第11章 衝撃的告白!

『フラムベルを探して』
 数時間後、レモンは一人、ハノブ南の高台にある望楼にいた。
 エルンベルク山脈中腹にある簡素な木造りのこの望楼は、警備兵の詰め所となっていて、かつては多くの共和国兵士がここから付近の巡回を行っていた。フラムベルもそんな兵士の一人であった。
 ハノブの青年、セルファンの話。
「俺には、高台望楼で警備兵として働いてるフラムベルという義兄弟がいる。あいつとは月に一回くらい、手紙のやり取りをしていたんだが、最後の手紙からもう3ヶ月も連絡がない」
噂によると、ハノブ高台望楼は数ヶ月前からモンスターが異常発生し、その襲撃を受けていたという。
「あいつのことだから、平気だとは思うんだが‥‥‥。俺も現地に行ってみたんだが、あの辺りはモンスターが多くてな‥‥‥近寄ることも出来なかった」
高台望楼に行って、フラムベルの安否を確認してきてくれる冒険家を探しているとのこと。

 

 ヴァリーの提案通りならば、各自の仕事はここまで。あとは三人で依頼をこなせばいい話だった。しかし。
(それでホントにいいのだろうか‥‥‥?)
 レイモンドの心に去来する「何か」があった。
 確かに、男であの体躯のレオンや、女でも運動神経バツグンのアイリなんかと比べられては困るけど。
 でも、レモンももう立派な「冒険家」だった。
 一人でも何か成し遂げられることを証明したかったし、或いは「挑戦」してみたかった。
 戦うときはいつも、アイリやレオンが庇うようにしてくれるけど。二人の足手まといなんかになりたくない。一人でもちゃんとできるってこと、確かめたい。
 そう思ってレモンは、ヴァリーのルールを無視して、一人で望楼までやって来たのだった。

 

 ハノブ高台望楼。
 ここまで来る数時間の道程で、小さな危機にいくつか遭った。けど、無理はしない。一人で冒険してみて、強く、身に沁みて認識させられる「安全」という二文字の意義。避けられる危機は避け、モンスターが襲い掛かってくる場合も、雷で威嚇してやれば、それ以上は深入りしてこない―――――――「こさせない」という強い意志がまた、必要だったりする。
 ところでレイモンドには、恵まれた魔法の才能があったから、ここまで来ることができた。
 しかし、セルファンは「望楼は異常発生したモンスターの襲撃を受けている」「モンスターが多くて近寄ることも出来ない」と言った。望楼に至るまでの道ですら、この有り様である。望楼内の様子は、予め想定できないようなものではなかった‥‥‥‥‥‥フラムベルの安否も。
 望楼の扉を開くと、噎せ返るような熱い空気が立ち込めた。密閉された望楼内は、残暑の熱気を集めて蒸し暑かった。
 木造の床は、歩くと底の浅いパンプスの立てる、乾いた音がよく響いた。
 窓ガラスから差し込む光に、舞い上がる塵埃が見える。
 望楼内は空気が沈澱したかのように静寂だった。それはただの静寂と違う、不気味さの支配下に置かれた寂寞感。
 ここの元素は、まるで――――――墓場や廃墟に漂う元素と同じ。常人でもそれと知れることであったが、魔力の高いレモンはより精度の高い情緒を、元素たちから感じ取ることができた。

 

 

 魔法学の研究者たちは、元素には「正と負」の状態があるという。
 「元素」は万物に宿る霊的な生命エネルギー、というのが一般的な認識である。元素がその働きを正しく行っているところでは、万物は活性化し、その営みは豊かになる。これが元素の「正」の状態である。元素と交感し、行使するのが「魔法」だが、これに用いられるのは元素は皆、「正」の状態である。
 一方「負」の元素とは、元素がそれらの作用を失った状態を指している。例えば「作物がよく育たない」「虫や動物があまり寄りつかない」「不気味だったり、殺伐としていたり、そこはかとなく淋しげに感じる」これらの環境では、辺りに「負」の元素が蔓延している可能性が高い。
 元素の「正と負」、この相互間の関係や、それぞれの属性自体、まだ解明されてないところも多いが、高台望楼でレモンが感じ取ったのは紛れもなく「負」の元素であった。「負」の元素が蔓延る場所にも、「正」の元素は存在しているので、魔法使いたちは問題なく魔法を行使することはできる。しかし、多くの魔法使いたちはそのような場所に長く留まって魔法を扱うのは「忍びない」と、直感的に感じるという。

 

 元素の「正と負」は一般に広く普及した概念であるが、この呼称に対して、批判的な立場を取っている者がいる。元素学研究者たちである。
 「元素」は万物の源。人間を始め、自然界のありとあらゆるものは元素から派生したものである、と元素学者たちは考えている。
 つまり、魔法学者や一般的な概念とは「主と従」の捉え方が違う。
 普通、魔法は「日常生活を便利にするもの」程度に考えられているので、人々はあくまでも「人間」が「主」で、「元素」は「従」と捉えている。しかし、元素学の考えに基づくならば「主」は「元素」であり、それ以外の自然界の事象全ては「従」なのである。
 彼等に言わせれば――――――「正と負」の概念は、人間側からの便宜上、付与された名称で、元素は魔法のためや、そもそも人間や自然に役立つために存在するものではない。それを「正(=善)」「負(=悪)」という二元論的な捉え方をするのは、万物の霊長たる、人間のエゴである――――――ということになる。
 ちなみに元素学者たちは陰陽思想に基づき、これを「陰と陽」と呼称する。
 陰陽思想では、受動的なものを「陰」、能動的なものを「陽」と分類するが、これは善と悪のように対立する概念ではない。「陰」も「陽」も一つの事象の片面を表しているに過ぎず、それぞれの面が消長を繰り返すことによって、より強まった側の属性が表面化するのである。あくまでも両方合わさって一つであり、これらは別個で考える可きものでない。さながらコインの裏表のようなものである。
 結局のところ、魔法に作用するのが「正」や「陽」の状態にある元素で、「負」「陰」の元素はこれに作用しない、とするのは共通の認識である。しかし元素学者たちは、「陰」の状態にも意味がある、と考える。「陰」にも「陽」にも、元素は何らかの働きを有していて、その働きが行われると反作用的に逆の属性が高められ、二属性は循環する。ただし、「陰」の働きに関しては現在の人類の研究レベルでは解明できていない、と考えている。

 

 元素の「正と負」「陰と陽」、二属性の繰り返される盛衰の関係を言及したものに、近代の民俗学研究の第一人者ウィラード・ライスフィールドが見出した「ハレとケ」の観念がある。
 ライスフィールドは、人々の生活習慣は「ハレとケ」、二つの観念に区分される、とした。
 「ハレ(晴)」は儀礼・祭礼・年中行事など「非日常」を指し、「ケ(褻)」はそれ以外の普段の生活「日常」を指している。例えば、特別な日に身に付ける着飾った衣裳のことを「晴れ着」というが、これに対して、かつては普段着のことを「褻着」と呼んでいた(この呼称は中世以降廃れて、現在は使われていない)。
 また後の研究で「ハレとケ」は更に「ケガレ(褻枯れ・気枯れ)」という観念を生んだ。
 「ケガレ」は日常を表す「ケ」に対して、そのエネルギーが損なわれた状態(褻・枯れ)を指している。
 ライスフィールドの論理をまとめると、以下のようになる。
 人々の日常活動たる「ケ」は、繰り返し行われ続けることによってエネルギーを消費し「ケガレ」となる。この状態を回復する祭や儀礼などの行事が「ハレ」となるのである。
 この、循環する「ハレ・ケ・ケガレ」の観念は、元素学研究者たちの元素に対する考え方と合致する。
 それを真とするならば、人は日々の営み中で元素を消費し、これを「負」「陰」「ケガレ」の状態とさせるのであるし、また祭などを通じて「正」「陽」「ケ」へと転じることも可能なのである。
 しかしながら、では実際どういった行為がそれらの属性変化に関与しているのかというと、その具体的なメカニズムは全く判明していない。そもそも元素自体に人智の及んでないところが多々あるので、それらを論理的に理解しようとするならば、大いなる時間を必要とするであろう。現代に住む人々はただ、これを感覚的に理解するのみである。

 

 

