第10章 廻り出す運命の歯車

 「小羊たちの水場」。
 カウンターに座り、レオンハルト・ヴァリーマースは真っ昼間から酒を飲んでいた。
「なにぃ〜? 一緒に冒険してくれ、だあ?!」
少し酔っているのか、声を荒らげて応じてきた。
(やっぱダメか‥‥‥)
そもそもいきなりきて「組んでくれ」なんて言っても、予定だってあるだろうし、元々付き合いのある仲間もいる。そう簡単にはいかないか‥‥‥。
「いいぜ」
あら? あっさりOKなの?
「実は、今後の予定がなくなっちまってなあ‥‥‥」
へー、それはまた好都合ね。
(ん? 予定がなくなった?)
「ああ‥‥」
そう言って、レオンはまた次の杯をかっくらいながら、
「こないだお前らに会った後、『蟲の洞穴』に行くっつってたろ?」
「うん(いや‥‥‥覚えてないし、どこだか知らないけど、とりあえず頷いとけ)」
二口でもうジョッキを空けて、「ダン!」テーブルに置いた。
「そこでな‥‥‥洞窟の"主"に遭って、全滅。‥‥‥‥‥‥みんな、死んじまった‥‥‥‥‥はははっ‥‥」
(あはは、って。笑い事じゃないしょ!)
 古都の真北に位置する「蟲の洞穴」。フランデル大陸極東部一の大河バヘルは、遙か北方の山脈に二つの水源を持つ。その源流である二つの河「北バヘル」と「東バヘル」の交わる地に、その洞窟はある。冒険家たちが腕試しにこの地を訪れたりするが、「蟲」と言われるだけあって、修行相手となるのは専ら蟲類の幼虫・成虫である。得るものは少なく、長くこの地に留まる冒険家も殆どない。元来、それほど危険な地域とはされてきた所ではなかった。
 レオンら一行はこの洞穴奥深くまで進み、そこで"主"に遭遇してしまったという。
 "主"は超巨大な芋虫の化け物。全長10〜20mもあるらしい(正確な数字は不明)。一行は未知の巨大生物との遭遇に狼狽し、平静な思考を失ってうろたえてしまった。"主"との戦闘―――――それは戦闘と言うには余りも一方的な殺戮だった。
 樹齢何百年もある大木のような巨体、それを振るって、弾け飛ばされ壁に激突する者、圧死する者。口から吐き出す粘着性の強い繭糸によって、身動きできなくなる者、窒息する者。そして、芋虫でありながら所持している獰猛な牙は、残念なことにその主が肉食(或いは雑食)であることを証明していた。パーティーが壊滅していく中、深手を負った仲間を置いて逃げることもできなくなったレオンは、一人奮迅して、見事これを討ち破ることに成功した。しかし、断末魔を上げて苦しみ悶える"主"、その震動によって、洞穴は崩壊、生き残っていた最後の仲間もその瓦礫の下敷きになって死んでしまった。
 それら、あの洞穴の中で起こった凄惨な出来事を、レオンは多くは語らなかった。ただカウンターに腰掛けたまま、いつの間にか正面に向かって座り直していて、アイリたちの方を見ることもない。虚ろな面持ちで、ジョッキを持つ手を離さなかった。
(ああ、だからか‥‥‥‥)
アイリは理解する。だからレオンは、こんな真っ昼間から酒を呷っているのだった。

 

 

 

 そうして。色々あったが三人は一緒に冒険することになった。
 レオンの加入は、アイリとレモンの冒険に大きな意味を齎すこととなった。
 年長者であり冒険家としても先達であるレオンは、様々な知識、経験が豊富だった。
 そして、なんといっても――――――――「男」である。しかもレオンハルトの体格は並外れて精悍だった。
 取り分け、彼の加入による戦闘への影響は大きかった。
 戦闘時のフォーメーションは、それまでのレモンとアイリのライトレフトを後衛として、前衛中央にレオンが位置取ることになる。
 まず、レオンが敵に対峙する。そこで食い止めたり、牽制したり‥‥‥、レオンがその強靭なガタイで相手を引き付けてくれるので、後衛二人の弓と魔法が存分に活かせる状況が生まれることとなった。そもそも、弓も魔法も接近戦を主とする得物ではない。「赤い牙」との対決の際は、二人がそれぞれに機転を利かせて敵の攻撃を退けることができたが、ああゆう戦い方は、本来、戦闘の第一原則に悖るものである。
 戦闘における第一原則、それは「安全」である。戦闘に臨むものがまず心掛けなければならないのは「安全」である。

 

一般に「戦い」というと、人々は「如何にして敵を倒すか」という志向に陥り易い。鮮やかに敵を倒す技や術法などは、多く人々の心を魅了して止まない。スポーツなどなら、それもいいだろう。負けてもやり直しが利くのだから。しかし実戦では「負け」は即ち「死」である。一度負ければ全て失うのである。それを心に置かず、派手な勝利ばかり追求する者は、実戦を知らない者か、真剣勝負における路傍の人と言わざるを得ない。実戦において大事なのは「勝つ」ことよりも「負けない」ことなのである。それを留意するならば、勝利とは「安全」を獲得する一つの手段に過ぎない。勝ち易きに勝ち、勝ち難きを避く。戦って勝ちを収めることも、不必要な戦いを避けることも、同じ物差しで計る可きものなのである。もっとも冒険家などという人種は、「安全」を専にするその一方で、技量の向上のためには積極的に危険に飛び込んでいかなければならないという二律背反を抱えている。しかし、その両者の鬩ぎ合いの中にこそ戦いの真理がある。その一方を等閑にすれば、もう一方も全うできなくなる、これ即ち必然である。(ロバート・ヘッセン著『冒険家入門』万葉出版、4911年)

