第3章 アリエルの薬

 街の西口を抜けると、石畳で舗装された道はそこで途絶えている。代わりに一面黄土の世界が広がり、切り立った崖や雑木林の中に、彼方まで続く長い道が見える。中央プラトン街道――――大陸東西貿易の主要交易路であったプラトン街道の中央部。かつて長い歴史とともに多くの交易商人たちによって踏み固められたこの道も、次元門生成装置「テレポーター」の出現により、行商に利用されることは少なくなった。今や腕試しに武者修行、仕事の依頼などを受けて旅立つ冒険家たちが行き交うばかりである。


 西口を出てすぐのところに、街道脇で頭を抱えて、何事かうんうん唸りながら、行っては立ち止まり戻っては立ち止まりしている一人の男がいる。身長はかなり低く、マッシュルームカットの髪型に、淡い紫のウェストコートと草色のカーゴハーフパンツ。白いハイソックスをきっちり膝まで上げている様子は、いかにも「坊っちゃん」と言った感じである。「いじめてやろう」というイタズラ心が疼かないでもなかったが、さすがにその様子は深刻そうであった。こんな情けなさそうな男をほったらかしにしては、アイリの男気が廃るというもの。なよなよした小男を叱咤激励するつもりで、声をかけてやることにした。
「どうかしたの?」
すると小男は一旦は立ち止まってアイリを一瞥した。が、またすぐに元のむつかしい顔に戻ってうんうん唸り出した。
(こ、こいつ…………無視か?)
見るからに情けなさそうな小男が困っているみたいだから、「助けてやろう」と上から臨んだアイリの立場が台無しにされた気がして、若干癇に障った。
「ちょっとっ! どうしたのって、聞いてるでしょ!」
近づいて怒鳴ってやると、背が女のアイリよりもまだ低かった。そのせいか幼く見えたが、年齢はアイリよりも上かもしれない。男の方はアイリの怒気に圧されて、体を向き直し、漸く事情を話す気になったらしい。ところが……。
 すぐに男は下を向いて、悔しさいっぱい顔全体で噛み締めながら、うめき出した。
「う……俺が少しでもケンカが強かったら…………」
(もう、なんなの……この子…………)
アイリが呆れるのも無理のない、この途方のない挙動を続ける小男はヘバといった。


 ヘバの話をまとめると大体次のようなことであった。
 この先の家に住んでいるアリエル嬢が父の薬を買って帰る途中、西の森でコボルトに襲われ、薬を落としてしまったらしい。自分が行って取り返してあげたいが、ケンカも強くない自分が行っても、難しいことだと思われる。そうこうしているうちにアリエルの親父さんの病状は悪化しつつあるという。早くなんとかしてあげたいが、自分にはどうしようもない。何かいい方法はないだろうか……。
「なんだ。そんなことか」
「そ……そんなこと、って……」
一体いつからそんなことで悩んでいるのか。そこらの冒険家にでも声をかけて、取ってきてもらえばいいじゃないか、とアイリは思う。勿論全くその通りなのだが、冒険家の中には物騒な連中も多く、助けを求めた相手が信用できるという保証はどこにもない。そのためヘバは気後れしてしまっていた、という事情があった。
「いいよ、私が取ってきてあげる」
「えっ? ……でも、君は女の子じゃないか……。危ないよ……」
(カッチーン!)
またまたヘバの言動はアイリの気に触れてしまったらしい。
(このアイリ様をただの女の子と同列に扱うなんて、見くびられたものね!)
先刻、男の子に間違えられてムキになり、今度は女の子として扱われたことが癪に障る。思春期の乙女心の機微を量るのは存外難しい。
 アイリはヘバの肩越しに、ほうきか何かの、長さも堅さも丁度良さげな柄のような物が転がっているのを見つけた。ヘバの心配を余所につかつかと歩き、それを拾い上げる。
「まあ、見てなよ」
言いながらアイリは男勝りに棒を肩に担いだ。女の子とはいえ、そんな自信たっぷりに微笑まれると、ヘバは何も言えず、ただその背を見送ることしかできなかった。

 

 

