それに向かって言葉を吐き捨てるアイリ。
(どっちがならず者かしら‥‥‥)
「もう悪さはやめて、木こりさんたちの邪魔、しないでねっ!」
「じ、実は‥‥‥」
「?」
プレシャンは一枚の書類をアイリに差し出した。

 

 

 再び木工所。
「おお、戻ってきたか」
何食わぬ顔でバルドゥルは迎えてきた。
「で、どうだった? あいつら、また酒飲んで遊んでただろう」
「この書類に見覚えありませんか」
「!!」
バルドゥルの表情が硬くなった。
 プレシャンから貰った書類、それは契約書だった。その一番下にバルドゥルの印が押してある。

 

 ‥‥‥こうゆうことだった。
 バルドゥルが雇った木こりたちは、最初のうちは真面目に働いていてくれていた。
 しかし彼らは途方もない酒好きで、慣れてくると段々酒ばかり飲んで仕事をサボるようになった。
 困ったバルドゥルは流れ者のチンピラ、プレシャンを雇って木こりたちの妨害するようにした。
 プレシャン一味は木こりたちが切った木を奪い横流しすれば、少ない労力でお金が得られる。
 バルドゥルは本来木こりたちに払うべき給料を割安でプレシャンに払う。
 こうして双方得をし、木こりたちをこらしめる契約が成立したのだった。
 誤算だったのは、プレシャンがあまりに頻繁に略奪しすぎてしまったこと。
 そのせいで切っても無駄とわかった木こりたちは、木を切るのを完全にやめてしまった。
 いくら待っても上流から木材が流れてこないので、困ったバルドゥルはその様子を探るよう冒険家に依頼した。それがアイリたちである。
 そして、事の顛末が明らかになったのである。

 

「‥‥‥‥‥大したものじゃないが、これを受け取ってくれないか」
強張った表情で封筒を渡してくる。「口止め料」ということか。
「このことは秘密にしといてくれるね? ‥‥‥私だって好きでこんなことやっていたわけじゃないんだ」
バルドゥルは工場の奥に消えていった。

 

 

 よくよく考えてみればおかしなことだらけだった。
「謝礼ははずむから、こっそり木こりたちの様子を探ってきてくれないか?」
ただ様子を見に行くだけで「謝礼をはずむ」と言う。納品の期日が迫って緊急だというのはわかるが、それなら「こっそり」の意味がない。現場を押さえたならその場で、社長命令でも突き付けてやればいいのだ。
 「こっそり」探るように言ったのは、おそらく裏を取るため。証拠さえあれば木こりたちは後々どのようにでも処置できる。その上でプレシャンと示し合わせて、略奪を弛めてやればいい。そうして再び彼らに木を切らせるのだ。
 そもそも「丸太いかだ丘」で奪った木材を横流ししようにも、近くに都市は古都くらいしかなく、陸路で運ぶ手段はないといっていい。古都への道は、街の東側の険しい山道か、西へ大きく迂回して中央プラトン街道を経由する道しかないからだ。あるとしたら水路、バヘル河ぐらいである。そして河を使うのなら、その下流にあるのは「木工所」‥‥‥‥‥実に分かりきった構図だった。
 しかし。では、三者のうち誰が一番悪かったか、というと微妙な気もする。
 勿論、全て裏で糸引いていたバルドゥルの非が一番重そうだが、そもそも木こりたちが酒ばかり飲まずちゃんと真面目に働いていればそんな企ては必要なかったのだ。企てに加担したプレシャン一味などは、そうゆうことばかりやって生計を立てるならず者だから、この契約がなかったら全然別のところで似たような悪事を働いていたに違いなかった。
(きっと、みんな自分の行いを改めなきゃダメね!)
などとアイリは正義感ぶって言うが、子供の頃から散々悪事を積み重ねてきたアイリに言われたくないものである。
 報酬10,000G。
(こんな依頼も、あるんだね〜〜)

 

 

 

 アイリとレモンは順調に依頼をこなし、日々を送っていた。 
「いあ〜〜助かった、助かった〜。ホントに良かったよ〜〜」
すっかり満足し切った中年の男が、感激の溜め息を漏らしながら街を練り歩いていた。その様子を見かけた或る男が気になって声を掛けてみた。
「なにが助かったんだ?」
「おお! おまえさんかい!」
二人は旧知の間柄。
「じつは(かくかく)で困っていたんだが、(しかじか)なわけで助かっちまった、というわけよ!」
「へぇ〜〜」
あまりに嬉しそうに話すので、つられて男も笑顔になる。
「でな、それをやってくれたのが‥‥‥誰だと思う?」
「ん?」
「なんと!!! ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥お前さんの娘だぞ!」
「‥‥‥‥‥」

 

 な・ん・だ・とぉぉぉぉおおお〜〜〜〜〜〜〜!!

