第6章 冒険家に憧れて(前編)

 それからというもの、二人は何をするにも一緒だった。 
「これからはレモさんのこと、プッツン雷娘レモンって呼ぶね」
「ぇええ?!」
アイリの言動はいつだって唐突だ。
「イヤよ、かわいくないもん。レモンちゃんでお願い」
「ダメダメ。人にあんなことしといて」
「う〜〜」
それを言われるとレモンもぐうの音も出ない。
「だからこれからは語尾に『だっちゃ』をつけてね」
「は?」
「私のことは『ダーリン』って呼ぶのよ!」
「意味がわかりませんけど」

 

 

 レモンは、ちょっとした旅行でここブルンネンシュティグに来ている、と言った。
 レイモンド・グラース、アウグスタ半島の港街ブリッジヘッドの出身。アウグスタ半島はブルンネンシュティグより東方、ダイム内海を包むように南に突き出た半島で、ブリッジヘッドはその先端にある。同じく港街で、古都の南にあるシュトラセラトとは内海の海峡を挟んで向かい合っている。かつて都が置かれ、今なお多くの貴族たちが住み、都市としての機能が多方面に及ぶシュトラセラトに比べれば、ブリッジヘッドは港街らしい港街である。巨大な倉庫街とそれを取り巻く商店街、海に近づくほど栄えていく街並みは、流通の中心が海路にあることを表している。積荷の運搬に使う街路は幅広に設けられてあり、そのため街はとても展けた雰囲気がある。―――――よく晴れた昼下がり、広々とした街並みは建物に作られる物影も少なく、太陽の光を燦々と浴びた石畳が白く照り返し、その上を海の男たちが荷物いっぱいに積んだ手押し台車を押して行く。彼らの威勢のいい掛け声やカモメの鳴き声が、潮風に運ばれて遠くまで聞こえてくる―――――――というのが、多くの人が描く港街ブリッジヘッドのイメージである。種々の建物が犇めき合った古都やシュトラセラトとは違った、伸び伸びとした活気のある街だった。グラース家はこの街で貿易会社を経営する有数の富豪で、レイモンドはその末娘だった。
 こんなことがあった。
 二人が初めて会った日、一緒に泊まろうとした宿のフロントでのことだった。ツインルームを押さえようとする二人の少女に、投げかける宿屋の主人の視線が訝しい。どう見ても未成年の二人。親の許可があるのか、ちゃんと費用を払えるのか、不審な目で見られるのは当然である。
 その視線を感じて、記帳を済ませたレモンは言い放った。
「支払いはコレでいいかしら?」
 レモンが差し出したのは名刺くらいのカードのようなものだった。アイリにはそれが何なのか分からない。しかし宿の主人がカードを両手に取って見つめながら、顔色が変わっていったのが分かった。
「‥‥お、お嬢様、失礼致しました」
態度を豹変させて、主人は慣れない様子で慇懃に礼をした。結局、アイリにはよく分からないままやり取りは終わって、どうやら宿に泊まれるようだった。後になって、あのカードが金持ちの証明か何かで、魔紋か何かの認証で代金の支払いができるものだろう、くらいの検討はついた。現金でしかやり取りしない中流階級出身のアイリにはおよそ縁のないものであった。

 

 

 

 しばらく宿屋暮らしで過ごすこととなったアイリとレモン。大富豪グラース家の令嬢にとって二人分の宿泊費など、訳無いものだった。
 しかし、だからといって。いつまでもレモンちゃんの世話になるわけにはいかない。「別に気にしなくていいのにー」なんて言ってくれるけど。お世話になるにしても、せめて何か、自分なりにしなくては。
「う〜〜〜〜ん。ロン爺のとこでも行ってみるかなぁ」
「ロン爺?」
ロングッシュのことだった。

 

 