 望楼内、フラムベルの手掛かりを求めて、レモンの捜索は続く。外の気候は、風があってそれほどでもないが、蒸し暑い建物内の作業に、汗が滲んだ。
 警備兵たちの待機室らしき部屋に出ると、事務用のデスクがあってそこに警備日誌を発見した。
 表紙の埃を払ってページをめくると、特に変哲もない日々の活動記録が綴られているが、3ヶ月ほど前に「望楼地下からゾンビ・スケルトンなど、不死の怪物が発生した」という記載があって、そこからはその鎮圧と、苦闘の様子が記されている。その文章から、繰り広げられる激しい戦闘の様子が伝わってきて、手に汗握る思いで読み進めていったが、その記録も2ヶ月半ほど前で途絶え、後は白紙である。
 望楼に辿り着くまでの様子で分かっていたことだが、文章化された記録によって改めて認識させられて、レモンは胸に差し迫ってくる想いが痛ましい。
 だが事実なのだ。そして、この事実を待っている人がいるから、その人に伝えてあげなければ。でなければセルファンは、いつまでも信じて待ち続けるだろう。
 警備日誌をバッグに収めて、レモンが部屋を去ろうとした時。どこか―――――何者かの気配を感じた。
 兜、鎧、小手‥‥‥‥‥黒色の具足で全身を包み込み、重量感のある斧槍を両手にぶら下げて、下はズボンの裾を巻き込む脚絆を装着しているが、これも黒色である。人型のそれは、億劫そうにも見えるのっそりとした足取りで、部屋に入ってきた。
 装束こそ人間のそれであるが、緩慢な挙動に、低くくぐもった唸り声。3ヶ月前に不死生物が大量発生した望楼、そして現在は埃まみれとなったこの望楼。あらゆる情報が伝えている‥‥‥‥‥今この場にいる者が、人間である筈がないことを。
 人外の者は、みずみずしい血肉を欲して、エモノを求めて、この部屋に彷徨い入ってきたのだった。
「ウウゥゥゥゥ‥‥‥‥」
 ここまで、避けられる戦闘はなるべく避けてきたレモンである。
 しかし今回は、そうはいかなそうだ。部屋に一つしかない出入り口は敵の背の向こう側、すっかり塞がれてしまっている。
 これを撃ち破るしか、ここから抜け出す術はない――――――。
(アイリ‥‥‥いつも、こんな風だったんだ‥‥‥‥)
 ふと思う。
 一人になって初めてわかったのは、戦いに臨んで、敵意が「全て」自分に向けられること、そのプレッシャー。
 押しつぶされそうなその重圧に、逃げ出したくなる弱い気持ちを抑えつけて、なおかつ「攻撃」しなければならない。それは、更に強い気持ちを必要としている。
 いつもは、言葉にするならば「痛い目にあわせる」「動けなくさせる」程度の気持ちで魔法を繰っていた。それで相手が弱れば、アイリがなんとかしてくれた。
 今日は一人。全て自分でやらねばならない。
 心を強く持つ。「力づくで黙らせる」「とどめを刺す」くらいの覚悟で。全て自分で。そのために魔法はある。やらなければ、やられる以外の選択肢はない。
(一人暮らしと似ているな‥‥)
元素を集めながら、レモンは全然違うことを考えていた。
 邸にいた時は、色んな人が助けてくれるから、自分で何かしなくても、なんとかなった。
 でもアパート暮らしではそうはいかない。
 例えば、お菓子を食べてその包みを捨てないでおくと、包みはずっとそこにある。勝手にくずかごに移動したりしない。
 自分のことは全部自分でやらないと、物事はなんにも片付かない。
(てかね‥‥‥)
人外の者は呻きながら、不確かな足取りで歩み寄ってくる。レモンは構わず、交感に入る。背筋は正しく、両手を広げて、首と肩の力を抜いて、世界に心を開くように。世界の全て、受け止めるように。
(アパートじゃ、自分の分どころか‥‥‥)
掌中央の気孔から、脈々と流れ入る元素たち。
(二人分のゴミ片付けてますから)

 

 

 迫り来る黒い槍斧兵。

黒色槍騎兵シュワルツ・ランツェンレイター! 来るがいいわ! 私の魔法、お見舞いしてくれる!」

「要塞主砲、充電完了!」

「敵、有効射程圏内にはいります!」

「くらえ! 雷神の槌トゥールハンマー!!」

発射ファイアー!」

 

 

 

 などという心内やりとりを、レイモンドがする筈もなく、通常通り雷の魔法を駆使して、斧槍兵を撃破した。
 幸い、ゾンビのような不死生物は全般的に動きが遅く、近距離戦闘に向かないレモンが、安全な距離を保って戦うのに適していた。
 また、普通ならばアンデッドモンスターの外形(腐った肉や、髑髏など)は、レモンの生理的に耐え難いところがあったが、兜や具足のおかげで不気味さは半減されていた。
「カサッ‥‥」
崩れ落ちる斧槍兵の体から、ふいに落ちた物がある。
 それは封筒だった。拾って中を見てみると、どうやら手紙らしい。内容は、近況報告や望楼生活の労いなど、取り立てて変哲もないことが書かれていたが、手紙の最後にある差出人の名前には聞き覚えがあった。
(セル‥ファン‥‥‥?)
今回の依頼主だ。
(どうしてモンスターがセルファンさんの手紙持ってるの??)
手紙は当然、セルファンさんがフラムベルさん宛てに出したものだった。本来ならばこれは、フラムベルさんが持っている筈のものだった。
(ああ‥‥‥!)
自分の問いに。自分で、回答を得てしまった。
 辺りには黒い鎧や兜や脚絆、斧槍など、守る主を失った武具が、床上の埃を掻き乱して散らばっていた。かつて斧槍兵だった物質は、灰燼となって堆く積もり、微かな風がそれをさらうように撫でていた。
(フラムベルさん‥‥‥‥)
 魔法使いたちは「負」の元素が蔓延る場所に留まって、魔法を使い続けるのは「忍びない」と感じるという。いたたまれない想いを胸に、レイモンドは速やかにこの場を立ち去ることにした。

 

 

 警備日誌と手紙を渡し、レモンは望楼であったことを説明する。
 セルファンは日誌をめくり、途中で手紙を確認し、それからまた日誌をめくった、‥‥‥手付きはわなわなと震えていた。
(セルファンさん‥‥‥)
かける言葉が見つからなかった。事実以上のことは何も、言えることはなかった。
「そうだな‥‥‥」
セルファンは諫めるように呟いた。
「この日誌を読めば、あいつがどんな風に勇敢に、任務を果たそうとしていたか、解る」
話しかけられてなお、所在無さげに佇むレモン。その肩を、セルファンはがしっと掴んで、言った。
「ありがとう。彼の家族に、少しでも多くの遺品を渡すことができるのは、君のおかげだ」
肩を掴まれた手は力強く、レモンには少し痛かった。でもそれ以上に痛いほど、気持ちが伝わってきて、お礼の言葉を正面から受け止めることが出来ない。‥‥‥レモンは思わず目を逸らした。
 報酬5,000G。

 

 

 経験も、貰ったお金も、一人で受け止めることでその重たさを身に沁みて感じている。
(私でも一人でできるってこと‥‥‥‥証明できた‥‥)
その手応えを確かめながら。でもやっぱり、一人で無茶なことは控えようとも思う。
(みんなは、どうしてるかな‥‥‥?) 