 プラトン街道の北側には丘陵が続き、その裾野に森が広がっている。街道はそれを迂回するように西へ伸び、歩いていくとすぐに一つ目の森が見えた。
 人里に最も近いこの森は、木々の密度が高くなく、林床にも所々太陽の光が差し込んできて明るかった。足元に伸びる膝丈くらいのシダ植物が歩みを煩わせるが、陰湿さのない地面は程よく固く、アイリの靴でも十分歩行が可能だ。
 アリエルから薬を奪ったコボルトというのは、悪魔の階級の中でも最も位の低い下等種族である。コボルトは森や洞窟に集落を作って小さな部族社会を形成する。犬のような顔と尻尾、長い耳を持つ亜人種である。成人しても背丈は1m〜1m20cm程度で、小柄な体躯は人間の筋力に遠く及ばない。性格は臆病だが狡猾で悪戯好きで、近隣の生物に好んで悪さを働いたりする。物を盗んだり、壊したり、隠したり……。言ってしまえば誰かさんの幼年期とさして変わりがない。
 そういった性質は集落ごとに異なるようで、森や洞窟の深部においては凶悪で残忍な種も生息しているようである。人里近くにそれら有害種が発生すると討伐の対象になり易かったので、コボルトたちもそれに順応して生態を変え、自然とそのような分布図が出来上がったと思われる。これからアイリが遭遇するであろう西の森のコボルトたちは、比較的ではあるが安全な部類と言えるだろう。
 そんなコボルト相手にヘバは逡巡しているから、そのだらしのなさに呆れて、アイリは今ここにいる。元々はアリエルを一目見たい思いで飛び出してきたのだが、ヘバのせいですっかり焦点がずらされてしまった。しかし、薬を取り返すのは結局はアリエルのためになることだし、それをきっかけにしてアリエルとよりお近づきになれるかもしれない、というよこしまな目論見も芽生えてきていた。そうゆうことには良く頭の回るアイリであった。が、異性相手の恋愛ならともかく、同性相手の好奇によってそれを成すのだから「よこしま」と言わざるを得ない。
(いた……)
 足元の茂みに音を立てないように気を割きながら、アイリは素早く幹の陰に隠れた。
 アイリの視線の20 m程先に、獣道を闊歩する人間でない生き物がいる。二足歩行の犬と猿を足して二で割ったような外形――――理科の教科書にある通りである。子供の頃は大人たちの目を盗んで森にやってきて、何度か見かけたことはあった。しかしそれはさすがに危険(コボルトに襲われることと、大人たちに怒られることの二重の意味で)だったし、大きくなってからはこうゆう類のやんちゃは、する仲間がいなかった。久しい記憶の糸を手繰れば、コボルトはこんななりだったかどうか……。不確かな違和感を覚えたのは、ひとえにアイリの体が発育したからであろう。しかし記憶にも教科書にもない、明らかな違いがその手に握られていた。
(あれは薬屋の紙袋だ……)
想定していたよりもずっと早かった目標物との邂逅。焦る気持ちを深呼吸して抑える。握り締めた木の棒に汗を滲ませながら、アイリは身を翻して嚇しかけた。
「そこのあなた! その袋を置いて、お逃げなさい! さもなくば酷い目にあわせるわよ!」
「キエエ?」
コボルとは進行方向から体の向きを変えず、首だけ135度振り向いた。関節の柔らかいコボルトからしてみれば別段自然な動作であったが、その様子に不敵さを看て取ったアイリは「何だ? 人間ごときが」と勝手にコボルト語を翻訳し、要求に応じる気配なしと判断。強硬手段を行使することとなった。


「うおおおりゃああああああ!!」
 大きく振りかぶった木の棒の重さを持て余しながら、迷うことなく一撃、振り下ろした。
 ゴツン!!
 棒は犬の頭に直下した。
(手を休めちゃダメだ……)
 緊張で心臓がどきどき、早くなるのを感じながら、危機感に曝されて、息を整える間もなく、次の一撃を振りかぶった。
 右から左!
 ブウゥゥン!
 振り回した一撃は空を切った。
 それはコボルトが、一撃をお見舞いされた驚きと痛みとに、目から星が飛び出るくらいびっくりして、アイリに襲いかかることもなく逃げ出してしまったからだった。
「キエエェェェ……」


 目の前には投げ捨てられた茶色い紙袋がある。高められた緊張感の、やるせなさに駆られながら、少しだけ呼吸を落ち着かせて、アイリは薬屋の袋を拾い上げた。中を確認すると、袋の底に小瓶があり、その中いっぱいに詰められた丸薬が見える。
「やった……」
まだ激しく打ちつける胸の動機を堪えながら、元来た道へ帰るべく、アイリはプラトン街道を目指した。