「今お願いすることは、特にないですね」
ロングッシュは紳士的に、普通に応対してくれた。こないだのことはもう怒ってないようだった。ただ後ろにいる女性秘書官の眼は、何かを期待するような視線を投げかけている。
 しかしわざわざ議事堂まで来たのに、手ぶらで帰るハメになるとは‥‥。
「お願いすることがないわけではないのですが。そこは少し危険なので。お嬢さん方を行かせるわけには参りません」
 へー。ちなみにどこなの?
「街の西にある旧レッドアイ研究所です。そこにラピ・ド・セイジとゆう、変わり者が住んでいるのですが、こないだ皆様に集めていただいた『RED STONE』の風聞について、彼の意見を頂きたいのです。初めは集めた噂話をそのまま国会に提出する予定だったのですが‥‥‥」
三人はまた、話が長引きそうな気がしていた。ロングッシュは滔々と続ける。
「単なる噂話だけ集めて発表しても効果は薄いのではないかと、我が議員様はお考えになったのです。『RED STONE』に関して少しでも造詣の深い方から意見を求めるように、と‥‥‥」

 

 アイマリーは客人にお茶を差し出した。レモンは「ありがとう」と会釈した。アイリは先に茶を啜って尋ねた。「レッドアイってどこにあんの?」「西口を出てプラトン街道を沿っていくとありますよ。2時間はかかると思うけど」とアイマリー。

 

「そこで頼るべくがラピ・ド・セイジなのです。彼はこのブルンネンシュティグの生き字引とまで言われた男で‥‥‥‥‥」

 

 集めた噂話はどこ?
 ‥‥‥‥これですよ‥‥‥

 

「セイジ氏はレッドアイ研究所の隅で、世捨て人同然の生活をしているとのことです。とても気難しい人で、研究所を根城とする悪党や狂信者たちも、彼には手出しをしないのだそうです。ですが、普通、余所者に侵入されたら彼等は追い剥ぎみたいな真似をするので。お嬢さん方をそんなところへ向かわすわけにはいきません。この仕事はもう少し旅慣れた者でなければ‥‥‥って、あれ? どこ行った?」
気がつけば部屋には、次席しかいない。
「もう、行っちゃいましたけど」
アイマリーはあっけらかんと答えた。
(ひ、人の話を‥‥‥‥‥‥‥聞け‥‥‥)

 

 

 

 プラトン街道を西へはるばると。目的の場所は、古都からは丁度アイリがアリエルの薬を見つけた南の森の2倍くらいの距離である。決して歩けない距離ではない。しかし、そこには少なからず危険が伴った。コボルトのような小悪魔や、この付近に出没する追い剥ぎなどと遭遇する可能性がある。
 だがアイリには密かな自信があった。自分はそこそこ高い魔力の持ち主だと思っていたが、レモンちゃんもかなりのものだ。あれだけの魔法を放てる子はスクールにもいなかった。二人力を合わせれば、大概の危険は乗り越えられそうな気がする。
 普通の人が出来そうにないことでも二人なら出来る。
 他人にできないことをやってのける、なんて爽快なことだろう。その程度の危険ならば、寧ろ甘美な誘惑だった。元々頭よりも、体で考えるのが得意な性分である。そうやって多くの人たちを危険から守ったり悩みを解決したりして、感謝されたり、お礼されたり‥‥‥。そうゆうことを生業としていけたら! ‥‥‥素敵なことだなと思う。アイリの中でずっと揺らいでいた自身の存在意義が、充足してくるように感じていた。プラトン街道を辿りながら、無意識に心は別の道を歩いていた。「冒険家」への道を。

 

 

 研究所は―――――おそらく先の事変の影響だろう、建物の地上部は壊滅し尽くし、地下へと続く石階段が露となっている。その跡からは、かつてこの研究所がどれほどの規模のものだったのか、窺い知ることはできない。ただ、辺りを漂う元素から、この場に刻まれた歴史の「負」を感じることができる。それは先の事変か、或いはそれがあったから先の事変が起こったのか、分からない。ただ確かにここで「命」という、多くの瑞々しい元素たちが、形を変容させざるを得ない状況に追い込まれたのだろう。そういった過去の負の元素は、時を隔ててなお仲間を引き込むのか、アイリたちが地下階段に向かおうとすると、物陰からゾロゾロと薄気味悪い男が6、7人姿を現してきた。男たちは皮の鎧や肩当てなどの軽武装に、短刀などの得物を見せびらかすように弄んでいる。その中の一人が下卑た笑いを浮かべながら歩み寄ってきた。
「お嬢ちゃんたちぃぃ〜。いいコにしてたら、怪我しなくて済むからね」
(はああ〜〜)
アイリはめんどくさそうに息をひとつ吐いた。
「レモンちゃん。お願いしていい?」
返事の代わりに、レモンは蒼白い元素を纏った。 