 

「ん? どうかしたのか?」
「‥‥ヤツはどこ行った」
「今しがたそこで別れたばっかだから‥‥‥そっちの方に行ったんじゃないか?」
男は走っていってしまった。
「おい、どうしたんだ? ‥‥フレーーッド!」

 

 

  いつも通り仕事を成功させ、陽気に石畳を踏み鳴らして街をゆくアイリとレモン。にぎやかな笑顔はいつも絶えない。
 その平安を引き裂く怒号。

 

 あああぁぁぁぁ〜〜〜いぃぃぃぃ〜〜〜りぃぃぃいいいいいいい〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 遥か後方から迫りくる、強烈な殺気。
「?」
レモンはなんのことだか分からない。けど、
(あわわわわわわわ)
アイリの様子がいつもと違う‥‥‥‥‥怯えている? 遠くからこちらに向かってくる、全力な何かが見える。
「いやあああああああああ」
アイリ、すっとんで逃げる。
 追いかけながら男は叫ぶ。
「まあ〜〜てぇぇぇえええ〜〜〜〜〜」
レモンの前を「あっ」という間に駆け抜けていった。
 なんとなくレモンにも、男の正体が誰なのかわかった。アイリの父、アルフレッドに違いない。親子揃って、二人ともかけっこ速いなと思った。

 

「まてぇぇええ〜〜〜〜い、アイリぃぃぃいいい〜〜〜〜〜」
「ぎゃあああああああああああ」

 

走る。中央広場を突き抜けて、西部街の人混みを縫って。
 だが引き離せない。
「いやあああああ、助けてええええ〜〜」
 アイリの脳裏に幼少期の記憶が蘇る。悪さをして叱られる時。げん骨くらって目から星が出そうになったり、おしりが真っ赤になるくらい引っぱたかれたり、ご飯抜きも地味にきつかった(そういう時に限ってゴチソウ作りやがる)。
 厳密には親父がなんで怒ってるのか、分からない。家出のことかもしれないし、お見合いのことかもしれない。学校さぼってほっつき歩いてるのが一番可能性が高そうだが、それら全部に対して怒っているのかもしれなかった。
 とにかく、なにがどうあれ、逃げるしかなかった。親父の脚力は侮れなかった。
「うおぉぉぉ〜〜〜らぁぁぁああ〜〜〜〜〜〜〜」
迫り来る親父の魔の手。せめて視覚から身を隠そうと、建物の角を曲がった、その時。
 ドン!
 鎧甲冑の男にぶつかってしりもちを付いた。壁のような大男だった。
「いてててっ」
 鼻をぶっけた。痛い。
「お? おまえ‥‥‥」
大男が話しかけてきた。
「!! ‥‥‥‥ヴァリさん‥‥」

 

 続いてアルフレッドが角を曲がってやってきた。もういい年だというのに凄まじい走りっぷりだ。鎧の男を見つけて立ち止まる。
「おっ! 君はレオン君」
「お久しぶりでございます」
「イキナリでなんだが、ウチの馬鹿娘見なかったかね?」
「お嬢さんなら西口の方に行きましたよ」
「そうか、ありがとう!」
挨拶もそこそこに、アルフレッドは走って行った。走り去って、少し離れたところから呼びかける。
「レオン君! またウチにご飯食べに来なさ〜い!」
鎧の男も手を振って応える。
「ありがとうございまーす」
アルフはそのまま行ってしまった。

 

 それを見送って。
「おい、行ったぞ」
建物の陰からこっそり姿を表す‥‥‥‥‥アイリ。キョロキョロと辺りを見回す。本当に危機が去ったのか自分の眼で確認せずにはいられない。‥‥‥‥‥‥‥‥‥どうやら、大丈夫そうだ。
「ありがと、ヴァリさん」
「全くお前ってやつは。またなんか仕出かしたな? あんないい親父さん困らせて‥‥」
 レオンハルト・ヴァリーマース。アイリと同じブルンネンシュティグ出身。アイリより3つ年上である。両親を幼い頃に亡くし、引き取り手がなかったため孤児院で育てられる。187cmの恵まれた巨体、青みがかった黒髪を短く刈り上げて、ミッドナイトブルーの瞳をしている。髪と瞳の青系統がメタリックグレーの全身鎧によく映えた。背中に巨大な両手剣をぶら下げている。
「どこがよ! あんなクソ親父」
「はっはっはっ‥‥」
悪態をつきながら、アイリは「ヴァリさんずい分、丸くなったな〜」と思った。

 

 

 