 

 

 

 

(しまった‥‥‥‥‥)
うっかりしていた。ゲームだなどと楽しげな提案をしたつもりでいたが、よく考えたら待ち合わせの場所も時間も決めてなかった。とりあえず町の中央通りの、それらしい場所に、直立して腕組みで待ち構えているが、彼女たちがいつ来るか、ここに来るか、それすらも分からなかった。
(むう‥‥‥)
しっかりしている様に見えて、意外と抜けている男、レオンハルト・ヴァリーマース。重い全身鎧が夏の陽射しに、やや堪える。
(おや‥‥?)
見慣れぬ街の風景の中に、見覚えのある少女を発見した。少女はベルラインドレスの裾を持ち上げて、豪奢なストロベリーブロンドの髪をなびかせて、てけてけ走っている。
 見覚えどころか、どっからどう見てもレモン嬢ではないか。
 レモンはそのまま走って、町の出口の方に消えてしまった。
(??)
 その後すぐ。同じ方向にアイリの姿を発見した。
 「お〜〜い」と、レオンは声をかけようとして、やめた。 
 なにやらアイリの様子が不審だったからである。
 アイリは周りをキョロキョロ、不自然なまでに見回し、こそこそいそいそしている。
(なにやってんだ‥‥アイツ‥‥‥?)
まるで泥棒のようである。そのまま不審な空気をあたりにふりまいて、これまた町の外へ走って行ってしまった。
(は、はあ〜〜ん)
レオンは事態を飲み込んだ。
(ヤツラ‥‥‥この俺を、出し抜く気だな‥‥‥)
そうは問屋が卸すまい。
(そうとなりゃあ‥‥‥こっちもこっちで、勝手にやらせてもらうぜ!)
いよいよ、ホントに競争っぽくなってきて、レオンの闘争心もフツフツと沸き出してきていた。

 

 

 

『伝説を求めて』
「こんな伝説を聞いたことあるか?」
ハヌスィムは語った。
「その蛇は赤く灰色の体に丸ごと赤い装飾をしていて、後ろにも目があっただけでなく、手足が生えて動いた」
(蛇の化け物か‥‥‥‥‥聞いたことはないが)
「他の奴らは巨大な竜を表現したというが‥‥‥俺の考えは少し違う」
(‥‥‥‥ほう?)
「一種のリザードマンじゃないかと思っているんだ」

 

 リザードマン――――――爬虫類型亜人種。トカゲ亜目が何らかの魔法的作用を受けて生じた突然変異種だと考えられている。言わば、二足歩行するトカゲ。進化した前足は人間の手と同様、道具を扱える。しかし、知能はそれに伴う進化をしておらず、人間のような複雑な思考回路を持ち得るには至っていない。そのため、彼ら自身は道具を加工する技術を有していないが、他種族から奪ったものを武具として扱っていたりする。体格は人間よりもやや小柄で、純粋な筋力では劣っている。しかし、しなやかさや迷いのなさ、動物ならではの身のこなしで、瞬間的には人間以上の運動力を発揮すると言われている。
 従来種のものを継承した頭部は大型で、顎の力は強い。丸みのある吻部には、細く鋭い牙が無数に並んでいる。この拡大された口吻部のイメージが鮮烈であるために、人はリザードマンを凶悪で残忍な種族と思いがちである。しかし、リザードマンは本来温和な性格で、彼らの生命や生息地やを脅かさない限り、進んで襲ってくるような好戦的な種族ではない。もっとも、それをする者は外敵と見なされ、極めて攻撃的な対応を受けることになるであろうが。ちなみにその鋭い牙から誤解されがちなことに、彼らの全てが肉食というわけでなく、植物のみを摂食する種もいる(鋭利な歯は固い植物を噛み砕くために進化した)。多くは水辺に棲息し、魚などを取って主食としている。

 

「しかし、赤いリザードマンなんて誰もみたことがない、ってのが問題だ」

 

 リザードマンに限ったことではないが、「赤」い動物は少ない。自然界で「赤」は非常に目立つ色である。
 普通、生き物は周囲の景色によく似せた体色を持つものが多い。天敵から身を守るための生態で、これを「隠蔽色」という。それに対して赤のような目立つ色は「威嚇色」に当たる。
 「隠蔽色」は、従来種の中でも特にカメレオンが顕著な例だが、トカゲの仲間には少なからず、そのように体色を周囲に合わせて変化させるものがいる。それに対して「威嚇色」たる赤は、ヘビ・クモ・カエルなど仲間の中で、猛毒を持つ種がこの体色をしている、といったくらいである。またこの体色を持つものは、毒以外の闘争力は高くなく、文字通り、威嚇して相手に退いてもらうことを目的として、敢えてこのような目立つ色をしていると考えられている。リザードマンは、従来種であるトカゲと同様、体内に毒性を持つ種は殆どなく、高い戦闘力を有しているので、赤い体皮のリザードマンがいる蓋然性は低いように思われた。

 

「ところが。数日前、町の南の洞窟で赤い化け物を見たという人が出たんだ」

 

 要するに、ハヌスィムの説が正しいことを証明するために、南の洞窟に行って赤いリザードマンの「証拠」を持って帰ってくればいいという話らしい。以上が、レオンが請け負った依頼の内容である。

 

 

 

 鉱山町ハノブから南に向かい、高台望楼を右手に眺め、さらに同じくらい進むと、広がる入り江に「キャンサー気孔」と呼ばれる洞穴がある。ダイム内海の海水の浸食によって出来たこの洞穴は、天然のトンネルが網目のように連なっている。一度迷い込むと中々出られない複雑な構造や、生息するモンスター種の屈強なこと、加えて潮の満ち引きによって、完全に水没してしまう袋小路があることなどから、共和国の定める法によって危険区域指定とされる地である(「ゴドム共和国国土危険区域に関する法令」)。その深部には、高級食材「キングクラブ」の産卵地があるという噂があるが、よほど手練れの冒険家で、且つこの洞穴の地理に精通している者でなければ、生きて帰るどころかそこに辿り着くことすら出来ないとまで言われる、険難な洞窟である。
 「気孔」の名が示すとおり、窟内はあちこちから外の光が差し込んできて、思いのほか明るい。澄んだ泉の水がそれを照り返し、さながら反射灯のようである。泉に反射する蒼い光と洞穴の黒い闇との光陰が、不可思議な光景を織り成し、目前に広がっている。隠蔽色を纏う通常のトカゲならば、青や緑や土色、灰色‥‥‥、窟内の色彩に合わせて上手に身を隠すことができるに違いない。だから‥‥‥‥‥、目立った。燃えるように赤い体皮のリザードマンの姿は、暗闇の中でその像を鮮明に浮かび上がらせた。
 丁度正面。向かい合う形で遭遇したので、向こうもこちらを認めたことになる。
 まず目についたのは、窟内の光の反射を浴びて輝く三叉槍。長さは2m程。細いが、充分な強度と重量感を備えている。その鉄の槍を軽々と、右手に携えている。
 レオンは図鑑等で、リザードマンに関する解説を読んだことがある。それによると、リザードマンは左利きが多い種だという。人間と違って心臓が体の右側にあるから、盾などを右手で持って守るため、という理由らしい。しかし、前に一度、ギルディル川の沼地洞窟で戦ったのも、いま目の前に対峙しているのも、共に右手に武器を携帯している。どうやら、図鑑が間違っているのか、さもなくば偶々自分の遭ったリザードマンが右利きだっただけなのか。いずれにしても、この洞穴の開けた空間では、剣は長物に不利である。その上、それを逆手で扱われては組み難いことこの上ない。それに比べれば、この赤いリザードマンが右利きであるのは幸運なことに違いなかった。
「シュルルルル‥‥」
たぶん、女どもなら、それだけで嫌悪してしまうような長い舌を、音を立てて不気味に出し入れし、太く長いしっぽを地面に繰り返し繰り返し、打ち据えている。その地響きがリズミカルに、足元の岩場を伝って響いてくる。準備万端、いつでも襲い掛かってこれるという、その気迫。まさに爬虫類の眼で、温情のかけらもない表情。口元から覗き見られる残虐な牙が、いまにも血肉を欲しているかのような。
(あのしっぽ‥‥‥やっかいだな‥‥‥‥)
とだけ、レオンハルトは思った。
 先刻から槍のことばかり、対処案が頭を占めていたが、組み合って動けなくなった時に、あのしっぽが横から飛んでくるとなると‥‥‥手の打ちようがない。
 ふと思う。
 前に、別のリザードマンに遭った時は、何も考えずに打ち込んで、難なく退治できた気がする。
 あれは灰緑色のリザードマンだった。
 それが今。こいつの前で、俺は立ち止まって、考えざるを得ない状況に追いやられている?
 どうにも、この「赤い」リザードマン‥‥‥‥‥前のやつとは、一味違いそうだ。
 「一筋縄では行かない」ってやつだな。
 レオンは構えを解いて、剣を握る両手の力を抜き、やや深く、息を吐いた。そして再び構え直す。
 それはベースボールのピッチャーが、打者との間を嫌ってプレートを外す、間の取り方に似ていた。
(まず、どうするか‥‥‥‥)
 その試験性、戦術性、妥当性‥‥‥。それのみ専にする戦士の脳に、トカゲの威嚇にひるんで「逃げ出す」という選択肢は、毛頭無い。
(あれこれ考えても仕方ないな)
それなりに十分なシミュレートはできた、と思う。そもそもそんなに頭脳労働は得意じゃない。思慮深くはあるが、まず動いてから考えるタイプ。
(‥‥‥行くか)
 ヴァリーが選んだのは、ゆっくりじりじりと間合いを詰めて、敵の初手に応じる、というものだった。
 基本は先手を打つのがベターなのだが。なんといっても、あっちの得物は「槍」である。
 全力で突進なんかして、カウンターくらったら、取り返しのつかないことになるし、どう足掻いても、間合いの長い槍の方が先制の優位性がある。
 ならば先に撃たせてやればいい。そこで仕留められなければ逆に相手は、この屈強な人間族の戦士の反撃を免れないのは必至なのである。
 ところで。
 ヴァリーは体には重厚な金属の鎧を纏っているが、兜はつけてない。スタイル、と言えばそれまでだが、ヴァリーは兜を身につけるのを嫌っている。
 一つには、視界が遮られるから、という理由がある。樽型兜などは特にだが、半球型のものでも、頭部に重たい物を載せることによって、咄嗟の時に頭を廻らす俊敏さに支障が出ると考えている。
 それに伴って、戦闘時の思考が鈍る、とも考えている。人間にとって脳は最も重要な器官の一つで、これを守るのは当然のことである。しかし、そこに防具をつけることによって、防衛が防具頼りになってしまうこと、思考上、防御が攻撃より優先されてしまうような発想に陥ることを恐れている。むしろ、頭部に限らず、体は危険に晒された方が、生と死のギリギリの境界線を感じ取って、自身の持っている本来以上の力を発揮し得るものだと、レオンは考えている。
 付け加えるなら、戦闘時はいいとして、街中を歩くに兜なんて仰々しいし、持って歩くにはかさばるし、実は冒険を始めたころ、金がなくて、鎧を買ったがいいが、兜の分まで金が足りなかったという諸々の事情も加味されている。