 

 

 旧レッドアイ研究所(通称「赤目」)地下1階。
 魔源灯に照らされて、地下は思ったよりも明るかった。その灯りの下にボロを羽織った物乞いのような者が蠢いている。
 レッドアイは旧王国時代に作られた王室直属の研究機関。その運命も王国と共にした。組織としては滅びて一世紀以上経つ。が、この組織が人々に与えた影響は存外大きかった。
 レッドアイは「『RED STONE 』探索機関」という名目はあるものの、秘密結社として構成員も研究内容も明らかにされていなかった。各地に構えた研究所は、一部その所在が公開されていた所もあったが、実際はこのように秘密階段などで隠され、深部においては非公開だった。加えてアイリたちが古都地下で遭遇したような、怪しげな薬品研究。ここで一体どのような研究が行われていたのだろうか。表向きは「RED STONE」の探索という目的で設立されたが、果たしてそんな薬品研究が探索に必要あっただろうか。人々の想像は掻き立てられた。
 真実は薄いヴェールの向こう側に見え隠れして、とうの昔に失われてしまっていた。人々の知的探究心は決して潤うことのない永遠の渇きを課せられたのである。だが本物が得られなければ偽者で、可能な限り似せられた虚偽によって補われたのは自然の流れであった。レッドアイにまつわる伝説は、人々の憶測を多分に含んで口承されていった。

 

 ‥‥‥‥‥「RED STONE 」を掌握するには強大な力が必要となる。そのため最強の軍隊を作る薬品研究を行っていた‥‥‥‥‥
 ‥‥‥‥‥「RED STONE 」を手に入れたレッドアイは成分を研究し、人為的にその力を生み出そうとしていた。例えば不老不死になる、など‥‥‥‥‥
 ‥‥‥‥‥シュトラディバリの乱は国家転覆を名目として、真実は「RED STONE」を奪取するために行われた‥‥‥‥‥

 

 真しやかに語られた噂話からおよそデマに近い噂話まで、憶測は更なる憶測を呼び、物語は膨れ上がって、やがて沈静化していった。一時期ほどではないが、今でも毎年「RED STONE」関連の戯曲が書き下ろされ、その中にはしばしば「レッドアイ」なるものが登場する。そこでは脚色された色とりどりの「レッドアイ」が舞台を賑わせている。手に入らない真実への探究心は、長く人々の心を捉えはしなかったのである。
 しかし長い年月で廃れなかったものもあった。「RED STONE」であったり、不老不死であったり、不思議な魔法研究であったり‥‥‥。一般的なタブーを踏み越えて、「レッドアイ」は普通の者が辿り着けない境地を切り拓いたのだと考えられた。それは神格化され、崇拝の対象となった。世俗に疲れた人々は救いの光を超越者に求め、「レッドアイ」は遂に宗教となった。
 通称「レッドアイ教団」――――――国家への登録がなく、正式に代表者なども明らかにされていないので、あくまでも通称の域を出ない。信者たちは己の資産を全て教団に寄付し、教団はその費用の運用によって成り立っているという。極めて不審な宗教団体でありながら、一度入団した者は殆ど脱会せず、信者たちからは熱狂的に支持されている。その狂信的なシステムが多くの人々に敬遠されるものでありながら、さらに、その信者たちの容貌が、人々の生理には耐え難い不気味さを漂わせていた。ある者の証言によると、教団に入った古い友人に久方ぶりに会ったら、眼つきや話し方、表情などがまるっきり変わってしまっていて、かつての面影はなく、とても同一人物とは思えなかったという。
 いま灯火の下で、アイリたちの存在を気に留めるでもなく、もぞもぞと蠢いているボロたちはそういった信者であった。厄介事に巻き込まれないよう、アイリたちはなるべく刺激しないように歩を速めた。

 

 