 

そう言い及ぶに足る戦いが、レオンの加入で可能となった。
(やっぱり、全然ちがうなー‥‥)
アイリは思う。レオンの戦いぶりを見て。やっぱり「男」なんだと。
 圧倒的なまでの筋肉の総量。躍動感に溢れ、底なしの力強さ、俊敏さ‥‥。アイリがいかに類稀な運動能力の持ち主といっても、それは女の中での話なのだ。所詮、男に敵うものではない。ヴァリーの戦いぶりを目の当たりにして、アイリはその差異を痛感せずにはいられない。

 

 

 

 ストリートアーチン時代。近所の悪ガキどもを集めてワルさばっかりしていたあの頃、そうゆうことには非常によく頭の回るアイリは、まだ体格的にも同年代の男子と比べて負けてなくて、知力腕力ともにNo.1の悪ガキだった。女だてらにグループのボスを張り、仲間を率いてリーダーシップを執る姿は、さながらならず者たちの王者のようだった。
 ある時。
「あれ? アイリに勝っちまったぜ!」
ひょんなことから仲間と腕相撲をすることになり、余裕綽々「楽勝ー!」と思ってみたものの、やってみると案外手こずり、結果、惜敗してしまった。
(おかしいなー‥‥‥)
今までこんなことなかったのに。不思議なことだと思った。
 しかし、それから他の子たちにもポロポロ負け出すようになり、しかも、一度負けるともう二度と互角以上には渡り合えないのだった。
 腕相撲のような単純な力比べに対し、かけっこや反射神経などではまだまだ負けてなかったが、それでもNo.1の座は男子に明け渡すこととなった。
 一般的に、幼少期の発育は男子より女子の方が早く、その頃は女子の身体能力が男子を上回ることも珍しいことではない。アイリが悪ガキたちのボスとして君臨していたのはそういった時期だったのだ。それが成長期になって、アイリの体の成長は同世代の男子に抜かれ始めた。ただそれだけのことである。しかしこのことはアイリにとって、肉体的なこと以上に大きな意味を持つ過渡期であった。
 見渡す限り敵なんかいなかったわんぱく坊主の帝王が、トップの座から陥落、いつの間にか並みの実力者と成り下がったのである。それもただ「女」という理由だけで。
 「クラスで一番」「学年で一番」アイリに常に付きまとっていた称号は、名前を変えることになった。「女子で一番」。
 元々学業の方で誇れるところがないアイリである。優れた運動能力こそが自己主張の強力な基盤だった。それが失われてしまったのである。
 厳密には「女子で一番」というだけでも、それはかなりのことに違いない。実際、50m短距離走では後に学校記録を打ち立てるという偉業を成し遂げてたりもする。しかしずっと「一番」であり続けた者にしてみれば、その地位が基準なのであって、「女子で一番」は何ら名誉なことでなかった。そして男子との差は、離れることはあっても縮まることはない。子供ながらに、アイリは知ってしまったのである。「女」である以上その高みには、もう二度と、登ることはできないのだと。帝王の権威は失墜した。
 それは少女にとって、人生的な挫折に他ならなかった。アイリは幼くして、己の力ではどうすることもできない壁にぶち当たり、諦めを余儀なくされたのだった。
 やがていつの頃からか、次第にアイリは采配を執るのをやめ、アイリのチームは解散した。解散といっても、男子のメンバーはそのまま残ってつるみ、ただアイリだけが女子のグループと遊ぶようになったのである。

 

 

 レモンと二人で冒険なぞしてみて、女だけで、魔法だけで、なんとかなるかと思っていたが、やっぱり「力」が必要だったのだ。
(今まで冒険してきて。れもさんはよく私を頼ってくれたし、私もその期待に応えてこれたと思う‥‥)
細かいことだが、戦闘における打開力はアイリの方が上で、そのことをアイリもレモンも認識していた。無意識の内に、その部分で少なからず、アイリはレモンに対する精神的優位を抱くことができていた。
(けどこれからは、あたしたち二人がヴァリさんに頼っていくことになるんだね‥‥‥)
ヴァリーの加入によって、その優位性も失われることになる。‥‥‥‥‥‥‥‥しかし。
(ま、別にあたしゃラクできるからいーけどね!)
へこたれないアイリであった。

 

 

 

 レオンハルトの加入で戦闘時における安定感も増し、冒険の幅が一気に広がった。

 

 

 

 オート地下監獄。
 古都東、旧東部街跡地に、北と南の二対の監獄所がある。共に山地を刳り抜いて作られた地下監獄所で「北のオート、南のアルパス」と呼ばれる、旧王国時代の遺物である。凶悪犯や国家反逆罪に問われた者ばかり収容して「死刑」という名の、いかがわしい人体実験を行っていた悪名高い「アルパス地下監獄」に比べれば、「オート地下監獄」は至って普通の監獄所である。かの「シュトラディバリ家の反乱」が起こった時、そのどさくさに紛れて両監獄所は襲撃され、収容されていた囚人は皆、逃げ出してしまった。二つの監獄所は監獄所としての機能を果たさなくなり、以来100年間放置されてきたのである。現在はすっかり荒れ果て、名もない盗賊団の根城となっている。

 

 

 