 

 赤いリザードマン―――――リザードキリングの鋭い突き!
 鉄の三叉槍が、レオンの顔面目掛けて、襲いかかる!
「ガキン!」
 鬩ぎ合う、金属と金属の緊張。
 槍の切っ先がレオンの眼前に迫って、そこで止まる。
 レオンは愛剣ツヴァイヘンダーをしっかと握り、槍の刺突を受け止めた。

 

 ヤマを張っていた。
 鋭い、槍の突きを、確実に安全に躱せる見込みは薄かった。
 だから体の危険な部分――――――胸から上、心臓や顔だけは守ろうと思った。
 守備範囲を狭めることによって、それ以外の防御は捨てる代わりに、その部分の安全だけは確保したのだ。
 あとは両腕や胴体や足‥‥‥そこいらを狙ってくるなら、仕方ない。
 その場合は、一撃もらってやって。代わりに‥‥‥一撃叩き込んでやろうと考えていた。

 

 つまり。目算通り、初手の応戦をレオンは制した。
 剣と槍の鍔迫り合いから。
 搦め取るように、手首を巻き上げる!
 ザシュ!
 刃が肉に食い込む手応え。
 致命傷には及ばない。しかし、確実に右手の握力を奪った筈だ。
 間合いを詰める。
 剣撃を繰り出す――――ひたすら。
 長い大剣、左手は柄、右手でリカッソを握り、間合いを縮めて棒術のような連撃を繰り広げる。
 槍は、正位置に戻す暇もない。剣の猛攻に槍の腹で応酬、辛うじて凌いでいる。
 息つく間も与えないレオンの一方的な猛攻。徐々に、両者の力関係が明確になりつつある。
 レオンハルトの激しく重い剣撃を受け続ける、赤いトカゲの顔色が、みるみる蒼くなっていった。
 それは、当事者同士にしか分からないことだったかもしれない。
 実際に体皮の色が変わるわけではない。
 だが確かに、リザードキリングはその顔色を蒼白色へと変えていった。
 レオンハルトは止めの一撃の、準備する。
 トカゲの体勢を崩して、その一瞬で、剣の色を変える――――――リカッソの右手を柄に握りなおして、体力を奪う連撃から命を奪う一撃へ。
 必殺の一撃―――――振り被る、瞬間だった。
 追い詰められたリザードマンは、決死――――――渾身の刺突をはなってきた。ヴァリーが呼気を整える一瞬、崩された体勢の反動を利用した、逆転の一撃だった。
 リザードマンの筋力、バネ。生命が危機に瀕した時にのみ発動しうる爆発的なパワーをもって、槍は性格にレオンの顔面を射抜いてきた。
 並みの者なら勝負を決する一撃――――――――だったに違いなかった。
 が、レオンハルト・ヴァリーマース―――――自らの生命をここまで追い詰めるに至った戦士は、力も迅さも、並みの人間が持ち得るものとは一線を画していた。
 迫る刃。上半身のスウェーで、刺突を躱す。
 頬を掠める三叉槍の穂先。後背の大気を切り裂いた!
 掠めた頬から血が流れる。
 その刹那。
 渾身の一撃を躱されたリザードマンの胴体が、レオンの正位置から見て、ガラ空きになる――――――――この瞬間、帰趨は決していた。
 再び柄を握る手に力を込め、剣は上空に廻らされる。
 呼応して槍は、両手で支えられ、柄を掲げられる。
 振り落とされる剣撃――――――さっきまでと違う、体力を奪う一撃では、無い。
 鋼の重圧が鉄の三叉槍を真っ二つに、圧し切り、その勢いで剣はリザードキリングの厚い胸板の、左側を浅く切り裂いた。
 後退りする一歩が。
 踏み込む一歩に。
 組み替えてリカッソに添えられる、左の手。柄を持つ右手が、握り絞られる。
 ツヴァイヘンダーの長い剣身が、槍のように。圧し込まれ、リザードキリング胸の中央、貫き上げた!
 リザードキリングは絶命した。

 

 

 戦いを終えて。
 頬を伝う血を指でぬぐいながら、レオンは考える。
(まさか、あの一瞬‥‥‥‥)
 まだ乱れたままの呼気を、肩で息して整える。
(あの状況で守勢に回らず、最後まで勝ちを諦めず、起死回生‥‥‥‥逆転の一撃を狙ってくるとは‥‥‥‥‥)
 目測を誤っていた。
 確実に仕留められると、思っていた。
 一歩間違えれば‥‥‥! ‥‥‥‥‥‥こうなっていたのは、自分の方だった‥‥‥‥。
(爬虫類とはいえ、武人であったか‥‥‥‥)
 そう思ってすぐさま、それが人間族の驕りに他ならないと気づいて、レオンは自らを恥じた。
 帰る前にまだ一つ、作業が残されている。
 噂の「証拠」は持ち帰らなければならない。
 レオンハルトは、この武人の亡骸を持ち帰るべく、敬意を持って丁重に頚部を切り取った。

 

 作業を終えて、帰ろうとした時。レオンハルトは洞窟の闇の奥に、白く光る何物かを発見した。
 怪しく思って、近寄って見ると‥‥‥‥‥‥それは卵だった。
 窪んだ土中に半ば埋もれるように、卵が三つ。外光を照り返していた‥‥‥‥。
「!!」
 衝撃が走った。
 それの意味することを知って、頭をハンマーで殴られたような痛切さが、この孤児院育ちの男に駆け抜けた。
 先刻、猛り狂ったように死闘を交えたリザードマンは、今や胸部を厚みのある剣身に貫かれ、首から上は失い、物言わぬ様となって横たわっている。
 それが雄なのか、雌なのか、人間族であるレオンには判別もつかない。
 だが、たとえ自らの体躯を上回る巨大な相手でも、「外敵」の前から一歩も引き下がれない、理由がそこに在った。
 武人などではなかった。
(親だったのだ‥‥‥‥)
 レオンハルトは合掌した。
 報酬10,000G。

 

 

 