 広間のようなところに出た。がらんとした空間に、石柱や崩れた何かのオブジェが見える。
 その陰から一匹の犬が静かに姿を現した。
 その犬は珍しい毛並みをしていて、全身燃えるような赤色――――――上質なワインレッドの毛並みで覆っていた。伝説上の生物、褐狙を思わせる出で立ちだった。
「わぁんちゃ〜〜〜ん」
その珍しさに無邪気にはしゃいで、アイリがなんの抵抗もなく近づこうとした。が、すぐに異変に気づいた。
 張り詰める周囲の空気。その中から光の筋が集まって。犬は四肢を屈めて、唸り声を上げる。
「ガルルルルルルル〜」
(魔法‥‥‥‥なの‥‥?)
 耳をつんざく咆哮と共に、激しい衝撃波が襲った。

 

 

 

「はっ!」
がばっと起き上がる。
 気がつくと、そこは見知らぬ部屋だった。宿屋か何か‥‥‥‥。隣でレモンちゃんがすやすや眠っている。
「おう気がついたかね」
部屋の外へ出るとエントランスがあり、やっぱり宿屋らしい。そこでフロントの中年男が応じてくれた。
 その男が言うには大体こんなことだった。
 アイリとレモンは旧レッドアイ研究所地下1階で、魔物に襲われて気を失ってしまったらしい。その場を偶々通りがかった冒険家一行が魔物を追い払って事なきを得たが、あわや失命の危機だったそうだ。その冒険家一行は自分たちの冒険を中断して、わざわざアイリたちをここまで運んでくれたとのことだった。
 話は理解したが、頭の中ではまだ事態が噛み砕けていない。
「あんたら、またなんであんな、危険なとこに行きなすった?」
 旧レッドアイ研究所――――――通称「赤目」は、やはり危険な所だった。少なくとも遊び半分で向かっていい場所ではない。狂信者たちに何されるかわかったもんじゃないし、かつてのレッドアイによって生み出された「モルモット」が教団の護衛を務める形となり、その恐怖はアイリたちは既に、街の地下水路で体験済みのことだった。中でも特に「赤い牙」と呼ばれる犬だか狼だかがいて、それは極めて危険な存在だった。文字通りその獰猛な牙にかかって、命を落とす冒険家も珍しくないとのことだった。
「まあ、生きて帰れば宿屋が儲かる、死んで帰れば葬儀屋が儲かる。どっちの世話になるかは自分で決めるこったな」
全く以てブルーナーらしい言い回しである。下手に身を案じられるよりも、ずっと危機意識を働かせなければならない必要に迫られる。
 冒険家一行にお礼をと思ったが、その一行はそれを察知して、名乗らず行ってしまったのだそうだ。

 

 

 部屋に戻るとレモンがまだ気持ち良さそうに眠っていた。カールがかったストロベリーブロンドの髪に贅沢な寝グセをつけて、卵肌のふくよかな頬をあらわにして、寝息を立てている。そんな様子を見ると、とりあえず彼女も大きな怪我などはしていないらしい。
 確かに―――――どうやらかなりやばかった、らしい。でも自分もレモンちゃんもとりあえず無事に帰ってこれたみたいで、ひとまずその幸運に感謝しても良さそうだった。勿論これからのことは、ちゃんと考えないといけないけど。
(すやすやすや‥‥‥)
 アイリは思案げな顔をして真剣に考えを巡らせようと、した。しかし隣でレモンが気持ちの良さそうな寝息を立てて熟睡していて、それはあまりにも呑気で、無防備すぎる寝顔だった。
「レモンちゃん起きて! 起きて、レモン!」
ぺしぺしぺしぺしぺしぺしぺし‥‥‥。
「う〜〜ん‥‥‥‥いた、痛、痛‥‥‥痛いよ〜」

 

 

 