『解毒剤』
 ある日、アイリが一人でぷらぷら、街を歩いていると。
「おい、ちょっと、そこの君!」
(ん? あたし?)
「そう! あんただよ」
見知らぬ男に呼び止められた。
 男は中背のスレンダースタイルで、髪はナチュラルテイスト溢れる無造作ヘアー、口周りの無精ヒゲでワイルドさを演出し、襟元に2、3、ボタンのついた麻色のTシャツを涼しげに着流している。よくはきこなされた古着のこげ茶色のハーフパンツから細長い二肢を覗かせ、足元には同様に使い古された雪駄を履き、全体のコーディネートをカジュアルバランスに仕上げている。
(どう見ても浮浪者です。本当にありがとうございました)
「そんな目で見るなよ。こう見えても昔は結構有名な医学者だった身だ」
みすぼらしく痩せこけて、ボサボサの頭髪、医学者より何より遠目からはマッチ棒のように見える。
 話を聞いてみると、男は今、様々な解毒剤の開発を研究していて、そのためにあるサソリの毒のサンプルが欲しいのだそうだ。そのサソリはオート地下監獄に生息しているので、多少危険だが、そこにいって毒蠍のサンプルを取ってきてくれる冒険家を探している。
 話の途中でアイリは重要なことに気づいた。
(お、お前‥‥! Tシャツの首、だるだるやないかっ?!)
 結局、頼みを聞いてしまうアイリ。性分なのか運命なのか、アイリは生まれつきこーゆーダメ男の面倒を見るハメになることが多い。

 

「へ〜〜〜くっしょん!」
くしゃみをして、むず痒そうに洟を啜ったのは、小男ヘバである。
(誰か俺の噂でもしてるのかな‥‥? ‥‥‥もしか、アリエルさんっ! ‥‥‥‥‥‥だったらいいな‥‥‥)

 

「じゃあ、頼んだぞ〜〜〜〜」
男は手を振ってアイリを見送った。
(つーか「多少危険」とか言っといて、女の子に行かせるもんかね!)
「あ? なんだ? 蠍の毒が怖いのか? 心配しなくても、蠍ってのは昆虫とかを食べる生き物だからな。哺乳類にとって致死量となる程の毒を持ってるヤツなんて、そうそういないからな」

 

 

 オート地下監獄B2。
 ここに棲息するサソリは「インベノムテール」。大きいもので、体長50cmを上回る種である。強靭なハサミを有しており、人間の手首くらいなら簡単に切り落とせてしまう。昆虫よりもウサギやネズミなどの小動物を好んで捕食する。
 監獄地下2階の通路に、それを発見した。
(で、でかい‥‥)
正確には「でかい」より、「太い」という印象の方が強いかもしれない。
(ぜって〜〜〜毒、致死量あるよね‥‥)
口腔から漏れる息が「シューシュー」いっている。
「‥‥‥‥」
カサカサカサ‥‥‥。
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
「あ、あたし‥‥!」
レモンが突然、
「虫、ニガテなのっ!!」
その一言で大勢は決まった。
「それじゃあ、ヴァリ先生、お願いします」
「なんで俺なんだよ!」
ヴァリーの切り返しももっともだったが、女二人はそれにギャアギャア吠えついた。「あたし、虫、イヤ!」「アンタ! 男だろ?」
(よっ‥‥ぽど、イヤなんだな‥‥‥‥)
おふざけは置いといて。とりあえず女二人に、安全な位置からの遠距離攻撃を頼む。アイリとレモンは弓と魔法で(嫌々)サソリの動きを封じ込める。図体の分、小型のサソリに比べて動きは鈍かったのかもしれない。弱まったところをヴァリーが一閃。胴体を斜めに一刀両断にした。

 

 退治し終えてからヴァリーはふと思う。
(あれ? サンプルって、尻尾だけ持って帰ればいいのかな??)
尻尾に毒針があるから、それだけでいいのか、それとも体内に毒嚢みたいな器官があって、そっちが必要なのか‥‥‥‥‥‥ヴァリーには分からなかった。
(ま、いいや全部持って帰ろう)
毒蠍のおぞましい亡骸を袋に詰めていると、
「ん?」
振り返るとアイリとレモンが、随分離れたところに立っていて、両手をこっちに広げたポーズを取っている。
「何やってんだお前ら‥‥‥」
よく見ると二人とも、両手の中指を人差し指に交差させて、こっちに向けているようだ。
「あたしたち‥‥」
「えんがちょ切ってますから」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
報酬10,000G(出世払い)。

 

 

(れもさん‥‥‥)
(ん?)
(男って‥‥‥いると、便利だね)
(うん)
(これからもコキ使おうね)
(ね〜〜)
「おい、全部聞こえてるぞ」
呆れ気味のヴァリー。ところで。
「もひとつ、仕事請けてたよな」

 

 

 

『炎の悪魔』
 四方を水路に囲まれている古都の街並み。その西口側の橋の上で、アイリとレモンは川の流れを見つめながら、この世の行く末を案じている。
「どっかに旨い話、ころがってないもんかね〜〜」
「楽して儲かる、仕事ね〜〜〜」
 作者はさっき、「アイリとレモンがこの世の行く末を案じている」と書いた。しかし民主政治や資本主義経済が抱える構造や、年々凶暴化してきているモンスター被害など、この世界を取り巻く様々な問題、二人がそういったことに胸を痛めているわけではなかった。二人はただ、先月から始めたアパート暮らし、その家賃の工面、当面今月分をどうしようかと、画策し、心を砕いているのであった。だから「アイリとレモンがこの世の行く末を案じている」と云うよりも「アイリとレモンが今月分の家賃の心配をしている」と云う方が、適当である。
(貯金くずさなけりゃならないか‥‥‥)
自分の貯蓄は0に等しいので、崩すのは相方の貯金である。
「ちょっと、お嬢ちゃんたち〜」
橋の向かい側から小太りの中年男が声をかけてきた。
「いい話があるんだが」
(フム‥‥‥‥渡りに舟とはまさにこのこと‥‥‥)
「いい話」という甘い誘いに、全く疑いを持たない入れ食いな二人。興味津々で中年男の話に飛びつく。中年男はネスフェリンと言った。