『ティレンドの頼み事』
(フッフッフ‥‥‥)
腹の底から湧き上がる、自信と笑みを押し止めることができない。
(キタコレ!!)
喜びに打ち震える、アイリが請け負った仕事は以下の通り。
 ここ、鉱山町ハノブで採掘された鉄鉱石を古都ブルンネンシュティグの製鉄所に運ぶ―――――という、ただそれだけのことだった。
「急な話なんだが、量が量だし、道も険しいから(古都〜ハノブ間には野盗のアジトがある)、それなりの報酬じゃないと引き受けてくれる人がいないんだ」
とは依頼主ティレンドの言。
 手間隙はともかく、モンスターなどとの戦闘を避けて通れば、比較的危険は少なくて済む仕事。そんな仕事の報酬は、なんと‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥20,000G!
(うっししししし‥‥)
だからさっきから、アイリは笑いをこらえることが出来ないでいるのである。
 そして。
 本来ならば、各人が請け負う責任はここまで。あとは3人で協力して、依頼を遂行すれば良かったのである。がしかし‥‥‥。
(ぜって〜〜〜負けねえええ!)
先述の通り、もうすっかり悪い「蟲」の騒ぎ出しているアイリは、他人を出し抜く気マンマン。一人でこれを行う気でいるのである。危険の少ない仕事内容と高報酬が、その独断専行に拍車を掛けたのである。
 勿論、この時点でヴァリーの提案したゲームには、アイリの勝ちが確定している。当人も、従来の仕事報酬を鑑みれば、自らの勝利はあらかた確信できている。しかしアイリとしては、一人でこれを成し遂げ、二人の前に報酬を突きつけて、己の偉業を誇示してやりたいところなのである。
 だが―――――。
 決して油断してはいけない。この仕事はそんなに甘いもんじゃない。そもそも、そんな簡単な仕事なら、先に受けてる人がいるだろうし、報酬もそこまでの値はしないはずだ。
(クックック‥‥‥)
なるほど、大量の鉄鉱石の運搬となると、それは存外、骨の折れる作業なのであろう。
 が、しかし!
 幸か不幸か、アイリは先日、銀行登録を済ませているのである。これを旨く使いこなせば、大量の鉄鉱石を一気に古都まで運搬できること請け合いである。
 「大量の鉄鉱石」「ハノブ〜古都間の距離」「銀行」‥‥‥。これらから彼女の明晰な頭脳「ALU」が導き出した答えは次のようなものである。
※ALU‥‥‥アイリの、ロクでもない、嘘八百演算処理能力の略。別称「Arithmetic Logic Unit」。

 

 @鉄鉱石をハノブの銀行に預ける。
 A体ひとつ、古都に戻る。
 B古都の銀行から鉄鉱石を引き出し、製鉄所へ運ぶ。
 Cハノブに帰る。

 

この方法なら、実質ハノブ〜古都間の移動の手間だけで、依頼をこなせるのである。
「すっご〜〜〜いアイリ!」
「くっっ‥‥‥‥誰もお前には敵わないぜ!!」
チビペチャとゴリキンの賞賛が聞こえてくるようである。
※チビペチャ‥‥‥チビ&ペチャパイの略。
※ゴリキン‥‥‥筋肉ゴリラの略。なぜか倒置。

 

 さあ、こんなところでグズグズしていないで、さっさと仕事に取りかからねば。
「おっ! ねえちゃん。ようやく動き出してくれたか。しゃきしゃきやんねえと日が暮れちまうぞ」
俗な奴が何か言っているが、余り脳には届いてない。
「じゃ頼んだぞ! ここにあるやつ、全部だからな」
俗な奴―――――の正体は、依頼主ティレンドだった。
「はいよ!」
ちゃきちゃきの古都っ子らしく、返事だけは威勢がよかった。

 

 

 アイリはよく使いこなれた、大きめのボクサーバッグに鉄鉱石を詰め込んでいる。キャンバス生地のサンドベージュのバッグは、アイリが子供の頃、父に買ってもらったもの。当時、アイリとしては一回り小さい、かわいい方のバッグを欲しがったのだが、「大は小を兼ねる。どうせ体だって、そのうち大きくなるんだから、そんなちっちゃいのは役に立たなくなる」という父の言で、強引に大きい方のバッグを買わされたのだ。当時としてはイヤイヤだったが、今では成長したアイリの体に良く馴染み、そこが自分の定位置と言わんばかりにアイリの右肩にぴったり収まっている。長年使い続けてきたものだから、よく見ればもうところどころに、ジュースや何かをこぼしたようなシミやヨゴレがあるのだが、これがずっとお気にで使っているから、新しいものを買う気が中々起きないでいる。
 そんな男物のように大きめのバッグだが、どうにも鉄鉱石は数が多いみたいで、1回では運び出せそうになかった。
(丁度半分くらいだし、銀行まで、もう一往復するか‥‥‥)
一回目の分の鉄鉱石を、銀行に預けに行く。

 

「お預かりした品物はお引き出しの際、手数料が‥‥‥」
受付からなにやら説明を受けている。丁寧語の上に堅っ苦しい話。
「いいよいいよ、もうそれでやって」
聞く気もせずに、適当に返事して引き返してきた。

 

 再びティレンドの倉庫で、2回目分の鉄鉱石を詰めるアイリ。
 が、あともうちょっとというところでバッグはいっぱいになってしまった。
(う〜〜〜ん、う〜〜〜〜ん)
どうにかこうにか押し込んで、ギュウギュウにバッグに詰めたが、どうしてもあと一個だけ入らない。
(だめだこりゃ‥‥‥)
最後の一個を詰め込むのは、諦めることにした。別にバッグに入らなくても、一個くらいなら手で持っていけばいいだけの話。
 その時。
「テンテンテン‥‥」
目の前にボールが転がってきた。籐を籠状に編んでできたボールだった。その後ろから少女が一人、走ってくる。
 アイリはボールを取って、少女に投げてやった。「ほら!」「ありがとーおねえちゃん!」
 でも、少女は立ち去らず、アイリのする作業をしげしげと眺めている。
「ねえー、なにやってるのーー?」
「んー?」
少女はおなかの前に両手でボールを抱えて、まっすぐな瞳でアイリを凝視している。
「おねえちゃんねー。これからお仕事なんだー」
「おしごとーー?」
「うん。これをね、あっちの銀行まで運ぶんだよ」
「へーー」
ちょっとイタズラ心がわき起こったりする。
「ねえ、ちょっと持ってみる?」
「うん!」
少女は甲高い声で返事して、自分の身の丈の半分ほどあるボクサーバッグにしがみついた。が、当然、どうやっても持ち上がろうはずがない。少女はバッグの重さを持て余して、バッグはごろんと横に倒れた。その口から2、3、鉄鉱石がこぼれ落ちる。
「にっししししし」
少女の困惑そうな顔を見て、アイリは笑ってやった。そして漏れた石を詰めなおしながら、
「いい? こうやって持つんだよ」
両手で一気にバッグの紐を引っ張り上げ、背中に担ぎ上げた。「すごーーい」少女は歓声を上げた。
「じゃ、おねえちゃん、行ってくるね」
「うん」
「気をつけて遊ぶのよ」
「うん」
「じゃねー」
「バイバーイ」
「バイバーイ」
別れて歩き出すと、少女はすぐにボールを蹴り出して、またボール遊びをし始めた。

 

 2回目分の鉄鉱石も銀行に預けて、アイリは町の中央通りを歩いていく。石畳や木造作りの建物が並ぶ古都と違い、土と緑溢れる田舎道。次の手順は古都に戻って、預けた鉄鉱石を引き出すことだ。
 しかしそこで、アイリの心の中に罪悪感のようなものが首を擡げてきた。それは2人を出し抜こうとする、自身の抜け駆け行為に対してのものだった。
 初めから出し抜く腹積もりであっても、ここハノブ内でやる作業は、なんとでもいいわけがついた。だが、町の外に出るとなると、もう言い逃れはできない。もし見つかって、言い詰められたら、なにか上手いいいわけがあるだろうか。
(これは‥‥‥‥万が一にも、みつかるわけには、いかないぞ‥‥‥)
あたりをキョロキョロ見渡すアイリ。罪悪感があっても、引き下がる気はさらさらない、らしい。
 とりあえず、見えるところに連中の姿はない。
(よし‥‥‥今のうちだぜ!)
隠密のように忍んで行く。
「サササッ」
口で言う。
 さながら忍術使いのように、アイリは町の外へと出て行った。忍術を使ったから、多分誰にも見つからなかったに違いない。

 

 