「なんで人の話を聞かなかったのですか!!」
 意外にもロングッシュは激昂してアイリたちを叱りつけた。危険な場所にどうして行ったのか、命の大切さが分かっているのか、君たちが死んだらどれだけの人たちが悲しむのか、ちゃんと大人の言うことはよく聞きなさいとか、人の話はちゃんと最後まで聞きなさいとか、とにかく人の話は聞きなさいとか、誰がどう見ても正論と思えることを長々と説教された。勿論、仕方ないことである。こんな説教を聞けること自体が幸運と言っていいような、そんな事態に陥っていた可能性すら有り得たのだから。
 それにアイリとしてもロングッシュの説教に悪感がなかった。幼い頃から大人たちに怒られ続けてきたアイリには、確かにひどい大人もいた。悪ガキどもに説教したり、懲らしめてやることが生き甲斐とゆうような、或いはストレス発散のために怒ってくるような大人もいた。そうゆう大人は大抵みんなから嫌われていた。
 しかしロングッシュの叱り方からはそんなことは感じられない。寧ろ事の重大さを説く真摯さに鬼気迫るものがある。こんな風に他人の命を心配してくれるのは、耳は痛いが、有難いことに違いない。それも会ってまだ2、3回の人間に対して。
 アイマリーが紅茶を入れてきた。それは絶妙なタイミングだった。それをきっかけに説教は収束に向かった。
「もう気づいてるだろうが。お嬢さん方は、普通の人よりも強い魔力を持っている。しかしだからといって、いや、だからこそ、身にかかる危険に無頓着ではいけない。優れた冒険家は皆、危険と上手に向かい合っている。乗り越えられる危険なのか、回避してもいい危険なのか、ちゃんと見極めて対処する。そうやってなるべく少ないリスクで、大きな成果を上げるのが優れた冒険術というものだ。もし何かあったら、せっかくの才能も無駄になってしまうからね」
そこで紅茶を飲むように促してくれた。
「まあ最初からそんな危険を冒してはいけない。まずは比較的安全な仕事からこなして徐々に慣れていくのがいい。誰もが最初から偉大な冒険家だったわけではないのだから。こんな人がいた。私の知っている冒険家で‥‥‥‥‥」
収束に向かったのは激昂だけで、トーンが落ち着いてからは、寧ろもっと話が長くなったのだった。そしてアイマリーは全然違うことを考えていた。
(首席が私以外で、敬語を使わないなんて珍しいわ)
「何? 仕事が欲しかったのか! だったらどこかのギルドに登録させてもらうのがいい。しかし女の子二人、変なところに入っても危険だ。まずはギルドに入らなくても貰える仕事を探すのがいいかもしれない。このブルンネンシュティグには困っている人もたくさんいるからね。どちらにしても安全を心がけて行動するように」

 

 

 

 それからはアイリとレモンは何でも話し合って行動するようになった。大抵、行動力溢れる(考えたらずな)アイリが指針を決め、慎重なレモンがその修正や微調整をする、といった感じ。
 二人であーでもないこーでもないやりながら、日々の行動を決めるのは、楽しかった。そして意外にも、そうゆう目で見てみると、古都ブルンネンシュティグには大なり小なり助けを必要としている人がたくさんいるということがわかった。そういった人を見つけては、積極的に声を掛けていくことにした。

 

 

 

『疫病退治』
 医者のファーガソンさんは、街の西口付近のコボルトたちの間で流行っている病を気にしている。今はコボルトにしかかからない病気だが、いつ人間に伝染するかわからないからだ。疫病研究のために、病気のコボルトの服を10着ほど拝借してきてほしい、とのこと。
(コボルト‥‥‥‥病気‥‥‥? 全然きづかなかったなー)
 また「キエエキエエ」言われるかと思ったが、洞窟付近のコボルトたちはアイリに「とても友好的に」洋服を提供してくれた。実に平和的な解決方法だった。
 報酬500G。

 

 

 