 

 

 戻ってきたアイリの姿を見つけたヘバは、すぐにその右手に摘まれた紙袋の存在に気付いた。
「うわあ、本当に手に入れてきたんですね。……これでアリエルお嬢さんも喜びますよ」
驚きと賞賛とを織り交ぜた視線でアイリを見つめている。アイリも「ほれ見たことか」と言わんばかり、得意気な顔で迎える。ちょっと前まで、心臓が飛び出すかのような思いをしてきたことは忘れている。ヘバは続けた。
「それに私の評判も良くなりますね」
(……ん?)
意味がよく、わからない。
 その発言の真意もわからなかったが、ぼそぼそと呟いている内容がどうにも不審に思える。
「……けど、別に俺が手に入れたわけじゃないからな………………待てよ? ……そうだ!」
(この子、何を言ってるの…………??)
「あの〜」
 はい。
「俺にその薬、売ってくれませんか?」
 えっ?
 ええええええええーーーっ?!

 まさかとは思ったが、どうやらヘバは、アイリが手に入れてきた薬を自分の手柄にして、アリエルの気を引こうとしているらしい。
 男気溢れるアイリには信じられない発言、信じられない人種である。男のくせに、たかがコボルト相手に挑んでくる度胸もなく、女の子を危険にさらして、その上、そうやって手に入れた他人の手柄を金で買おう、ですって?
 常軌を逸したあまりに酷い要求は、逆にアイリを困惑させた。
 ……えええーっ?! ……せっかくあたしが取ってきたのに、渡さなきゃいけないの…………??
 ………………でも、別にアリエルからしたら、誰が手に入れたかなんて関係ないし、その方がこの子のためにもなるし、今月のおこづかいも残り少ないし………………でもでも、それは正しいことなのかしら……???
 考えながら半分泣きそうになった。
 アイリの頭の中に「人助け」「思いやり」「正義感」「道徳」…………様々な思いが交錯している。それら義侠心によってあっという間に脳みそのキャパシティはいっぱいになって、その演算能力は追いつかなくなった。もうチンプンカンプンだ。
(う〜ん、う〜ん…………)
「や、やっぱり……そうですよね…………」
不得意な頭脳労働に悪戦苦闘しながら、なかなか答えの出せないアイリであったが、小心者のヘバの方がそれを汲み取った。
 自分がやったわけでもないのに、自分が手に入れたと言ったら、アリエルお嬢さんを騙すことになってしまうし、そんなの卑怯者がやることですよね。無駄なことを言ってごめんなさい。
 混乱している頭で聞いたからよくわからないが、ヘバは大体そんなことを言ったらしい。
「やっぱり、あなたが渡してください。それが正しいことだと思います。アリエルさんの家はこの先を行ったところにありますから…………」
 ああ……良かった…………。
 ヘバの心の奥底に残された最後の「男気」に有り難みを感じながら、アイリはその場を後にした。
 いよいよ念願のアリエル嬢拝見である。古都一の美女とは、果たして…………。

 

 