(あれ‥‥‥? でもよく考えたら‥‥‥‥古都までって、けっこう遠くね‥‥‥?)
たしか来る時は、朝早く、まだ暗い内に出立して、ハノブに着いたのはもう夜更けだった。
(しまった‥‥‥!!!)
アイリの脳裏にシュトラセラトの失敗が蘇る。
(いや、まてよ‥‥‥‥あの時は「行き」だった。今日は帰りだから「遠足の移動時間の法則」を使えば‥‥‥‥‥)
なんとかなるかもしれない、という淡い期待を抱いてみた。
※遠足の移動時間の法則‥‥‥遠足の時、行きの道はなかなか着かなくて時間が経つのが遅く感じられるが、帰りは割と早く家に帰れてしまうという、体感時間に違いがあるという法則。あくまでも体感時間であって、実際の時間が短縮されるわけではないということに注意が必要。
 古都に着くと‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥犬も起きてやいなかった。

 

 

 翌朝、宿のベッドで目を覚ます。
 結局、ハノブ〜古都間の移動による疲れと、もう夜が遅くて暗くて怖かったので、西部街にある自分のアパートには帰れず、東部街の目についたところにあった宿で、一晩明かしたのだった。
 古都にはアパートも自分の家もあるというのに、宿代を払うハメになるとは‥‥‥。が、
(まあこの程度、問題ない‥‥‥‥‥あとでたくさん入るんだから‥‥‥)
大事の前の小事、とばかりに気にも留めない。
 そして銀行に向かった。
 でも大量の鉄鉱石を運ぶ手段がないから、途中、道行く先で、
「おっちゃん! リヤカー貸してくんない?」
そこらにいた人に声をかける。
「ぁあ〜? 終わったら戻しとけよ」
「あんがと〜」
アイリにとって古都は、街全体が一つの家族のようなものだった。

 

 

「ええええーっ!!」
素っ頓狂な声を上げて、行内にいた人々の視線を集めてしまう。受付の行員は少し困惑そうな表情を浮かべた。
「なんで、そんなんすんの?!」
アイリがでっかい声を出して、周囲の注目を集めたのは、行員から預けた鉄鉱石の手数料を請求されたからだった。なんでも引き出し手数料として200G かかり、それも鉄鉱石一つ一つにその値がつくのだという。
「お預けの際に、担当者からご説明、ございませんでしたでしょうか‥‥‥」
「‥‥!!」
たしか、あった。ハノブ銀行の人が、なにやらゴチャゴチャ言っていたのを思い出した。面倒だから、ロクに聞きもしないで手続きしてきてしまったのだった。2回目預けにいった時も同じ担当で、向こうとしては、同様の説明がかえって失礼に当たると判断したのか、2回目は説明を省いて、受付け業務だけ行ったのだった。
 預けた鉄鉱石の数は全部で31個。つまり200G×31個で、計6,200Gもかかることになる。
 銀行の手数料は通常、預けた品物の大きさ・重さで決められる。大きさ・重さのいずれかが上回る場合は、上回る方のサイズで手数料が確定する。
 この規格に該当しないものとして宝石・貴金属などの高額貴重品の類がある。これらは大きさ・重さに関係なく「市場価格の○分の1」という形で手数料が決められている。
 これらはいずれも、銀行を個人で利用する場合の話である。鉄鉱石のような、商用利用と見做される品物の場合は、個人利用に比べて、手数料が格段に跳ね上がる仕組みとなっている。
 というのは、テレポーターが開発され、銀行に組み込まれて、人々の生活の利便性は飛躍的に向上した。今回のアイリのような銀行の利用の仕方も、実際多くの人に考えられ、実践されて、時代は下ってきたのである。さらに、アイリのアイデアを改良したものとして、こういった方法もある。
 仮にα都市からβ都市に荷物を運送するとして、業者Aは両都市に拠点を構える。銀行登録は業者Aの名義で行うので、物品の出し入れは両都市で行うことができる。この方法ならば、α都市で預けた物をβ都市で引き出すといった具合に、人が移動することなく荷物だけ流通させることが可能で、しかも費用は銀行手数料のみで済んでしまう、というわけである。
 しかし、それに厳しい批判の声を上げたのは運輸労連(当時の名で「ブルン運輸産業労働組合連合会」、現在は「ゴドム・ナクリエマ運輸産業労働組合連合会」)である。
 テレポーターの登場だけでも業界の被った損失は大きなものがあったのに、さらに、そのような銀行の利用方法が横行すると、運輸業界全体(直接的には長距離運輸)へのダメージは計り知れないものがあった(実際、テレポーター登場以前に国営化されていた郵政事業は大幅な人員削減を見た)。業界から多くの失業者・廃業者を輩出することとなり、それは当然王国経済、延いては王国自体を揺るがす事態となりかねなかった。これを憂慮した王室の施策により、暫時的な処置として、銀行のそのような利用の仕方―――――つまり商用目的の利用に、制限がかけられ、そういった品々の手数料だけ通常価格より大幅に上回る価格が設定されたのだった(なお余談ではあるが、それまで業者によって輸送されていた分を全て銀行で取り扱うのは、倉庫や人員などの規模的に難しいという側面もあった)。
 純粋に、人々の生活の利便性から考えれば非合理な行政処置であったが、あくまでも一部業種の人々の生活を守るために仕方のない方策であった。だから、この商用品に対する税制はあくまでも暫時的なもので、業界の緩やかな縮小を計りつつ、手数料もそれに合わせて値下げられていくことが、当初からの取り決めとして盛り込まれていた。しかし、例によって100年前の大乱で、その取り決めは有耶無耶になり、今日に至るまで放置されてきたという経緯なのであった。

 

 

(ちっっっくしょ〜〜〜〜〜〜〜)
しかめっ面の泣きっ面でリヤカーを牽いて歩くアイリ。銀行手数料は地味に痛い損失で、そのためになけなし貯金を崩すはめになるという体たらく。しかも、何気に製鉄所はかなり遠いということが判明した。
 銀行は街のほぼ中央、西部商業区寄りにあるのだが、製鉄所は最南東の街外れにある。
(とおおおおおおい〜〜〜〜)
暑いし重いし、かったるい。もたもたしてるとまた日が暮れてしまいそうだった。

 

 

 鉱山町ハノブ、仕事を終えたレモンとヴァリーが話している。
「なあ、アイリはどこいったんだ?」
「ああ‥‥‥よくあるのよ‥‥‥」
「何かあったかもしれないし、一応心配なんだが‥‥‥」
「うちらと同じで、なんか勝手に仕事やってるに違いないわ」
「無事だといいが‥‥‥」
「へーきへーき!」
「う〜ん」
「こんなんで一々、アイリの心配してたら、身が持たないわ!」
「そっかー」
「そんなことより、おなか空いたから、ゴハンにしましょっ」
「‥‥収入も入ったことだし?」
「そそ! せっかくだからおいしいもの!」
しかし、3人はいつも仕事の報酬はきっちり三等分にしていた。それに勝手に手をつけるみたいで、若干の後ろめたさが二人の間に生じていた。
「昔の人は言った‥‥‥‥」
「?」
「‥‥‥‥‥‥‥‥いない人が悪い、と」
「ですよねー」
「いくか!」
「おー!」
「おれのカンでは‥‥‥たぶんここは地牛がうまい‥‥‥」
「なんでわかるの?」
「いや‥‥‥‥‥ヤマカン」
「bifteck!」
「いくぜっ!」
「いこうぜっ♪」

 

 