『幼稚な復讐』
 ファーガソンさんに服を届けに帰る、プラトン街道の途中。
「おいお前たち! さっきの見てたぞ。なかなかやるようだなァー」
(なにこの人)
青年はベンデルカンプといった。
「しかし、冒険家としてはまだまだ未熟なようだな」
(ムムッ)
「どうだ? この俺に協力すれば、冒険のコツってやつを、教えてやらんでもないが‥‥」
ベンデルカンプの依頼はコボルトたちへの復讐だった。なんでも、数に任せて襲い掛かるコボルトに不覚を取ったことがあるそうだ。調子に乗られても困るから、ちょっと痛い目に遭わせて懲らしめてやりたいのだそうだ。
「なんで自分でやらないの?」
「‥‥‥じ、実は‥‥その時、骨にひびが入ってしまってな。自分でやりたいのは山々なんだが、こいつのせいでそうもいかんでなァ〜」
そう言って左腕をさすった。「つ‥‥‥いててて」
 仕返しの方法は、ペンでコボルトの顔に落書きするという幼稚なもの。しかし、魔法のインクで書かれた落書きは中々消えないため、精神的ダメージは存外大きかった。
 最初のうちは良かった。が、何匹目かのコボルトを懲らしめて、アイリが落書きしようとした時、
「キエエック〜(なんで、こんなヒドいことするんですか〜?)」
コボルトの瞳が訴えかけてきた。
「ねぇアイリ。もう、やめない?」
確かに、なにか悪い気がしてきた。
 落書きをやめて、二人はベンデルカンプのもとへ戻ることにした。
「おお、お前たち。よくやってくれたな! 随分インクの量が減ってるみたいだ」
「で、冒険のコツって何を教えてくれるの?」
「‥‥‥‥あ、ああ‥‥‥‥‥そうだな‥‥‥‥‥」
どうにも様子が不審である。適当にはぐらかそうとしているようだ。
 ふと、いつの間にかベンデルカンプの脇に寄ってきていたレモンが、その左腕をぎゅっと掴んだ。
 ‥‥‥‥‥。
 不思議な沈黙の時間がある‥‥‥。
 ややあって、ベンデルカンプは思い出したように、
「いて! いてえな。何すんだよ!」
慌てて言った。‥‥‥‥‥そんなんで誤魔化される二人ではない。
「レモンちゃん!」
「はいな」
レモンが後ろから羽交い絞めにして、アイリはペンを持って近づいていく。魔法のインクで書かれた落書きは、中々消えないのだそうだ。
「なにをする!」
じたばたするがレモンの拘束は振り解けない。アイリはじりじりと歩み寄ってくる。にんまりとした不敵な笑みと左の手つきがいやらしい。
「ば、ばか! よせおまえら! は、はなせ!(‥‥あれ、でもなんかこの子、いい匂い‥‥‥)」
「フッフッフ‥‥」
「やめろーーーー!」
ぎょええええええええええええええええええええええ!
 報酬0G。

 

 

 

『薬草を掘る年寄り』
 ブルンネンシュティグ南口。遥か北方の山奥に水源を持つバヘル河は、街の東側のお堀を担って南へ下り、そこで折れ曲がって、その流れを南北から東西へと変えている。その流域の南側には更に幾筋もの支流―――――ギルディル川が網のように流れ、辺り一帯に湿地帯が広がっている。風にのって黄土が吹き荒れる西口の乾燥地帯とは異なった、じめじめとした様相を呈している。
 南口を出てすぐのところに、億劫そうに腰を叩いて木陰で休んでいるお年寄りがいた。
「どうかしたんですか〜」
 お年よりの名はケリオ。持病の神経痛に効く薬材を採りにきたが、その神経痛のせいで歩くのもしんどくなってしまったのだそうだ。
「いいよ、取ってきてあげる!」
(報酬は当てにできなさそうだけど、お年寄りは大切にしなくちゃね!)
「おぉ〜そうかそうか。感心な娘さんたちだね〜」
 話してみると、ケリオはブルンネンシュティグでは名の知れた薬剤師で、昔は街の薬の大部分が彼の手によって調合されていたらしい。今はその仕事は弟子たちに任せて、自分の分の薬だけ調合しているとのこと。
「採ってきてほしいのは墓碑につく黄色コケ、石の上につく緑コケ、木の建物に生えた赤色のキノコ、木の切り株に生えた黄色のキノコ‥‥‥」
「ちょっ、ちょ、ちょっと待って!」
(なんでいきなり早口なの!)
 頼まれた薬材は「墓碑につく黄色コケ」「石の上につく緑コケ」「木の建物に生えた赤色のキノコ」「木の切り株に生えた黄色のキノコ」「つつじの花びら」「亀の卵」の6種。
「ええと、石の切り株に生えた‥‥‥‥?」
「木の切り株でしょ!」
「‥‥‥木の上につくテングダケ‥‥‥‥」
(毒じゃね? それ)
基本はアイリがボケて、レモンがつっこむ。どちらも天然である。
「あっ! アイリ! あれそうじゃない?」
「なにを言ってるのレモンちゃん。あれは『木の切り株に生えた赤色のキノコ』でしょ。私たちが探してるのは『木の建物に生えた緑のキノコ』!」
「それを言うなら『木の建物に生えた黄色のキノコ』じゃない?」
もうなにがなんだか‥‥‥。
 一応全部集め切った。
「ありがとうお嬢ちゃんたち」
ケリオじいさんはお礼に、薬に関する知識を教えてくれた。薬をより有効的に摂取する方法や、気をつけなければ薬自体が毒になってしまうこともあるってこと。これは冒険家としては、知っておかなきゃならない知識じゃないかしら!
 報酬、薬剤に関する知識。