 ヘバに教わった方角を進むとすぐに、山麓の傾斜を背にした掘っ立て小屋が見えた。ちょうど戸口へ向かう女性の後姿が見える。
(あれがアリエルかな?)
まるで隣のクラスにきた、イケメン転校生でも見に行くような心持ちである。
 女性は重そうな水桶を両手で運んでいる。白いブラウスに薄いピンクのカーディガン、作業の邪魔になるからか袖を巻くって、ビリヤード台の羅紗のような深い緑色をしたロングスカートで足元まで覆っている。長い黒髪は後ろに流して赤いゴム紐で一つにまとめ、左手首に貝殻を連ねたブレスレットをしている。……そのまま戸口へ消えてった。
(…………)
 どうにも地味目な印象だった。コンテストの優勝者だというから、もっと艶やかな女性を想像していた。もっと分かりやすい、派手目でゴージャスな感じの。それとも別人かな?
 あれこれ思いを廻らしてみたものの、とりあえずこの薬は必要なはずだ。持ってってあげなければ……。とか考えているうちに、また戸口から現れた。
「あのー、すいません。……アリエルさんですか?」
声をかけてから、気がついた。
 返事を待たずとも、面と向かい合っただけでそれと判る。この人がアリエルだ……。
 彼女が古都一だった。遠くから見た時は服装などの地味な印象が目立ったが、そうでなかった。
「ええ、そうですが……」
(やっぱり……)
 アリエルの魅力を言葉で表すのは難しかった。勿論、目鼻顔立ちはバランスが取れて綺麗だったが、そういった所からくる魅力ではない。印象としてはやはり全体的に控え目で、言ってしまえば地味なのだが、どこかそそられるような、見る者の心を擽るような不思議な魅力が泉のように滾々と溢れている。
 普通、古都の女性は大きくてつぶらな瞳に憧れるが、彼女のは細く切れ長で、しかも一重だった。しかしその瞳はどこか、こんがり焼けたパンに乗せたバターのように、こちらの気持ちをとろけさせるような、奥床しい愛らしさがある。小さな口の豊かな下唇や、優しそうだがその意思の強さをはっきり伝えている柳眉。それらは外見的特徴だけでなく、心の内面から滲み出てきた美しさなのだと思う。だからかえって、あまり派手でない質素な服飾も、彼女の魅力を余すことなく伝えている。まぎれなく彼女が、古都一の美女なのだろう。
「あなたが薬を取られて、困っているって聞いて……」
紙袋を差し出した。アリエルは少し驚いて、それからおそるおそる受け取った。アイリは得意気な様子は隠して、ちゃっかりと感謝の言葉を待つ。
 しっかし、それにしても。こんな子がグランプリに選ばれるなんて、意外とミス・コンとゆうやつも侮ったもんじゃないな。普通はもっと、分かりやすい女性が選ばれるものだと思ってた。そうゆう華やかな舞台で、アリエルのような控え目な女性の魅力に気づけるもんだろうか。だとしたらかなり厳正な審査が行われたりしているのだろうか……。
「……この薬………………何、かしら?」
(……ん?)
「父の薬と違うみたいだけど……?」
(えっ?)
「あ、胃腸薬って書いてある……」
(…………まさか?!)
そのまさかだった。
 アイリが拾ってきた薬は、偶然にも全然別の物だった。こんなことって……。
「そんなぁー。あんなしんどい思いして、奪い返してきたのにー」
「ごめんなさいね……」
アリエルがクスクス笑った。それは見ているこっちの方がうれしくなるような笑顔だった。まだ寒い季節に息吹いた芽が、春になって色づかせた、新緑の若葉のような。その笑顔に甘えたくなった。
 アイリは話した。これまでの経過を。男のくせにだらしないヘバのことや、薬を奪ったコボルトが意外に早くみつかったこと。そのコボルトが生意気でぶちのめしてやったことなど、色々話した。
「え? ぶちのめした、って……どこのコボルトをですか?」
すぐそこの森だよ、とアイリは答えた。別に危なくなかったよ、と。すると…………アリエルの表情が見る見る曇っていった。
「………………西の森のコボルトさんたちは、そんなことしません」
「?!」
 彼女の話によると、西の森はかなり街に近いこともあって、そこのコボルトたちは人間に友好的らしかった。特にアリエルの場合など、時々家に遊びに来て、薪割りや水汲みを手伝ってくれるのだそうだ。そのお礼にクッキーなぞ焼いてあげると、大喜びして、次には仲間たちと一緒に来たりする。そんな西の森のコボルトさんたちが、私を襲ったりなんかしません、とのこと。
「そうゆうことするのは、もっと西の……洞窟付近のコボルトか、そこから南に下った森のコボルトさんたちです」
美人の冷やかな視線が痛かった。
「…………うん……じゃ、そっち探してみるね…………」
脱力感は拭いきれない。せっかく仲良くなれそうだったのに。
「あ、ごめんなさい。そうゆうつもりで言ったんじゃ…………。悪いです、もう一回行ってもらうなんて……薬はまた買えばいいし…………」
薬を取り返してこようという態度には感謝してくれてるらしい。だからこそアイリは行かねばならない。
「次は見ててね」
持ち前の負けん気を奮って、アイリは再び森へと向かった。


 アイリが行ってすぐ、戸口から男の声がした。
「アリエル〜〜。騒がしいが何だね?」
男はのっそりとした動作で表に出てくると、太陽の光に立ち眩みした。
「お父さん! 出ちゃだめですから!」


「くっそ〜〜〜〜」
 なんだか今日は、ヘマばかりだな…………。今に見てろよ…………。
 不屈の精神を胸に秘め、アイリは再びプラトン街道を西へ走った。

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