 

 オート地下監獄には炎を吐く悪魔が住んでいるという。その悪魔は「RED STONE」を隠し持っていて、その力を利用して炎を操っているのではないか、と。
 しかし、悪魔が元々そうゆう力を持っているなら、噂は間違いってことになる。
 その真偽を確かめてくる気はないだろうか。
 もし真実が明らかになれば、君たちは多大な報酬が受けられるだろう。

 

(「RED STONE 」!!! ‥‥‥‥なんという情報をキャッチしてしまったのか‥‥‥)
二人は二つ返事で依頼を引き受けた。

 

 

 オート地下監獄B2。
 アイリたち一行は、引き続き炎の悪魔の探索を行った。
 ネスフェリンの話だと、噂の悪魔は「神獣フーフー」かもしれない、という。前に調査を依頼した冒険家から得た情報らしい。
(つまり、前の連中は「失敗」してるわけね‥‥‥‥)
推察される事実に、少なからず三人の気は引き締まる。
「ヴァリさん、『フーフー』って知ってる?」
冒険家として駆け出しのアイリとレモンは、まだまだ知らないことがいっぱい有り過ぎる。行ったことない土地、遭ったことない危機、モンスターたち。冒険の経験が豊富なレオンハルトの知識は、二人の不足を補うのに役立った。
「俺も遭ったことはないんだが、図鑑とかで見たことあるな。小さい卵型の怪獣で、口から火を吐く、って」
もしそれが本当なら、悪魔が「RED STONE」を持っている、というのはデマの可能性が高い‥‥‥‥‥‥まあ「RED STONE」なんてお伽話、本気にするヤツなんていないだろうが。
 と思ったその傍らで。
「おい、どうした?」
アイリとレモン肩を落としてがっくりうな垂れている。
「ああああ〜〜〜。せっかく『億万長者』になれるかと思ったのに〜〜〜〜〜」
(‥‥‥‥‥‥‥‥信じんなよ‥‥‥‥)

 

 

 そうこうしている内に、噂の卵型の悪魔を発見した。
 アイリたちは石壁の影から、様子を伺う。
 身長は7〜80cmほど。本当に卵の体型をしている。体皮は土色で、爬虫類のような角鱗で覆われている。手足は極端に太く短く、まるで取って付けただけのようだ。走るのにも作業するにも、適しているようには見受けられない。同様に太い尾の方が、まだ長さがあって作用しそうなものである。それほど全体的な動作が緩慢だった。ただ口だけが異様に巨大で、卵の上部を真一文字に切り開いたかのようだった。
(あそこが、ばっくり割れて‥‥‥‥火、吐いてくるのかな‥‥‥‥)
「間違いないな。ありゃ『フーフー』だ」
もう眉唾物の「RED STONE」のことは念頭にない。ただ、噂が「偽」だとするならば、それを証明する手掛かりは、持って帰らねばならないだろう。
「よし! じゃあヴァリー君、行ってみようか!!」
「だからなんで俺なんだよ!(しかも態度、でかくなってるし)」
その悪ノリにレモンも便乗してきた。
「ぇええ〜〜〜だって、うちら、か弱い女の子なんだよ〜。レオンなんとかしてよ〜〜〜」
近頃のレモンは、口調がアイリに似て来つつある。
「そーだそーだ!」
(むう‥‥‥‥‥)
どうにも2対1 では分が悪い。しかも相手は年下の女だ。
「へいへい、しゃーねーなああ」
言い返す術もなく、仕方なしに唯諾する。‥‥‥‥‥しかし、なんだか良いように使われてる気がしないでもない。
「頼むよ筋肉ゴリラ」
(‥‥‥ゴリラゆーな)
良いように使われてる気が、積極的にする。
 その時だった。
 古い地下監獄の中の静謐、それを掻き乱す存在に気づいて(あれだけ騒げば当然といえば当然だが)、神獣フーフーは細く高い金切り声のような奇声を発して襲い掛かってきた。
 フーフーの口から火球が吐き出されてくる!
 半ばおふざけモードだった三人は、体勢が整え切れてない。
 一発目の火球が、不意を衝いてアイリに飛びかかってくる―――――――しかし、辛うじて、持ち前の反射神経で躱した。そうして回避運動するアイリを捉え切れずに、二発目は単純に的を外した。
 体勢を整えながら、無意識の内に三人はそれぞれの立ち位置(中央のレオンハルトを軸に、アイリは左後方、レモンは右後方)に入る。
 三発目の火球――――――臨戦態勢をとる神獣の卵型の腹部には、既に充分な元素が蓄積されているに違いなかった。
 襲い掛かる火の玉!
 これに、いち早く応じたのは、レモンの雷魔法だった。
 火の玉と雷。
 激突!
 元素量自体は、歴然と、レモンの雷が勝っている。
 見事飛んでくる火球を掻き消した。
 しかし。
 フーフーは、立て続けに火球を吐き出してきた。
 単発ではレモンの雷の方が強いかもしれない。が、フーフーは制御された元素を繰って、「持続性」においてレモンの魔法力を上回った。
 五発目の火球を撃ち落としたところで、レモンの蓄えた元素は尽きた。一方、フーフーには余力が―――――残存元素量が充分にある。
 電撃魔法の火線を縫うように、火の玉が襲い掛かる!! 一つ‥‥‥‥‥二つ‥‥!
(まずい‥‥)
 元素を消費し切って、為す術のないレモン。再び集める、時間などない。迫る危機に、身が硬直してしまって、動かない!
 その時。
 ヴァリーは咄嗟に、剣を持つ右手を伸ばした。
 レモンに襲い掛かる火球は、ヴァリーの右手を弾いて、ベクトルを失った。剣は石床に落下した。「カランカラン‥‥」
 神獣の攻撃は止まらない。
 更なる火球がレモンに襲い掛かる。
 しかし、ヴァリーはその直線上に立ち塞がって、鉄の鎧の胴部、これを受け止めた。「あちぃぃっ!」
 防がれようと防がれまいと、お構い無しに、フーフーの外敵への攻撃は緩まることを知らない。ずんぐりとした胴体に、短い手足。他に何ら有効的な攻撃手段を持たない神獣は、ただひたすら、火の玉を吐き続けるべく、元素を集め続けた。
 蝦蟇口のような、巨大なフーフーの口。そこから、また、燃えさかる炎が吐き出されようとした――――――瞬間。神獣は、ふと違和感を覚えて、攻撃を中断した。‥‥‥‥いや、中断せざるを得なかった。硬皮の鱗と鱗の隙間に、一本の矢がつきささっていたから。
 苦痛。表情を歪ませて。口腔に集めた火の元素は、調律を失ってバラバラになる。
 次の一矢がまた、鱗を冒して、深く体内に突き刺さる。神獣は堪らず悲鳴を上げた。「クゥェェエエ!」
 卵型の体の向きを変えて、フーフーは標的を弓使いの人間に改めた。
 再び火球を吐き出すため、体内に残された元素を絞り上げる。
 だがそれは、充分な時間だった――――――レオンハルト・ヴァリーマースにとっては。
 レオンは一度落とした剣を拾い上げ、凄まじい脚力で、フーフー目掛けて襲い掛かった。187cmの巨体に、鉄の全身鎧を着込んで、この速さで動ける下半身の膂力は並み大抵のものでなかった。
 アイリに向かって火球攻撃を仕掛けにかかったフーフーは、巨大な接近物体に気づいたものの、体勢を変える間もない。重厚な一撃が、卵型の胴体を斜めに切り落とした。