 

 

 

『チョキーのペット犬』
 武器屋のチョキーはブルンネンシュティグでも有名な露店商。いつも街の西口近くの橋の上に店を広げている。場所柄、元素の流れがいいところなのか、不思議と人々の待ち合わせ場所に使われたりする。「じゃあ朝10時、チョキー前でね〜」などのように。
 偶々通りかかったアイリとレモンは、茣蓙の上の時計やらアクセサリーやらを手にとってキャッキャッしている。「おじさん、これいくら〜?」尋ねた時。呼びかけに応じる店主の顔が、一瞬、異様な青紫色になっているのが見えた。
「ああ、それはね‥‥‥」
「‥‥‥‥何か‥あったんですか?」
 チョキーには飼っている小犬がいたそうだ。名前はチョカ。数年前に他界した息子の名前を付けて、実際、本当の息子のように可愛がっていたらしい。
 数日前、家の扉をちょっと開けといた隙に外へ出てしまって、それから戻らない。普通、犬なんだからちょっと遊びに行っても食事時には帰ってきそうなものなのに、帰らない。
 後日チョカを見かけたという冒険家がやってきて、その人が言うにはグレートフォレストの入り口で見かけたとのこと。
 グレートフォレスト―――――古都西口をプラトン街道沿いにずっと進むと突き当たる森。位置的には赤目研究所の北西にある。街道沿いとはいえほぼ森の中となるので、自然界の脅威に晒されて、どのような危険な目に遭うかはわからない。
 久々に冒険らしい冒険である。
 勿論、危険には万全の備えをしていかなければならない。
 二人は準備を調えて、翌朝早くグレートフォレストへと向かった。

 

 

 森の入り口に着くころはお昼近くになった。
 この付近にはよく大蜘蛛の怪物が出没するようだ。犬で言えば中型犬くらいの大きさがある。アイリは蜘蛛にも爪や牙があるのだと初めて知った。さっきから何度か遭遇し、よほど好戦的な性質なのか、アイリたちを発見するたび執拗な襲撃を繰り返してくる。
 一匹一匹ならばそうでもないが、なんといっても数が多い。退治したかと思っても、またすぐ別の蜘蛛がやってくるのだ。対処できないほどではないが、纏わりつかれるのが大分煩わしかった。
 そしてそれは別の不安を擡げてきた。
「ねえレモンちゃん‥‥‥‥チョカは、森の中には、いないと思うの」
人間二人でさえこの苦労である。小犬一匹がたどり着く運命は‥‥‥‥容易に想像できた。
 よく考えるとこの森は蜘蛛ばかりで他の動物を見ない。異常繁殖した蜘蛛たちのせいで生態系が崩れてしまったのか、少なくともこの森は大蜘蛛たちの根城であり、他の動物にとってはかなり危険な地帯となってしまっているようだった。
「入り口付近を、もう少し捜してみよう」
 アイリたちは駆った。チョカの痕跡を求めて。そして狩った。襲い掛かる蜘蛛の化け物どもを。

 

 