 ブルンネンシュティグのアイリ。ようやく辿り着いた製鉄所で。
「おー! 随分若え〜運び屋が来たな」
驚きの歓声で迎えてくれたのは所長のスティントン―――――ティレンドの取引き相手である。
「ここはとお〜〜いね〜〜〜」
アイリも気さくに挨拶を交わす。
「まあねえちゃん。茶でも一杯、飲んでいきな」
今日は天気もよく晴れて陽射しが暑かった。そんな中、重いリヤカー牽いてきて喉はカラカラだ。急いでいかねばならない身だったが、少しくらいの休憩はいいだろう。近くの椅子に腰掛けると、アイリの目の前で来客用の湯呑みに麦茶が注がれた。
 よく冷えた麦茶の有り難みに感謝しつつ、アイリがそれをいただいていると‥‥‥‥。
「あ?」
リヤカーから荷を降ろしていたスティントンの、訝しげな疑問符が聞こえてくる。
「どうしたの?」
湯呑みを卓に置いて、スティントンの方に向かった。スティントンは巨大な秤に鉄鉱石を乗せていた。
「なあ。これで全部か?」
「ん?」
「頼んだ量に、足んねえなあ」
「ええーっ」
「‥‥‥たぶん、あと一個か二個くらいだな‥‥‥‥‥どっかに落としてきてねえか?」
「し、知らないよー」
高い手数料払って、汗水垂らしてこんな街外れまでやってきて、それで仕事は不履行だなんて‥‥‥‥‥そんな話があるだろうか‥‥‥‥ここに来るまでどこかに、落としてしまったりしたのだろうか‥‥‥‥。
 ふと、リヤカーが目に入る。
 鉄鉱石を運んだリヤカーは後ろの部分が開いた造りになっていた。もしかするとそこから、銀行からここに来るまでの途中、鉄鉱石を落としてきてしまったのかもしれなかった!
(‥‥‥‥いや‥‥‥そんなはずはない‥‥‥)
可能性として生じた不安を、理性は否定する。鉄鉱石は、その一つ一つがそれなりの重量を持っている。ひょんな拍子にリヤカーが後ろに傾き、鉄鉱石が後ろに滑っていたら、その重さでまず気づくだろうし、そもそも一個二個だけがそうなることは考え難い。もしリヤカーから一個二個こぼしているなら、他の鉄鉱石も全部、後ろの方に滑っていたに違いない。時々振り返って見たりしたし、ここに着いた時も、鉄鉱石は最初に積んだ時と同じように、確かにリヤカーの前の方に積み重なっていたのである。
 と、アイリの理性は一生懸命、アイリの無実を証明しようとしているが、
「どうせ、どっかに落としてきたんだろ〜〜〜〜こんな小娘に頼むからこんなことに〜〜〜」
などということは、スティントンは一言も言ってないけれど、目がそう言っているように、見える‥‥‥‥‥。
(う、うたがわれている?!)
今となっては、さっきまでの麦茶の親切心がかえって痛い。いっそ最初から冷たく扱われてれば、傷つく度合いも少なくて済んだのに。
(お〜〜こ〜〜ら〜〜れ〜〜た〜〜〜〜〜)

 

 

 傷心のアイリ。空のリヤカーを牽いて石畳を往く。目の粗い石の並びに、車輪はガタゴト音を立てていた。
 スティントンは取り敢えず、ある分だけ受け取って、あとのことは考えるから、といってアイリを解放してくれた。
 リヤカーを牽きながら考える。
(‥‥‥‥でも‥‥‥一体、どこに忘れてきたんだろう‥‥‥‥?)
銀行に運んで、古都に来て、そっからリヤカーで製鉄所まで運んで‥‥‥‥。その過程にミスがあったと、思い当たる節はない。だが‥‥‥。
(もし鉄鉱石が、初めから十分な量、用意されてなかったとしたら?)
故意か過失かは判らない。用意された鉄鉱石は最初からあれで全部だったのだ。アイリは気づかず、それを運ばされていた。つまり、アイリは自分でも気づかないうちに、その片棒を担がされていたのだ。スティントンだけでない、アイリ自身も、この事件の被害者だったのだ。
(犯人は‥‥‥‥あの人しかいない!!)
ついに事件の真相を見出したアイリ。最近読んだ推理マンガの影響は多分に受けている。
(急いでハノブに戻らなくては‥‥‥!!)

 

「1万Gになります」
「えっ」
400年前の登場から、人々の生活圏を大幅に広げることとなった「テレポーター」。チケットさえあれば極東部主要都市すべてに瞬間的に移動することができる。チケット代は一律1万Gする。
 状況が状況だから、ちまちまハノブまで歩いてなんていられない。‥‥‥‥ってか、歩いて帰るの、めんどくせーし。でも、まさかチケット代が1万もするなんて‥‥‥‥。
(やむをえまい‥‥)
 事件の解明のためには仕方ない。
 とりあえずアイリは再び、古都銀行へと走るのだった。

 

 

 再び鉱山町ハノブ。
 意を決して、ティレンド宅へと向かう。
(はじめ‥‥‥‥なんと言ったらいいか‥‥‥‥‥)
名探偵としては、決めゼリフ以外のセリフも、全て格式高く唱える必要がある。かっこいいセリフをばーんと決めて、うまくいい逃れようとする犯人の心を屈服させてやるのだ。
 だが意に反して、先に口を開いたのティレンドの方だった。
「おめ〜〜〜! なにやってんだ?!」
すさまじい剣幕で捲くし立ててくる。
「は?」
「は? じゃねえべ! ここにある石、全部っつったろが? なんで一個だけ忘れてんだべ!」
(な‥‥んだと?)
一個忘れてた、だと? そんなことあるわけがない。もしか、言い逃れするために、全ての罪をあたしに着せようとしているのか‥‥‥。
(そんなふざけた話、あるものか)
 アイリは脳みそがやんわりと記憶を辿る。
 たしかあの時、鉄鉱石は1回じゃ運びきらなくて2回に分けた。で、ちゃんと2回分、銀行に預けて‥‥‥‥。

(あれ?)

 そーだ。
 たしか2回目ん時、全部は入り切らなくて、一個余ったんだっけか。
 で、余ったのは、あたし手で持って‥‥‥‥ちゃんと‥‥‥‥‥銀行に‥‥‥‥‥‥‥。

(んん?)

 たしかあの後、ボールが「テンテンテン‥‥」って。で、女の子と話して‥‥‥‥その後‥‥‥‥‥鉄鉱石はちゃんと手に持って‥‥‥‥‥‥。

 

 ――――気をつけて遊ぶのよ―――――

 ――――うん―――――

 ――――じゃねー―――――

 ――――バイバーイ―――――

 ――――バイバーイ―――――

 

(‥‥‥‥‥‥。)

 鉄鉱石を手で持って運んだ記憶が、無い! 

 

「ああああああああああああああーっ!!」
犯人は‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥なんと、自分だった!
「ああああー、じゃねえべ! なあにやってんだべ」
嘆き叫ぶアイリの声を聞いて「ん?」「なんだなんだ」周囲の人たちが集まり出してきている。その中に、
「あ、アイリじゃねえか!」
「なにやってんの〜?」
たまたま近くにいたヴァリーとレモンも寄ってきた。
(うええええええええええええ)

 

 事情を説明した。
「なんだ。そんなこと、やってたのか」
状況を把握したヴァリーが、
「なんかすいません。ウチのが、迷惑かけたみたいで‥‥」
「‥‥ああ」
間に割って入る。
「で、モノは相談なんですが。‥‥‥我々、古都の人間でして、この町には腕試しにやってきただけなんです」
「‥‥‥ふむ」
「もう明日には古都に帰るんです。その、届け損なった鉄鉱石は、我々が責任を持って届けますから、今回だけは見逃してやってくれないでしょうか‥‥」
意外と話術も巧みな男、レオンハルト・ヴァリーマース。ティレンドの怒り吃る表情が、少しやわらいだようだった。
「まあ‥‥‥ブツさえ届けてくれりゃあ、こっちはなんも不満はねえ」
どうやら話は旨くまとまりそうだった。
「アイリー。毎度毎度どっか行く時くらい、教えてよ! ちょっと心配してたのよ」 
シュトラセラトの時のように、アイリは行く先も告げずにふらっと出て行き、残された者の気持ちに無頓着なことが度々ある。
 出し抜こうとした仲間に助けられ、心配され、もう立つ瀬なんかないアイリ。でも、その気持ちがうれしい‥‥‥‥仲間なんだな、と思う。
「でもさ、宿代払って、手数料払って、結局、帰りはテレポーターだなんて! それなら最初から全部テレポーター使っちゃえばよかったのにね!」
 もうぐうの音すら、出やしねえ。
 報酬20,000G。
 今件にかかった経費―――――ホテル「フォレストリア」宿泊費2,700G―――――銀行手数料(鉄鉱石×31)6,200G―――――テレポーターチケット代10,000G。
 総額18,900G。
 純利益1,100G。

 

 