 

 

 

「ヴァリさん、大丈夫?」
戦闘は、終わった後にいつも不思議な静けさを残す。その独特な雰囲気は、戦いの当事者たちしか味わうことが出来ない。不可思議な穏やかさがあって、それがゆっくりだったり、時に一瞬の内にだったり、周りに「ばー」っと拡がっていく感じ。その静穏な空気の中で、仲間を労わるアイリの言葉は、不思議な旋律のように、辺りに――――――地下監獄の石壁に響き渡った。
「ああ‥‥‥大丈夫だ」
レオンは鎧を手で払って、金属音をガチャガチャさせながら、笑って言った。「ちょっと熱かったけどな」
「レオン‥‥‥‥」
レイモンドはか細い声で、名前を呼んだ。
「ん?」
「‥‥‥‥‥ありがと‥‥‥」
普段は騒がしい小娘どもだけに、こう、改まってお礼を言われると‥‥‥。
「‥‥‥‥ああー」
レオンハルトは間の抜けたような返事をして、無意味に頭を掻いてみたりした。お礼の受け答え方が、よく分からなかったから‥‥。
(おいおい! なんだよお前ら、デキてんのか!!)
やっかむアイリ。
「れもさん、ちがうちがう! こーゆー時はこーゆうの!」
「?」

 

 

「べ、べつに、助けてって頼んだわけじゃ、ないんだからねっ!」

 レモンとヴァリー「‥‥‥‥‥‥‥‥」

 

 

 

 ネスフェリンに報告。
「そうか、やっぱり悪魔の正体はフーフーだったか。『RED STONE』の話は、ただの噂だったんだなあ」
うんうん。ただの噂話。
「それじゃ、約束どおりお礼をしなくちゃね」
ほい来た! 待ってましたー。
(たしか、「RED STONE」がなくても、噂の真偽を確かめてくれば莫大な報酬をくれるとか言っていた!)
そうゆうことの記憶力は、非常に良いアイリであった。
「その悪魔が『RED STONE』を持ってなかった、ってことが。報酬だよ」
「へ?」
「なんだ? まだ報酬がほしいのか?」
そりゃ、そーでしょ!! ってか、そもそも、意味わからん。
「がめつい娘だなー」
が‥めつい‥‥‥?
「いいか、よく聞け? 昔は『RED STONE』の情報は高く売れたんだ。数年前なら、こんな情報でもン十万Gはしたんだ。だからアンタは数十万G、稼いだも同然なんだよ!」
 報酬0G‥‥‥。

 

 

 

「ねえーヴァリさん、聞いてよーー」
「ん? どうした?」
かくかくしかじか。
「な‥‥んだと?!」

 

 

 

 ネスフェリンはホクホク顔で西部街を歩いていた。
 ちょっと前から仲間内で話題になっていた「RED STONE」の噂話。その真相が今さっき、明らかになったからである。
 勿論「RED STONE」なんてお伽話、初めから信じていたわけではない。しかし「RED STONE」は、その存在を証明することが難しいのと同様、存在しないことを証明することもまた難しいのである。しかも今回の噂話のネタは、少し危険な場所だったから、仲間内でも確認に行ける者はいなかったし、だから一度、冒険家なぞに依頼したこともあった。が、そいつらは悪魔に、近づくことすらできずに帰ってきちまいやがった。
 でも、今日、頭の悪そうなヤツラを巧く丸め込んでやったから、その真相を明らかにすることができた。そいつをネタに、連中に酒でも奢らせようかと考えていた。
「ねね! おっちゃん、ちょっと待ってよ!」
(なんだ、さっきの娘か。また来たのか)
「おいハゲ親父〜」
少女の傍らに、やたらデカくてゴツイ鎧男が、甲冑の肩をいからせてやってくる。
(あれ?? こんなヤツ‥‥‥‥‥さっき、いなかったぞ‥‥‥)
「おれのトモダチに、何して‥‥くれてんだ〜〜?」
(!! ‥‥‥もしかして‥‥‥‥‥こいつらの仲間?!)
「なんかよ〜〜〜、頼み聞いたってのによ〜〜〜〜お礼も言ってくれなかった、とかよ〜〜〜?」
「は‥‥‥あ、ありがとうね‥‥‥‥お嬢ちゃん‥‥‥たち‥‥」
アイリとレモンは澄ました顔で様子を見つめている。ヴァリーは相手の肩に手を、優しく置いて、相手の身長に合わせて身を屈めてあげる。
「もうよ〜〜〜〜、ほっ‥‥‥‥んと、大変だったんだぜ〜〜〜??」
(ヒ、ヒィィ!)
ちゃんと聞き取り易いように、口を顔に近付けてあげる。顔と顔とが0m距離になる。
「おれなんかよ〜〜〜〜火、吐かれてよ〜〜〜〜、すっげえ‥‥‥あっちいんだよ〜〜〜〜〜」
(ひ、火ぃぃ!)
報酬10,000G‥‥‥。