 子供の頃、グループの中でもガキ大将的存在だったアイリには、周囲のグループにどんなやつらがいるのか気を配る必要があった。特に年長グループ。子供たちにとって、生まれが1、2才違うのは存外大きな差であった。1、2年で体の成長は大分差が出るので、ケンカや力比べでかないっこないのだ。悪ふざけもいいが、はしゃぎすぎて年長グループから目をつけられるのは避けたいことだった。
 そんな中でもレオンハルトは変わっていた。グループに属していなかった。いつも一人で、決まって紺色のフードパーカーのポケットに手を突っ込んでいた。余りしゃべってるところや、楽しそうにしているところを見たことがない。ただ異様にギラギラした眼つきだけが印象的だった。何者をも寄せ付けない、といった感じだった。彼について知ってるのはその程度で、特に接点はなかった。
「お前、気にいらねンだよ」
 ある時。そんなレオンハルトに目をつけたグループが集団で彼を取り囲んでいた。6人くらいいた。アイリは偶然その場所に居合わせた。
 普通なら助太刀にでも入るアイリである。しかし、相手が悪すぎる。レオンといいグループの奴らといい、アイリより3つも年上の連中である。そんな中にアイリが飛び込んでも、何かできるわけがなかった。どうしようもなかった。
「やっちまおうぜ」
1対6のケンカをただ見てることしかできなかった。――――――だが。
 全て終わって、最後に一人立っていたのはレオンハルトだった。
 レオンハルトは確かに同学年と比べても一回り大きな体格をしている。しかし、6人相手に―――――ああも戦えるだろうか‥‥‥。捕まれたり、引き剥がしたり、頭突き、肘、蹴っ飛ばして、殴る殴る殴る殴る‥‥。野獣のようだった。一人、また一人、打ち倒されていく様子を、アイリはただ茫然と眺めてるだけだった。そんなアイリに向かって、
「あに見てんだよ!」
言葉を吐き捨て、去っていった。――――――――――あの時のギラついた眼つき、忘れられない。

 

 

 

「はっはっはっ‥‥」
だから、今こうして朗らかに、目を細めて笑うヴァリーと、記憶の中のヴァリーが一致しない。
(こんな風に笑ったりするんだね〜)
 そもそもこうやって親しげに話してるけど、最後に会ったのはいつ? 学校で見かけたりくらいはあっただろうけど、まともに会話したのはいつのことだか、思い出せないくらい昔のこと。
「また、あの親父さんの料理、ご馳走になりたいもんだな‥‥‥」
そういえばそんなこと、あった気がする! なんでか知らないけど、ヴァリさんがウチに来て一緒にゴハン食べた記憶が‥‥‥‥‥あるよーな、ないよーな?
(あれ? あたしが誘ったんだっけか??)
細部の記憶が全くない。でも向こうから「ウチに来たい」なんて言うわけないだろうし、だとしたらあんな取っつきづらいヴァリさんに向かって「ウチでゴハン一緒に食べよう」なんて言ったんだろうか? もしそうなら、子供のころのあたしゃ大分勇者だな‥‥‥。
「ところでお前、なんだその格好? 弓なんて背負って‥‥‥‥‥冒険家にでもなったのか」
「そうよ! 悪い?」
「いや、別に悪いってわけじゃ‥‥‥」
「ヴァリさんだって、どう見たって冒険者ってカンジね!」
「ああ。俺は『コレ』が長所だからな」
と言って右腕の力瘤を叩いた。背が高いだけでなく、筋肉ががっちりとしていて鎧の上からでも力強さが漲っている。こうゆう人が仲間にいたら冒険もさぞ心強いことだろう。
「へー。じゃあさ。いつかヴァリさんと一緒に冒険したりすることも、あるかもだねぇ〜〜」
「おう、そうだな! 俺はよくそこの『小羊たちの水場』で酒を呑む。パーティー組みたい時はここに来な!」
 遠くから呼ぶ声がする。
「アイリぃぃ〜〜〜〜〜〜」
「レモンちゃん!」
例のベルラインドレスで、裾が地面にこすれないようにスカートを持ち上げながら、とてとてと走ってくる。息を切らしてやってきて、そこでヴァリーに気がついた。
「あら? お知り合い?」
美しい高級そうなドレスを纏う、レモンの出で立ちを見たヴァリーは、
「はじめまして! マドモアゼル」
片膝をついて手を胸に当て、恭しく挨拶した。
「はじめましてぇ〜」
レモンはスカートを軽くつまんで持ち上げ、ちょこんと首をかしげて会釈した。
「なんだよお前ら」
二人の貴族ぶった挨拶の仕方が滑稽で、さすがにアイリが突っ込んだ。
 ヴァリーとレモンは声をあげて笑った。その笑い声が古都ブルンネンシュティグの青空に響き渡った。

 

 

 そんな三人の様子を見つめる怪しい影が二つ。黒いタイトなスーツとソフトハットを被っている。
「見つけたぞ」
二人のうちの一人―――――細身で眼光の鋭い男が呟く。もう一人の、体格のがっしりとした男は頷いた。
「すぐに御館様にご報告しろ」
「ハッ!」

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