(ああああああああ‥‥‥‥‥)
心身ともにズタボロなアイリ。しかも今さっき古都から戻ったばっかなのに、また明日には古都へ帰るのだという。「今日一日、『時間があったから』二人で手頃な仕事探していたんだが、特になくてな」とレオン(獲得賞金1位)は言った。
「もう古都に戻んの?」
「そうよ」
と、レモン(獲得賞金2位)は言った。
「テレポーター?」
「バカ言ってんじゃねえ、節約だ、せ・つ・や・く!」
「えええええーー」
いまや発言権は無きに等しい、アイリ(獲得賞金ビリ)。
(またあの道を歩いて帰るのことになるのか‥‥‥‥‥‥トホホ)
魔法の絨毯が恋しくなった。
「てかアイリ、お前さー」
「ん?」
「そのバッグ‥‥‥」
「?」
「違うのに代えた方がいいんじゃねえか?」
「ええー?」
「もっと収納あるのとか、もしか、持ってても動きの邪魔にならない形のとか‥‥‥‥」
たしかにこのバッグ、量はそこそこ入るのだが収納箇所が少ないし、長距離移動用ならバックパックみたいな体に密着したものの方がいいのかもしれない。そうゆうバッグだったら、今回のような失敗せずに済んでいたかもしれなかった。
「別の買った方がいいぜ。そんな、うらぶれた下町ボクサーみたいなの使ってないで‥‥‥」
(よしなよとっつぁん、けがするぜ?)
言われて素直に従うような、そんな大人しいタマじゃない。
「これが、いーの!」
お気にバッグをけなされて、ややムキになるアイリ。両手でひっしとバッグを抱える。「ガサッ」
「ん?」
なにやらバッグの中には随分と物が入っているようだった。
「なにを一体そんなに入れてんだ?」
アイリは体でかばうように、さっと後ろに隠す。その様が若干、ヴァリーの癇に障った。
「いいから貸せよ」
ヴァリーは強靭な握力でがしっとバッグを掴んで、ぐいっと取り上げた。「ああ〜んバカ〜〜〜」
 地べたにバッグをひっくり返す。「ドサッ」中からどっさりとヘンテコなモノが。
「うわ〜〜」
レモンも寄ってきた。
「あ〜あ、これじゃ入るわけねえや」
(あわわわわわわ)
着替えや貴重品などはともかく、随分と余計なものが色々詰まっていたようだ。「どれどれ‥‥」ヴァリーは一つ一つ手に取って確かめる。

 

 ‥‥‥‥‥‥‥‥漫画本‥‥‥‥‥‥キーホルダー‥‥‥‥‥‥ぬいぐるみ‥‥‥‥‥‥食べかけのビスケット‥‥‥‥‥‥得体の知れないモノその一‥‥‥‥‥‥得体の知れないモノその二‥‥‥‥‥‥チューインガム‥‥‥‥‥‥小銭‥‥‥‥‥‥紙くず‥‥‥‥‥‥得体の知れないモノその三‥‥‥‥‥‥得体の知れない女の子の道具一式(?)‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥レモンは頬を赤らめた。

 

「乙女のバッグを漁んじゃねええええええええ!」
ぐはっっ!!!

 

 

 

 

 

 

 そんなこんなで三人の冒険は続いた。

 

「ヴァリさーん! そっちのは任せた!」

「えっ? ちょっ! なんで俺だけ一人で三匹‥‥‥」

「れもさん! はずしたら、明日も洗濯係だからね!」

「アイリこそちゃんとやらないと、晩メシ、抜きよ!」

(ぶええええええええ)

 

 

 

 楽しかった。
 三人の息は、びっくりするほど合っていたし、つらいことやイヤなことがあっても、なんでもかんでも笑いに変えてしまう、そんな三人だった。
 そうして季節は、夏が過ぎ秋が過ぎ、寒い冬を迎えようとしていた。
 正直レオンは、このメンツでここまでやれるとは思わなかった。
 危険の伴う冒険稼業、女二人でできることなんかたかが知れていた‥‥‥‥‥いや、むしろ足手まといとすら懸念されるのが普通である。パーティーを組んでは見たものの、それほど長続きするとは思っていなかった。
 しかし二人は違った。二人とも極めて高い魔法力を持っており、なんといっても頭が良い。意外かもしれないが「二人とも」である。立ち塞がる物事に柔軟に対応できるし、息を合わせるのも上手い。斬新な発想や判断力、脳の瞬発力のようなものがあって、なかなか侮れないものである。冒険家としてのキャリアがある自分より、優れたアイデアを出すこともしばしばあった。或いは、逆に冒険家としての経験が少ないだけに、従来のやり方や固定観念に捉われない、自由な発想ができるのかもしれなかった。
 そうやって三人の冒険はうまくいっていた。そこそこ腕はあるが息の合わない三人組より、女二人いても意思疎通がばっちりな三人のパーティーは、実力以上にうまく機能し、優れた成果を治め続けた。
 それに‥‥‥‥‥。
 その時、レオンの脳裏に、弓矢を構えるアイリの姿が過った。
 アイリの戦いには華がある。
 うまく言い表すことはできないが、それは戦闘力とは別のもの。単純な力やスピード、体力じゃ男の方が能力が高いに決まっている。でも、そうゆうものじゃない。
 数字やデータ、そういった物差しで計ることはできない。実際そばにいて、見たり感じたりしなければ分からない能力を、彼女は持っている。
 例えば、奇襲を受けて体勢を整える間もない時。そんな不利な状況がアイリの取った一手で覆ったり、硬直した状況を一気に打開する決定打を放ったり‥‥‥。戦況を作用する重要なパートをアイリが受け持っていることが度々あった。
 頭で考えて、それを行っているのだろうか。それとも‥‥‥‥「第六感」とでも言うのだろうか‥‥‥。常人には計り知れない何かを、アイリはその超感覚でもって感じ取っているのかもしれなかった。
 そういった仲間は、一緒に戦っていて、なにより心強いと感じさせてくれるものなのである。力もスピードも体力も。自分よりずっと小さい少女を、レオンは頼りにしていた。
 アイリの戦いには華がある。それをもっと、ずっと見ていたくて、俺はこうして一緒に冒険を続けているのかもしれない‥‥‥‥。
 始まりは、ただの遊び半分。手助け程度のつもりで組んだパーティーだった。でも今は‥‥‥‥‥‥‥‥‥。戦士の中で、少女の存在が変わりつつあった。

 

 

「しっかし、毎日毎日、たのしいもんだね〜〜」
ある日の仕事を終えた帰り道、アイリが夕日に向かって呟くように言った。木枯らしが吹いて気温は冷たかったが、一日の仕事を終えた充足感、安堵感。そうゆうものに包まれて、今日も一日が終わっていく、そんな満ち足りた想いが三人の心の内に広がっていた。
「ずっと毎日、こんな風に‥‥‥続いたらいいね〜〜〜」
アイリの言葉に、レモンも無言で相槌を打っている。
 レオンも心からそう思った。でも、自分は三人の中でもリーダー的存在だったから、逆に何か戒めるようなことを言いたくなった。
「やめとけ、やめとけ」
「ええ〜〜」
アイリは振り向いて、
「なんで? なんで??」
ヴァリーを責めるように問いかける。アイリが振り向くと、夕焼けがアッシュブロンドの髪を透かして、逆光になった顔は陰になって見えなくなった。
「冒険家なんてな。長く続けられるものじゃないし、いつ野垂れ死ぬかわかんないし、汗くさいし足くさいし、先のこと考えたらロクなことねーぞ。もっと安定した仕事さがした方が身の為だな」
我ながら心にもないことを言ってるな、と思ったが、言っている内容は間違っちゃいない。こんな危険な仕事、いつまでも続けてはいられない、女ならなおさらだ。「そりゃまあ、今はたのしーけどな」
「大体、結婚とかどーすんだ?」
「ぬ?」
「女だったら、やっぱ結婚して家庭に入るってのがシアワセってもんだ。で、子供なんてできたら、それこそ冒険する暇なんかないしな」
「結婚ねー」
「しないのか、結婚」
言われてみて、アイリなりに考えてみる。
「しっかし、相手いないし出会いもないし、結婚っつってもピンとこないなー」
正直、今の生活が楽しすぎて。そうゆうシアワセよりも、今の方がずっとシアワセな気がする。結婚であれ何であれ、今という日を壊してしまうかもしれない、そんな未来図が想像できそうになかった。「あたしゃ、結婚なんてできんのかね」笑うと、透けた髪の向こう側に夕日が踊っていた。
「あっ」
ここでレオンに、名案が浮かんだ。それはとてもいいアイデアだと、自分でも思えた。
「だったら俺と結婚しねえか?」
それまで会話を聞き流していたレモンが、ぎょっとしてレオンを見た。
「あははーー! ヴァリさんとケッコンねー」

 あははははははっ。

 ははははっ‥‥。

 ‥‥‥‥‥‥‥‥。

 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥。

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 ‥‥‥‥‥。

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 けっ、結婚だとう?!

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