 

 

「一万‥‥‥じゃあああ〜〜〜〜〜、三人で仲良く、分けられねええ〜〜〜だろ、が〜〜〜〜〜〜」
(ヒィィィイイイ!)

 

 

 レモンは一連のやり取りにくぎづけになって見つめている。
「‥‥‥‥‥あれはまるで‥‥‥」
「?」
「『カツアゲ』に見えますわ」
「‥‥‥‥れもさん」
「ん?」
「あれは『カツアゲ』ですよ」
「ほ〜〜〜〜〜、あれが『カツアゲ』ですか〜〜〜」
「そうです、あれが『カツアゲ』です」
「不良ですわね〜〜」
「不良ですよね〜〜」
報酬15,000G(ネスフェリンの残金1,627G )。

 

 

 

『銀行顧客登録』
「なんだって? お前ら、冒険家だってのに、銀行登録もしてないのか」
大冒険家ヴァリー先輩から、有り難いご指摘を頂いた。
「だって預けるほど、お金持ってないもん」
「カードだったから、現金なんて持ち歩かないわ」
「ばっかだな〜」
(ばか〜?)
それ以外にも散々悪口軽口を叩き合うのに、「ばか」という単語には異様に反応する少女二人。
「いいかお前ら。銀行ってのはな‥‥‥」  

 

 

 フランデル大陸極東部、各都市に配置されている「銀行」。その起源は王国時代、王都シュトラセラト在住のある富豪の金庫であった。
 貨幣経済が興隆すると、物々交換主流の時代と異なり、人は資産を貨幣で管理するようになった。しかし、持ち運びに優れ、且つ普遍的な価値を持つ貨幣は、管理に問題があった。貨幣の利便性は、不法な手段で他者から資産を奪う者たちにも、そのまま適用するのである。取り分け、大量の貨幣を所持する富裕層はこれを懸念した。
 シュトラセラトの富豪ゴールド・スミス氏は強固な金庫と警備とで、管理の安全性に定評があった。他の富豪は氏にお金を預けて、管理を依頼する代わりに手数料を払った。氏はお金と引き換えに「預り証」を発行した。
 ある時スミス氏は、預かっている金が一定量を下回らないことを発見した。これは、預金者Aが高額の買い物をする時、代金を受け取ったBが、再びそれを氏の元に預けにくるという現象があったからである。また更に進んで、「預り証」をそのまま取引に扱う者も現れ出した。
 スミス氏はその一定量を利用して、貸し出し運用を始めた。これが銀行の起源である。ちなみにその際、発行された「預り証」は貨幣同様、通貨として認められていく。これが後の「紙幣」である。貨幣より紙幣の単位が大きいのは、ここに起因するのである。
 当初預金には、預金者から銀行に手数料が支払われていたが、運用にはより多くの金額を集めた方が有利なため、手数料は廃止され、替わりに、預金者には金額に応じた利子が支払われるようになった。
 また銀行は、その強固なセキュリティを活用して倉庫業も運営した。こちらは初期の預金制度のように、利用者は手数料を支払う必要がある。
 預金の受け入れと運用、それと倉庫業。これらのサービスを柱に銀行は発展していき、同様の企業が各主要都市に興った。
 そして今より400年程前、次元門生成装置(「テレポーター」)の出現によって都市間の移動が簡易化されると、それに伴って銀行も形態を変えた。
 それまで銀行は、各都市間が離れていることもあって、都市ごと、店舗ごとで業務が独立していた。しかし、テレポーターが日常的に認知されてくると、その活用案として「メインバンク制」が生まれた。それは、ある銀行をメインバンクとして、そこで全ての金・品物を管理し、他の銀行はそこにテレポーターを設けて業務を連動する、という画期的なものであった。
 ちょうどその頃、世間では「RED STONE」の噂が流行し、人々は一攫千金を手にして自らも上流階級の仲間入りをしようと、冒険への気運の高まった頃だった。「RED STONE」を求めて各地を旅する冒険家が増え、彼等のような者にとって、そのような形で銀行を利用できるようになるのはメリットが大きかった。
 「銀行」と「テレポーター」。二重に重要な機能を内包することになった機関は、当然国の重要施設として、王室の管理の強化されるところとなった。
 そうして出来上がったのが、今日の銀行の形態である。
 余談ではあるが、「メインバンク」と呼ばれる、実際に金や品物を管理する銀行は、中央銀行たるシュトラセラト(現在はブルンネンシュティグ)ではない、とされる。「メインバンク」の所在については諸説あり、それは砂漠の真ん中にあるとか、人里離れた山奥だとか、孤島群のどこかとか、結界が張られていて外からは発見できないよう偽装されているなどなど、色々言われている。が、これらは勿論、噂の域を出るものではない。ただ「王宮のどこか隠された部屋にある」という説だけは、先の事変のおかげで偽りと証明されることとなったが。
 一部冒険家たちは「RED STONE」でなく「メインバンク」の探索を試みたりもしたが、結局発見の報告はなされていない。そもそも国家的重要機関である「メインバンク」は侵入どころか、その所在を明らかにすることだけでも重罪(死刑)であった。冒険業として幸多き所業とは言えなかった。
 また「外部」ではなく、「内部」からの侵入を試みる者たちがいなかったわけではない。強盗たちは各銀行内部からのメインバンク侵入に挑んだのだった。しかし、銀行内のテレポーターを作動させる方法を知らない者はそれ以上進めなかったし、それに成功した数少ない者たちも、メインバンク内でテレポーターのロックアウトを食らって、やむなくお縄となったのであった。
 「メインバンク」の存在は「RED STONE」と並んで、人々の妄想を掻き立てることとなったが、王国の徹底した管理のおかげで秘密は守り通され、現在でもその在処については、言及しないのが暗黙のルールとなっている。
 王国が滅んで100余年経ち、主要都市がゴドム共和国とナクリエマ王国に分割された今日でも、銀行の機能は王国時代のものを継承している。それは銀行が持つ高い守秘性と、テレポーターという再構築し難いネットワークに因るところが大きい。それらによって銀行は、国家の垣根を越えた機関となったと言えるだろう。
 諸処に及んで、口の端にのぼることの多い銀行であるが、一般的には非常に利便性の高い機関である。平たく言えば「貴重品預かり所」といったところだろう。冒険家などは、一旦旅に出ると長く家を空けることもしばしばだから、高価なものは銀行に預けていた方が安全である。また、入り用な物は預けておけば、わざわざ持ち歩かなくても、旅先の銀行で引き出すことができるのである。