 予期はしていた。
 が、望んではいなかった。
 地面に落ちていた小さな首輪を見つけた。
 皮の首輪の大きさは、丁度小犬の首くらい。血で真っ黒に変色して、一度口に入れてから吐き出されたのか、引き千切られた無残な痕がある。かろうじて読み取れた「choka」のスペル。
 手にとって思った。
(こんなに小さなボロボロの首輪なのに‥‥‥‥‥‥なんて、重たいんだろう‥‥‥‥)
 それは確かに命の重さだった。かつてこの首輪が繋ぎ止めていた命、今はもう失われてしまった命を、それでもなお繋ぎ止めようとしているかのような。
 悲しみの元素が胸に去来し、二人、無口になる。
 だが、ここは大蜘蛛たちの巣窟だった。哀愁に浸っている暇はなかった。
 ‥‥‥‥‥‥囲まれていた。
 十‥‥二十くらいはいるだろうか。
 各々不気味に八肢を動かし、口からシューシュー息を吹き出して、その獰猛な牙を嚙み合わせながら近づいてくる。
 その中に。
 他の蜘蛛たちよりも何回りも体躯の大きい蜘蛛がいた。
 その蜘蛛の周りだけ、他のところよりも密度の濃い布陣が敷かれている。
(おそらく‥‥あれが親玉‥‥‥‥)
 アイリは慣れた手付きで木の棒を勢いよく回して構えた。
 レモンは両手を広げて、この世界に散在する元素を集約し出した。
(仇‥‥うつからね)
 いち早く木の棒に元素を注入し終えたアイリは、蜘蛛どもに躍り懸かった。
 槍は「突く」よりも「斬る」イメージで。多勢相手で「突く」は勝手が悪そうだ。山吹色の魔法の薙刀を駆って、アイリは蜘蛛たちをなぎ払った。槍はアイリに馴染んで、もうすっかり体の一部だった。
 今日何度目かの元素を集めながら、レモンは一つわかったことがある。
 それはアイリの魔法の速さだった。
 自分に魔法の才能があるのは知っていた。そのことは家庭教師もよく話してくれたから。
 確かに魔力の総量(集められる元素の総量)は自分の方が上だと思う。
 ただアイリの魔力は速いのだ。
 あっという間に総量の元素を集められる。
 だからすぐ行動に移せる。
 これは何より、より実践的な魔法かもしれなかった。
 魔法のことで人に遅れをとったと感じたのは、生まれて初めてのことだった‥‥‥‥‥。
 そうこうしてるうちに充電は終わった。
 体の中に溢れて、うねる元素たちが行き場を求めてる。
(今、出してあげるから)
 レモンが元素を解き放つと、蒼白い光の渦が津波のように蜘蛛たちを呑み込んでいった。

 

 

 

「ああ、信じられない‥‥‥。なんで、俺の周りでは、こんなことばかり起こるんだ‥‥‥‥‥」
(チョキーさん‥‥‥‥‥)
誰にもどうしようもないことだった。だけど掛ける言葉はなかった。
「お嬢ちゃんたち。すまなかった。これは今回の仕事への気持ちだ。受け取ってくれ‥‥‥」
報酬を受け取るのは義務であり礼儀であり、慰みだった。受け取らないよりもずっと。

 

 「死」―――――はこんなにすぐ近くにあるのだ。
 開かれた扉。
 広い世界に飛び出して好奇心旺盛に走り回る犬。
 うれしくて、楽しくて。どこまでもゆける気分だったのだろう。
 もう戻れないなんて思いもしなかっただろう。
 怖かっただろうに。
 苦しかっただろうに。
 一人寂しく死んでいくなんて――――。
 最期に何を思ったのだろう。
 どうか安らかに眠ってください―――――。

 

 静かにチョカの冥福を祈った。
「あと、他のチョカたちの行方もわからないんだ。残りの奴らの探索も頼んでいいかな?」
 ‥‥‥‥‥‥。
 は?
「ん? 何でそんな目で見るんだ? 同じ名前の犬を何匹飼っていてもいいじゃないか。どうやらみんな同じ方向に逃げてしまったらしいのだ。見つけてくれれば今回と同じだけ報酬は払うから」
 ぇえ?!
 ええええええええええええええーっ!
 報酬3,000G。 

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