 

 

「ふーーーん」
ヴァリーは一通り説明しては見たものの、まずレモンは生返事だった。アイリに至っては、
「でもさー、あたし貴重品ってほどのモノ、もってねーかも!」
貴重な人生を歩んでいる生き物であることがわかった。
「まーまー。とりあえずいつかは使うだろーから。今のうちに登録だけでも、やっておいた方がいいぞ」
眉唾な感じで、言われるままに登録手続きする二人。

 

 

 一般の登録には、氏名・住所・暗証・保証人などが必要である。
 住所は当然、新居のアパート。保証人に関しては、レモンは両親の承諾も得られたことだし、父名義で登録をする。
 保証人のところで、アイリも瞬間、いやらしい父の不敵な笑みが過ったが、一応あれでも自分の保護者に当たる人なので、その名前を書類に書き込んどいてやった。
 それから暗証について、あれこれ考えた。数字だけでもいいらしいが、それはなんか味気ないし、そもそも絶対忘れるに決まっている。受付さんには「生年月日だけはやめて下さいね」と言われた。どうにもそうゆう被害事件が多発しているらしい。
 だから、好きな食べ物でも書いとけとか思って。「H・A・M・B・U・R‥‥‥‥」いやいや、これでは全然乙女チックでないぞ。好きな漫画にでもしとこーか‥‥? などと思い直したり、なんなり‥‥‥‥。
 なんとか書き終える。提出し終わって。
「れもさん暗証何にしたのー?」
「秘密」
「教えろよー」
(教えちゃ‥‥‥だめだから‥‥‥‥)
暗証番号を他人に教えてはいけないとゆう、ごく当たり前のヴァリーの心内つっこみ。
「どうせお菓子かなんかだろ? C・H・O・C・O・L・A‥‥‥‥」
アイリとしては単純にカマ掛けただけである。だが、その時のレモンのぎょっっとした表情と言ったら!
(やべっ! ‥‥‥当たってたみたい‥‥‥‥)
 以上の手続きで開設されるのは「通常口座」である。他にもいくつ種類はあるが、冒険家たちに利用の多い「簡易口座」というものもある。
 それは氏名と暗証だけで登録できるものである。冒険家には放浪者や天涯孤独の者も多かった。「簡易口座」は、それら住所不定者や保証人のいない冒険家のために考案された口座である。預けたり引き出したりは「通常口座」と大して変わりないが、大きく違うのは、一年間取引きのない口座は中身を全て処分される、というところである。危険の伴う冒険業である。一年間何も動かない口座は、登録者が取引きできない状態にある――――――つまり、「死」と判断されるのだ。「たった一年」と言う者もいるが、管理する側としてみれば、どこの馬の骨とも判らず、生きてるか死んでるかも判らない者たちの分まで管理するのは手間であるし、或いは「メインバンク」にも物理的にスペースの問題があるのではないか、という至極当然な憶測もあった。
 ヴァリーは傍らで、ただの銀行登録手続きを、こんなにも楽しげにする少女たちを目を細めて見つめていた。彼は簡易口座登録だった。両親がいなくて孤児院育ちのヴァリーに、保証人はいなかった。
「うーーーん」
アイリが一丁前に悩んでいる。
「しっかし、ウチら別に遠出するわけじゃないし、銀行なんか使うんかね〜〜」
「じゃあ、遠出してみっか?」
「遠出? どこに?」
ヴァリーは考える。思わず反射的に言ってしまったが、どこかいいとこがあるだろうか。戦力的に言って、この二人ならそこそこのことは耐えられそうだが、なんといってもまだ旅慣れていない。遠出と言っても、余り遠くに行きたくはない。それに、テレポーター代もバカにならんし‥‥‥‥。
(そうだ!)
閃いた。

 

 

「そうだ! ハノブに行こう」 

「な‥‥なんだってーーー!!」 

レモン&ヴァリー「‥‥‥‥‥‥」

 

 

「アイリ君‥‥」

ヴァリーは優しい微笑みを浮かべて語りかける。

「はい」

「リアクションが」

「‥‥‥」

「大げさすぎます」

「しいません」

レモン失笑。

 

 

 

 鉱山町ハノブ。
 古都東口を出て、東北東に伸びる「東プラトン街道」を遥かに行くと、西南から北東に長く連なる「エルベルク山脈」、この峠を越えたところにある。鉱業の盛んな町で、近くには炭鉱、鉄鉱、ミスリル鉱‥‥‥様々な鉱山に恵まれた土地である。ここで掘られた資源は、プラトン街道(至ブルンネンシュティグ)や鉄の道(至アウグスタ)、はたやテレポーターを使って極東部全域に輸送される。極東部の地下資源の実に50%近くを採掘するほどの町で、いわば鉱夫たちのメッカである。
 「町」というだけあって、ブルンネンシュティグやシュトラセラトのような大都市ほどの施設はない。しかし鉱夫というのは独特の活気、連帯感を持つ連中で、この町の鉱夫は、がさつだが伸びやかで気骨ある者ばかりである。夕刻の町に終業の鐘が鳴り響くと、顔中真っ黒にした鉱夫たちがわらわらわらわら町に下りてきて、あっという間に、酒場一杯に埋め尽くしてしまう。そうして毎晩祭りのようなにぎわいで気持ちよく酔っ払っては、また次の日の太陽と一緒に出掛けていく、といった有様である。フランデル大陸極東部で彼等ほどおいしそうに酒を呑む連中はいない、とまで言われる人種である。ちなみに鉱夫たちは最近まともに自分の持ち場―――――鉱山には潜れていない。鉱山町ハノブは、お隣の魔法都市スマグと山道でつながっているのだが、つい先日、大規模な山崩れがあって、この山道が塞がれてしまったのである。街道やテレポーターを有するハノブはともかく、険しい山々を後背に備えるスマグは、都市として完全に孤立してしまった。今、鉱夫たちは国からの支援の下、その修繕に交代で当たっているのだった。
 へとへとに歩いてこの町に辿り着いた時、お嬢様育ちのレモンが思った一言。
(私向きの町じゃないわ‥‥‥‥)
 とりあえず色々なことは明日するにして、三人は宿を取って休んだ。
 ベッドに横になって、アイリは考えた。この町でどんなことが待っているのか。面白い出会いがあるだろうか‥‥。ちゃんと、いい仕事にありつけるだろうか‥‥? せっかく、こんな辺鄙なところまで来たんだから、手ぶらじゃー帰れねー‥‥‥って、まさか、仕事、山掘りの仕事しかないなんてこと、ないよね‥‥‥‥‥‥‥‥。そんなこんなの期待と不安と、一日中歩き倒した疲れで、いつの間にか眠ってしまった。

 

 

 

「じゃあ、『ゲーム』しよっか?」
「げーむ?」
翌朝いきなり、ヴァリーが変なことを提案してきた。
 何事かと思って、確認してみる。
 以下、ヴァリーの意見。
「せっかくこんなところまで来たんだから、何もしないで帰りたくないだろ? どうせなら、いい仕事もらったり‥‥、何か大きな収穫を得て帰りたいじゃないか。で、ただ仕事探す、っつーのも在り来りだから、せっかくだから競争にしてみようかと思って」
(ふむふむ‥‥‥)
「三人バラバラに仕事探して、報酬もらって、一番稼いだヤツが勝ち! ってのはどーだ?」
(ほっほーう)
思わぬ企画に、アイリの食指が動かされる。でも、レモンはこれに口を挟んだ。
「ええ〜〜〜。そんなのレオンが一番に決まってるじゃん〜〜。私なんか、一人じゃ危ないかも‥‥‥だし」
(たしかに‥‥!)
単純な好奇心だけで話に乗りかかったが、よく考えれば、あの筋肉バカと競って勝てるわけない! そんな勝負、公平じゃないじゃない! そもそもウチら乙女だし。
「そーだそーだ!」
レモンの意見に、野次で加勢する。
「やるなら、もうちょっと平等な条件にしてよ〜〜」「女の子のことも考えろ!」
レモンの言い分も「なるほど確かに‥‥」とレオンは思う。だが取りあえず、外野の野次がうざい。
「じゃあ。いい仕事もらってこれるかどうか! これにしよう! 誰が一番儲かる仕事みっけられるか? 仕事自体は三人でやってもOKとゆーことで」
それなら町の探索だけでよさそうだし、二人とも納得。ヴァリーの合図「よーいドン!」で、三人一斉に散っていった。
 アイリは駆け足で、二人とは逆方向に走っていった。走る必要は、特にないのだが。アイリの「蟲」が騒ぎ出している。競争とかゲームとか対決とか、勝負事が子供の頃から好きで好きでしょうがなかった。
 でもこうゆう勝負事ってホントにいいものだ、とアイリは思う。勝利とゆう一つの目的めざして、正々堂々戦ったり、自分の力を出し切るために精一杯になったり。魂が燃え上がるような感じがして、自分がもっと大きくなれるような気がしてくる。そうして結果が出たら、勝者も敗者も互いの健闘を讃え合ったり‥‥‥。多少熱くなり過ぎたり、汚いところがあったりしても、それは勝負の中の出来事だから、終わった後に尾を引くようなことはしない。そうゆう罪のない勝ち負けってのがいいよね! スポーツマンシップに溢れるというか。
 でも内心、
(ぜって〜〜〜負けねえええ!)
出し抜く気満々のアイリであった。

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